エンリコ・マシアス 父シルヴァンと共に |
エンリコ・マシアスの父シルヴァン・グレナシア(Sylvain Ghrénassia)は1914年に
アルジェリアのジャマプ(現在のAzzaba)で布売り商人の息子として生まれました。 16歳で、ジャマプを離れ、コンスタンティヌへ出て、経理の仕事を見つけます。 そこで、スザンヌと結婚。ガストン(後のエンリコ・マシアス)とジャン・クロードの 2人の子供を儲けました。ただ、その後経理の仕事を失ったので、同じユダヤ人 友人であるシェイフ・レーモン・レリスの楽団にバイオリン奏者として入ります。 しかし1961年には、騒がしくなったアルジェリアを離れ、フランスに移住。 後から来た息子のマシアスのフランスでの歌手生活を裏から応援し、支えました。 マシアスは父のために「父親からのバイオリン」という曲を作りましたが、 コンサートではよくこの歌を歌い、父もバイオリンで伴奏する光景が見られました。 シルヴァンは2004年に亡くなり、パリ近郊のユダヤ人墓地に葬られています。 |
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マシアスのウードと父シルヴァンのバイオリン の共演が聴けます。 エンリコ・マシアスが父のバイオリンとの共演で 「Mon Chanteur Prefère」(素敵な歌うたい)を歌います。 義父のシェイフ・レーモンへ捧げます。 |