エンリコ・マシアス
義父シェイフ・レーモン

レーモン・レリス(Raymond Leyris)は、1912年7月27日にアルジェリアで生まれました。 ユダヤ人とイスラム教徒によって尊敬され、「シェイフ・レーモン」と尊称で呼ばれた アラブ・アンダルース音楽の卓越した歌手であり、ウードの名手でもあります。 父はバトナ出身のユダヤ人で、母はフランス人ですが、父親が死ぬと、第一次世界大戦中 に捨てられ、コンスタンティヌの非常に貧しいユダヤ人の家族の養子にされました。
彼はシェイフ・シャクレブやシェイフ・ベスタンジのようなアルジェリア音楽の達人たち の指導のもとで勉強し、彼自身の楽団を設立するまでになりました。 エンリコ・マシアスの父シルヴァン・グレナシアもバイオリニストとして加わります。 1956年から1961年までの間に何枚かのシングルと30枚を超すアルバムを出しています。
しかし1961年6月22日に彼はコンスタンティヌの市場(スーク)で買い物をしている時に うなじを銃弾で打ち抜かれ殺されます。犯人はアルジェリア民族解放戦線の闘士でした。 平和を愛した偉大なアーチストの死に市民は悲しみに包まれました。
後に彼の娘スージーはマシアスと結婚をしたので、マシアスにとって彼は義父となります。

お宝探しの旅


シェイフ・レーモン
「Amazigh」の詩
(コンスタンティヌのマルーフ音楽)
テレビでマシアスと彼の父シルヴァンが古いレーモンの録画を見ています。
ウードを弾きながら歌うレーモンとその楽団の名前が字幕に表示されます。
また最後のほうでマシアスのコンスタンティヌ時代の旧住まいなども出てきます。



シェイフ・レーモン
Insiraf mahboubatisとfarakouni
画面は古い写真一枚です。
左から順にマシアス、彼の父親、シェイフ・レーモンが
並んでいます。


(作成:2011年09月25日)