☆ 該当曲データ
台湾曲 曲名曼卡灣梭羅
歌手紀露霞 
作詞 
作曲 
歌い出し曼卡灣梭羅 看水思念哥 
初盤 紀露霞、林英美『南國椰樹下』
1957年 亞洲唱片 AL-135 (LP)
日本曲 曲名ブンガワン・ソロ
歌手松田トシ 
作詞松田トシ 
作曲グサン・マルトハルトノ 
歌い出し果てしなき 清き流れに 
初盤 松田トシ「ブンガワン・ソロ」
/霧島昇「夢去りぬ(ルムバ)」
1948年02月 日本コロムビア A363 (SP)
原曲原題(ジャワ/爪哇):「Bengawan Solo」
訳〜ソロ川/梭羅河〜
1940年、Gesang Martohartono 
関連文雅灣梭羅」(台) 「梭羅河畔」(華)
梭羅河之戀」(華) 
履歴◎登録 2003年05月01日
伊 謄さん情報提供(2003年05月01日)
備考 

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No.2398 お名前:ふき   投稿日:2023年02月04日(土) 14時22分52秒

Dragon颱風さん、こんにちは。

三波春夫「船頭一代」と黄清元「我的娜娜」(華)
三波春夫「船頭一代」と唐飛「癡情台西港」(台)
三波春夫「船頭一代」と林峰「漂浪的行船人」(台)
三波春夫「船頭一代」と洪文斌、謝雷「相逢在故郷」(台)
霧島昇「夢去りぬ」と謝雷、潘秀瓊、敏華「夢去了」(華)
霧島昇「夢去りぬ」と王秀如「夢去了」(台)
三条町子「東京悲歌」と姚蘇蓉「濛濛細雨」(華)
登録完了しました。

ただし、「夢去りぬ」の「作詞:原六郎」は誤りと思われます。手持ちの歌謡曲集の記述では、どれも「作詞:奥山靉」となっています。名前は「雲と愛」が一つになったあまり見かけない文字で、読みは「あい」です。ちなみに「日本の詩情」という歌集には「作詞:奥山靉、補詞:村雨まさを」となっているので、あるいは共作かも知れません。(C)ZEN-ON Musicのクレジットがあるので、信ぴょう性は高いと思いますので、作詞者は一応奥山靉としました。
ちなみに、この霧島昇の「夢去りぬ」は松田トシ「ブンガワン・ソロ」のレコード(SP)のB面です。

それから三条町子「東京悲歌」の北京語カバーである余天の「濛濛春雨」と姚蘇蓉「濛濛細雨」はどちらも慎芝の作詞ですが、歌詞はまったく異なるので、別曲として登録しました。

また「心聲涙痕」(國)と「可憐的小姑娘」(台)の原曲が韓国というのは全然知りませんでした。ただ、その日本語版といわれる「乙女の涙」に関しては、以前徹底調査をしましたが、日本側に何の資料も見つかりませんでした。「姑娘よもう泣かないで」もあわせて、どちらも台湾製の日本歌ではないかという疑念が生じます。さらにその歌を歌ったという「松原靜韻」についてもよくわかりません。あるいは戦前台湾に住んでいた日本人歌手かどうか、もう少し調査が必要のようです。

たくさんの情報をありがとうございました。
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河畔」について

No.636 お名前:Yam   投稿日:2004年12月16日(木) 19時55分27秒

[泉一p110] 顧媚 梭羅河畔 Along The Solo River
司徒明詞 曲馬來西亞民歌
(曼卡灣梭羅 月色正迷濛)
[泉一p137] 潘秀瓊 梭羅河之戀 Bangawan Solo
方忭詞
(我愛梭羅河 美麗像畫一樣)

[張夢瑞金p91] 潘秀瓊 梭羅河之戀
[張夢瑞金p104] 潘迪華 梭羅河畔 印尼民歌

book1992.06 懷念老歌精選1~5 泉源出版社
book張夢瑞著 金嗓金曲不了情 2003/11/3 聯經出版公司
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河之戀」について

No.631 お名前:Yam   投稿日:2004年12月10日(金) 12時16分14秒

同樣曲子 馬來西亞,印尼一帶的民歌
顧媚 紫薇~梭羅河畔 Along The Solo River 填詞:司徒明 (曼卡灣梭羅~)
潘秀瓊~梭羅河之戀 Bangawan Solo 填詞:方忭 (我愛梭羅河~)
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河之戀」について

No.290 お名前:せんきち   投稿日:2003年11月12日(水) 23時12分29秒

ふきさん、ご無沙汰しております。
「梭羅河之戀」の作詞者・方[小卞]の正体がわかりました。
1909年生まれの作詞家兼脚本家の陳蝶衣でした。
「香格里拉」や「断腸紅」を作詞した人です。
脚本での代表作には、「桃花江」(1956)「百花公主」(1959)等があります。
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河畔」について

No.204 お名前:せんきち  E-mail  投稿日:2003年09月13日(土) 20時31分05秒

ふきさん、こんにちわ。
そのすじのサイトでおたづねしたところ、潘迪華の歌う「梭羅河畔」は、英語バージョンしかないそうです。
で、管理人さんのお話では、顧媚がオリジナルではないか、とのことでした。
1958年か59年頃の吹込みらしいです。
大衆のサイトにあったCDにそれ(国語盤)が入っているとよいのですが。。。。
管理人さんによると、90年代に復刻盤が出たらしいのですが。

せんきちさん

No.191 お名前:ふき   投稿日:2003年09月12日(金) 03時14分18秒

こんにちは。
歌手のカタカナと原名漢字の対応表、ありがとうございます。漢字で書かれると、ずっとわかりやすくなりますね。それでも香港あたりの歌手は、初めて見る歌手もチラホラいます。韓国の歌手もいるんですね。なるほどタイトル通り「アジアン・カバーズ」なんだなあと、納得しました。台湾以外の歌手はほとんどわかりませんが、意外に少ないのには驚きました。

「ブンガワン・ソロ」についてですが、潘迪華は香港の歌手で、この「梭羅河畔」の原唱歌手ということでよろしいのでしょうか。それに台湾の紫薇も古参歌手の一人ですね。とりあえずこの二人を歌手欄に追加しました。顧媚という歌手も相当古そうですが、初めて知りました。一体どこの国の歌手なのだかよくわからないので、一応保留にしてあります。
次の問題は、司徒明作詞版と、方[小卞]作詞版とでは、一体どちらが古いのだろうかということになりますが、これを調べるのはかなり難しそうですね。
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河之戀」について

No.189 お名前:せんきち   投稿日:2003年09月11日(木) 23時13分08秒

たびたびたびすいません。
梅艶芳のやつは、こちらの広東語バージョンでした。
というわけで、除外いたします。
すいませんです。
「ブンガワン・ソロ」と「梭羅河畔」について

No.188 お名前:せんきち   投稿日:2003年09月11日(木) 23時07分44秒

ふきさん、度々失礼します。

「梭羅河畔」、こんな歌手も歌っていました。

紫薇
http://www.h2.dion.ne.jp/~toukeido/favorite/my%20favorite.htm

顧媚 
http://www.ne.jp/asahi/bai-dai/tokyo/classicCD05.htm

潘迪華
http://www.rakuten.co.jp/athine/390964/480515/429042/431784/

梅艶芳
http://www4.ocv.ne.jp/~morikei/NewFiles/BGM3.html

私の記憶では、たしか潘迪華がこちらの方のオリジナルだったと思うのですが、そうだとすると、50年代頃になりますね。
ちなみに、司徒明は、50年代頃から香港で活躍した作詞家だったはずです。

あと、『ブンガワン・ソロ』の曲目解説がありました。
[ブンガワン・ソロ] ソロ生まれの竹笛奏者グサン・マルトハルトノ(85)の1940年の作品。ある昼下がり、ソロ川の岸でめい想していたら「川が曲を奏でている」イメージが浮かび、歌に仕立て上げたという。竹笛と胡弓を駆使した切なく穏やかな旋律は、かつてジャワ島に根を張ったポルトガル移民が作ったとされるクロンチョン音楽の形式を踏襲するもので、たちまちジャワ人の愛唱歌となった。

ではでは。

ブンガワン・ソロ

No.126 お名前:たんげ   投稿日:2003年06月18日(水) 09時54分01秒

ありゃ、いつのまにか、こっちの板も使っていたんですね。
ブンガワン・ソロは、謝采[女云]も2in1で歌っていたなと思って探してみたらありました。「夜来香+梭羅河之戀」で、謝采[女云]が主に夜来香を、コーラス部隊が主に梭羅河之戀を同時に歌っているという強引な編曲のものです。
あとお呼びでないでしょうが、南方所属の広東語歌手ケ瑞霞も「梭羅河之戀」というタイトルで歌っていますね。南国調ののどか過ぎるアレンジでちょっとパスしたいところですが。
なるほど、了解です。

No.123 お名前:ふきのとう  E-mail  投稿日:2003年05月03日(土) 00時50分18秒

伊 謄さん、こんにちは。その本が「30年代」にとらわれず、古い時代の曲集ということなら、非常にわかりやすいですね。尤雅の名前が出てくるところを見ると、おそらく1970年代以降の出版じゃないでしょうか。このころは國語歌謡も盛んでしたので、歌謡曲集も多数発行されたことと思います。

潘秀瓊の詳細なプロフィールも有難うございました。なるほど澳門生まれのマレーシア育ちでしたか。伊 謄さんのご推察とおり、「ブンガワン・ソロ」を彼女がマレーシアで耳にしたというのは大いにありえます。そもそもインドネシアとマレーシアは地理的に近いだけでなく、言語も宗教もほとんど同じなんですね。インドネシアであれだけ人気のある歌がマレーシアでも同様に人気があるということは容易に想像できます。また澳門生まれということも彼女をボーダーレスの歌手にしたんでしょうね。「アリラン」の北京語版を歌っているのもうなずけます。もしかして黄思[女亭]の「阿里郎」と同じかな(独り言?)。
潘秀瓊…1950〜60年代の大スター

No.122 お名前:伊 謄  E-mail  投稿日:2003年05月02日(金) 22時05分20秒

 ふきのとうさん、こんにちは。
 潘秀瓊ですが、澳門生まれでマレーシア育ちですから国籍は中華民國かもしれません。「ブンガワン・ソロ」はマレーシアで耳にしていたのではないでしょうか。今年がだいたいデビュー50年で現役ですが、百代とは1950年代後半に契約して、低音歌后と呼ばれた大スターでした。おそらく潘秀瓊がオリジナルという曲はふきのとうさんも耳にされているかなと思います。「アリラン」の北京語版も潘秀瓊が最初のようです。
 他には「情人的眼涙」・「家家有本難念的經」・「回娘家」・「愛情像氣球」・「小村娘賣西瓜」等のヒットがあります。
 現在は住いはシンガポールかもしれませんが、契約は南方のようです。
「ブンガワン・ソロ」の台湾産北京語曲発見

No.119 お名前:伊 謄  E-mail  投稿日:2003年05月02日(金) 03時04分25秒

 ふきのとうさん、こんにちは。
 「ブンガワン・ソロ」の台湾産北京語盤は尤雅の版があるようです。

北京語曲
曲  名:梭羅河畔
歌  手:尤雅
作  詞:司徒明
作  曲:Gesang
時  期:
歌い出し:曼卞灣梭羅 月色正朦朧
備  考:
 台湾の立誼出版社が出した『30年代國語老歌曲』という本が情報源で、海山唱片から出されているそうです。
ブンガワン・ソロ

No.115 お名前:ふきのとう  E-mail  投稿日:2003年05月01日(木) 21時10分11秒

伊 謄さん、こんばんは。
たしかNHK(?)だったような気がします。2、3ヶ月位しか経っていないのに、最近はすかり忘れっぽくなりました。現地で、「ブンガワン」が「川」の意味で、「ソロ」がそこの地名だと説明がありました。作者のGesangもすっかり歳をとっていましたが、若き日を思い出しながら、「ブンガワン・ソロ」を歌ってくれました。兵士の士気を高揚するのに歌が重要な役割をするということを知っていた旧日本軍は、インドネシアに進駐した際も、国民的人気のあるこの「ブンガワン・ソロ」を利用しようとしたというのです。私はそのとき松田トシさんのことは知らなかったのですが、たぶん番組にも過去か現在の彼女の映像は出ていたと思います。
「Changing Partners」という曲名は聞いたことがありますが、メロディーはさっぱり浮かんで来ません。これもかなり有名な曲でしたか。やはり「田納西華爾滋」という題名をつけられるくらいですから、ワルツ調なのでしょうね。
伊 謄さん

No.113 お名前:ふきのとう  E-mail  投稿日:2003年05月01日(木) 02時59分53秒

またまた、ありがとうございます。
パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」はあまりにも有名なのですが、「Changing Partners」(英)=「田納西華爾滋」(台)でよろしいのでしょうか。一応登録はしておきました。
紀露霞は膨大な曲を歌っているので、これらの外国語カバー曲は全体から見たらのほんの一部なんでしょうね。

それから「ブンガワン・ソロ」のほうですが、日本語の歌詞が以下のURLで見つかりましたので、原語と入れ替えさせていただきました。一応「日台共通歌曲」ということで、日本語最優先なものですので、ご理解ください。

http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/articles/20021121sc22.htm

そういえば何ヶ月か前ですが、おそらく「ブンガワン・ソロ」の作者Gesangを尋ねて、インドネシアに取材に行った番組を見ました。内容はほとんど忘れてしまいましたが、戦争中にはこの歌がいろいろ利用されたとかいうようなことでした。伊 謄さんはご覧になりましたでしょうか。




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