☆ 該当曲データ
台湾曲 曲名情短意綿綿
歌手紀露霞 
作詞黃國隆 
作曲 
歌い出し忍不住忍不住 忍不住傷心的満腹稀微 
初盤 鄭日清、紀露霞『秋夜琴聲』
1958年 亞洲唱片 AL-285 (LP)
日本曲 曲名別れの一本杉
歌手春日八郎 
作詞高野公男 
作曲船村徹 
歌い出し泣けた泣けた こらえきれず泣けたっけ 
初盤 春日八郎「小島の鴎/別れの一本杉」
1955年11月 キング C1277 (SP)
原曲 
関連心愛請原諒」(台) 
履歴◎登録 2023年02月17日
Dragon颱風さん情報提供(2023年02月17日)
備考台湾曲は「望你記著」の別名も有り 

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登録

No.2553 お名前:ふき   投稿日:2023年10月03日(火) 19時50分18秒

アツトさん、こんばんは。

春日八郎「山の吊橋」と葉啓田「思念彼個人」(台)
登録完了しました。

遅くなりましたが、ありがとうございます。

それから、「望你記著」に関してですが、まず最後の字「著」は「着」の原字であり、日本ではこの二字を厳密に使い分けていますが、中国や台湾では互換文字として、使う場合があります。この場合は互換文字ですので、どちらを使ってもかまいません。
さて、本題に入ります。紀露霞の「望你記著」は「情短意綿綿」の別名とされていて、混同されがちですが、正しくは「情短意綿綿」です。これは「別れの一本杉」のカバーであり、いつの間にか「望你記著」も「別れの一本杉」のカバーにされてしまいました。しかしこれは誤りで、「望你記著」は「リンゴ村から」のカバーです。しかし長い間、誤りがそのまま定着してしまったので、YouTubeだけでなく、CDのジャケットの曲名なども誤っている場合があります。著作権無視で、カバーされると、誰にも金銭的負担がないので、こういうことはよくあります。
無題

No.2552 お名前:アツト   投稿日:2023年09月24日(日) 18時51分29秒

ₓYouTubeでは望你記著はリンゴ村からではなく別れの一本杉で出てきますね。リンゴ村からは望你記着で出てきます。
登録と更新

No.2453 お名前:ふき   投稿日:2023年02月18日(土) 00時00分25秒

Dragon颱風さん、こんばんは。

藤島桓夫「石松道中ぶし」と黄三元+文鶯「草地人」(台)
都はるみ「アンコ岬」と尤君「破碎的戀夢」(台)
東海林太郎「赤城の子守唄」と呉晉淮「流浪漢的搖子歌」(台)
登録完了しました。

藤島桓夫「石松道中ぶし」と郭大誠「流浪補雨傘」
→台湾曲の作詞欄に謝麗燕を記入

高石かつ枝「南国エレジー」と文鳳「南國純情曲」
→台湾曲の作詞欄に葉俊麟を記入

春日八郎「別れの一本杉」と紀露霞「望[イ尓]記著」
→曲と詞が同じで、曲名が複数ある場合は、一番有力な曲名のみを掲載し、
その他の曲名はその備考欄に書き込んでいます。

都はるみ「アンコ岬」と郭金發「為伊走千里」
→台湾曲の歌手欄に郭大誠と陳雷を追加
以上更新しました。

ありがとうございます。

甲子慧に関しては、2001年の暮れに「不免講這多」というアルバムを初めて林沐樺の名前で出していますので、これは事実です。
劉文正がアメリカで亡くなったというフゥイクニュースは、本人が一番驚いたでしょうね。いま70歳ですか。まだまだ歌える年齢です。フォーク時代の歌手は日本にもたくさんいて、時々テレビに出ていますが、劉文正もおそらくたまにはオファーがあるのではないでしょうか。頑張って欲しいです。
「別れの一本杉」と「望你記著」について

No.2450 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年02月17日(金) 16時22分53秒

「望Li記著」と歌詞が同じながら曲名が違う曲あり。

曲名:情短意綿綿
歌手:紀露霞《望Li記著と同一》
作詞:黄國隆《望Li記著と同一である筈》
発売:民国46年(1957年)亞洲唱片
【情報源=YouTube:何炳煌。2023年1月配信】

登録

No.2381 お名前:ふき   投稿日:2023年02月01日(水) 12時48分57秒

Dragon颱風さん、こんにちは。

春日八郎「ごめんヨかんべんナ」と紀露霞「求你原諒」(台)
春日八郎「別れの一本杉」と洪榮宏「心愛請原諒」(台)
登録完了しました。
ありがとうございます。
「別れの一本杉」と「望你記著」について

No.2378 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年01月31日(火) 15時14分18秒

「別れの一本杉」の台湾語カバー別バージョン;
曲名:心愛請原諒
作詞:于文
歌手:洪榮宏
歌詞:心愛的心愛的 請諒解我的心内 無限的悲傷

「花笠道中」と「孤女的願望」について

No.1006 お名前:T-35、梧棲  E-mail  投稿日:2007年10月27日(土) 12時53分33秒

ふきさん、今日は。
 花笠道中は私が高校生の頃の歌で、確か美空ひばりと大川橋蔵が主演の東映映画の主題歌だったと記憶しています。日本映画の最盛期でした。
 私が中学生から大学生の昭和30年代は日本の高度成長期で新幹線開通や東京オリンピックがありました。私は昭和38年に就職面接で初めて上京しましたが当時の東京は地下鉄工事中で主要道路は至る所に鉄板が張られていました。
 この時期は地方の多くの若者が東京へ職を求めて移動し始めた時期でもあり『別れの一本杉』、『夕焼けトンビ』、『早く帰ってこ』、『僕は泣いちっち』など東京へ行った恋人、兄弟、息子を気遣い、偲ぶ内容の歌がヒットしたのを懐かしく思います。
 台湾で『孤女的願望』を初めて耳にした時、台湾でも同様な社会現象が起きていたのだと思うと同時に台湾人は明るいメロディーにこんな歌詞を付けるのだと或る種のカルチャーショックも受けました。




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