再見
No.2547 お名前:Dragon颱風
投稿日:2023年06月22日(木) 19時52分52秒
ふきさん、こんばんは。
貴寄稿文、拝読しました。最初にお断りして置きますが、これが私の本欄への最後の寄稿と決めましたので、私の偽らざる本音で綴りたいと思います。 先ず最初に、「歌手林翠萍は知らない」との当初の返答には意外でしたが、誰にも知らない歌手がいるのは当然の事であり、現に私にも知らない歌手が沢山います。その後、林翠萍なる歌手の存在を認識されたことを素直に喜びたいと思います。 林翠萍を意図も簡単に「単なるカバー歌手に終わったようである」との文面を見た時、ふきさんは果たして林翠萍の動画を何本観られたのか、更なる資料などを追跡調査されたのかどうか、その時点では正直些か落胆しました。 私はこれ程までに長い期間を費やして数えきれない位までに林翠萍の動画を探し求め、漸く本人のオリジナル曲であると確信した2本のMVがそれでした。原曲のカバー曲を探すのはこれまでは差ほど時間を費やすことは無く、資料不足の曲は直ぐに諦めました。こんなに執着した歌手は今回の林翠萍以外はいません。ふきさんが発見された歌詞サイトは私も目にしていますが、先般、書き忘れたものです。1995年に台湾歌謡界から去り、シンガポールで再出発を求めたことは、ふきさんが言われる通り、歌手を辞めたくなかったことが量り知れます。実は、シンガポールで名を馳せた台湾歌手の歌謡特集をシンガポールから配信する或る動画を観た後、その動画版主宛に「林翠萍は知っているのか」のコメントを残しておいた所、即刻に返信がありましたが、林翠萍は印象に無いとの回答がありました。シンガポールで1999年にアルバムを出していたにも関わらず、彼女の曲は彼の国ではどうやら芽が出なかったことが少なからず推察できます。又、彼女が粤語(広東語)曲も出していたのは同地で粤語を会得したであろう訳が成る程納得できました。
林翠萍に関してはネット上で色々な書き込みが見られます。「林翠萍は1995年に人間蒸発した。彼女は死んでしまったのか。何処で彼女に逢うことができるのか」等等。分かっていることは、56歳になった現在、一般人として平々凡々に暮らしているとのことです。
林翠萍関連でもう一件。私のフォロワーの一人である林玉英(2018年6月6日57歳で死去。彼女の人生は波乱万丈でした)の動画もよく観ていますが、林玉英動画のサムネイルの写真が何故か林翠萍の写真に入れ替わって掲載されているのを頻繁に目にします。同じ林姓故による勘違いかも知れませんが、「その写真は林翠萍だよ!」と何度コメントしても丸でお構い無しです。サムネイルを差し替えて再配信すれば済むことです。台湾のYouTube動画はこの種の単純ミス、サムネイルの曲目リストの杜撰さは日常茶飯事です。国民性の違いから来るものであることは容易に推察できます。良い意味で「細かい事は気に止めない。物事に対しておおらか」。その点、日本人製作のYouTubeチャンネルは編集がしっかりしており、安心して利用できます。しかし、外国人(恐らくC,K,T国人)が日本から日本語曲を専門に配信しているヘンテコなチャンネルも多数あることも事実です。
話しを本題に戻します。カバー曲探しはもう止めることにしました。差し出がましいですが、本サイトは「日台共通歌曲」の名が示す通り、カバー曲は台湾歌手のみを採用し、台湾歌手以外は除外対象とすべきかと思います。原唱者が大陸又は他の中華圈の華人歌手しかいない場合は致しかねありませんが、原則、日対台の路線、方針としているのであれば、それを貫き通すのがやはり妥当ではないかと余計な節介ではありますが、私はそう思います。その点では、私も些か調子に乗り過ぎた感があります。
冒頭でも言及しましたが、この寄稿を以て最後としたいと思いますので、私がこれまでに「日台共通歌曲」、「掲示板」に寄稿したものは備考欄の情報提供者の私の名前を含め全て消去して下さい。YouTubeチャンネル登録した動画に書き込みした私のコメントは登録解除すると同時に全て削除しています。自身のコメントを残して置きたくないのが私の性分だからです。
林翠萍の件は私のささやかなプライドを傷つけられたような思いが払拭できません。失礼は承知で述べますが、台湾歌謡には長年来に亘り私なりに蓄積した知識や情報を持っていることを秘かに自負しております。日本の主要懐メロ及びその台湾のカバー曲の明細(原曲名/カバー曲名/其々の発売年月日)は備忘録として書き記して残しています。 蔵書、レコード、CDをお持ちで且つ長けた情報収集力に於いては、私は到底ふきさんの比ではありません。私が台湾旅行の際に買ったレコード、カセットテープは李珮菁(この歌手知っていますか)、銀霞、陳一郎(デビュー曲:行船人的純情曲収録あり)、陳盈潔、知人を介して入手した江惠、龍飄飄、程度です。私が頼る手段は前述の備忘録、YouTube、ウィキペディア、懇意にしている国外YouTuber、その他ネット情報源しかありません。
幸い私には懇意にしている4名のユーチューバーがいます。日本人1名、台湾人3名です。中でも日本のその人は弱冠21歳にも関わらず、日本の懐メロに相当精通しており、祖父の影響で幼少期より懐メロを聴いているとのことで、小学生から懐メロレコードコレクターであるとのことです。彼には日本の古い曲の原作者/曲名/歌手/発売年を教えて貰ったことが何度もあります。 3名の台湾YouTuberの中に何度か 紹介したことがある何炳煌氏がその一人です。何氏とは長い間情報交換しており、良好な交流を築いています。もう一方の台湾人は現在多忙なため長らく連絡が途絶えていますが、その人は林翠萍の歌も聴くのが好きとのことで、交流再開の際には林翠萍の詳しい情報(特にオリジナル曲の詳細)を訊きたいと思っています。
これは重要な件と思いますので、報告して置きます。何炳煌氏が「可憐的小姑娘」をアップロードした時にこの曲の日本語版「乙女の涙」の件を質問したところ、何氏の回答では日本語版は台湾の「〇X唱片」(〇Xは敢えて匿名表記にします)で発売されていたようです。何氏は「好像」の表現を用いられていますが、私は確かであろうと見ています。現在調査中で、結果が判り次第、再連絡するとの頼もしい知らせがありました。
極一部を除き台湾のYouTube動画は信頼性に欠け、はっきり言って、いい加減過ぎます。特に日本原曲を軽ろんじています。配信主が本当に台湾人なのか不思議に思うこと頻りのチャンネルも多数あります。それでも動画は略毎日観ていますが、よっぽどのことがない限り、コメントは残してはいません。
最後に今やどうでもいいことですが、蔡可茘カバーの「失落情」は楊宗憲の台語原唱版とは違い、出だしから歌詞が入っいますが(これは恐らく編曲者の意図によるものと推測)、それ以外の歌詞は「欲→要」、「袂→抹」の字を除き全く同じで、台語填詞も同じく古秀如です。但し蔡可茘版は陳雷版の別カバー(作詞:徐樂融)[作曲:徐嘉良は明らかに誤り]の曲名「往事就是我的安慰」の2バージョンが収録されています。しかしながら、この曲を作曲された網倉一也は素晴らしい作曲家(兼シンガーソングライター)です。
長々の文になったことをお詫びします。色々とお世話になりました。調査協力及びその他補足して頂いた件は心からお礼申し上げます。
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