☆ 該当曲データ
台湾曲 曲名結果
歌手黃思婷 
作詞 
作曲 
歌い出し情就像是一杯苦酒 為何沾上放不了手 
初盤 黃思婷『阿里郎−國語經典』
2000年 豪記唱片 B-01328 (CD)
日本曲 曲名おまえとふたり
歌手五木ひろし 
作詞たかたかし 
作曲木村好夫 
歌い出しわたしは不幸ぐせ とれない女と 
初盤 五木ひろし「おまえとふたり/夜風」
1979年09月 徳間音楽工業 KA-1183 (EP)
原曲 
関連胭脂」(台) 「祈祷早日再團圓」(台)
履歴◎登録 2003年04月07日*
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No.2547 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年06月22日(木) 19時52分52秒

ふきさん、こんばんは。

貴寄稿文、拝読しました。最初にお断りして置きますが、これが私の本欄への最後の寄稿と決めましたので、私の偽らざる本音で綴りたいと思います。
先ず最初に、「歌手林翠萍は知らない」との当初の返答には意外でしたが、誰にも知らない歌手がいるのは当然の事であり、現に私にも知らない歌手が沢山います。その後、林翠萍なる歌手の存在を認識されたことを素直に喜びたいと思います。
林翠萍を意図も簡単に「単なるカバー歌手に終わったようである」との文面を見た時、ふきさんは果たして林翠萍の動画を何本観られたのか、更なる資料などを追跡調査されたのかどうか、その時点では正直些か落胆しました。
私はこれ程までに長い期間を費やして数えきれない位までに林翠萍の動画を探し求め、漸く本人のオリジナル曲であると確信した2本のMVがそれでした。原曲のカバー曲を探すのはこれまでは差ほど時間を費やすことは無く、資料不足の曲は直ぐに諦めました。こんなに執着した歌手は今回の林翠萍以外はいません。ふきさんが発見された歌詞サイトは私も目にしていますが、先般、書き忘れたものです。1995年に台湾歌謡界から去り、シンガポールで再出発を求めたことは、ふきさんが言われる通り、歌手を辞めたくなかったことが量り知れます。実は、シンガポールで名を馳せた台湾歌手の歌謡特集をシンガポールから配信する或る動画を観た後、その動画版主宛に「林翠萍は知っているのか」のコメントを残しておいた所、即刻に返信がありましたが、林翠萍は印象に無いとの回答がありました。シンガポールで1999年にアルバムを出していたにも関わらず、彼女の曲は彼の国ではどうやら芽が出なかったことが少なからず推察できます。又、彼女が粤語(広東語)曲も出していたのは同地で粤語を会得したであろう訳が成る程納得できました。

林翠萍に関してはネット上で色々な書き込みが見られます。「林翠萍は1995年に人間蒸発した。彼女は死んでしまったのか。何処で彼女に逢うことができるのか」等等。分かっていることは、56歳になった現在、一般人として平々凡々に暮らしているとのことです。

林翠萍関連でもう一件。私のフォロワーの一人である林玉英(2018年6月6日57歳で死去。彼女の人生は波乱万丈でした)の動画もよく観ていますが、林玉英動画のサムネイルの写真が何故か林翠萍の写真に入れ替わって掲載されているのを頻繁に目にします。同じ林姓故による勘違いかも知れませんが、「その写真は林翠萍だよ!」と何度コメントしても丸でお構い無しです。サムネイルを差し替えて再配信すれば済むことです。台湾のYouTube動画はこの種の単純ミス、サムネイルの曲目リストの杜撰さは日常茶飯事です。国民性の違いから来るものであることは容易に推察できます。良い意味で「細かい事は気に止めない。物事に対しておおらか」。その点、日本人製作のYouTubeチャンネルは編集がしっかりしており、安心して利用できます。しかし、外国人(恐らくC,K,T国人)が日本から日本語曲を専門に配信しているヘンテコなチャンネルも多数あることも事実です。

話しを本題に戻します。カバー曲探しはもう止めることにしました。差し出がましいですが、本サイトは「日台共通歌曲」の名が示す通り、カバー曲は台湾歌手のみを採用し、台湾歌手以外は除外対象とすべきかと思います。原唱者が大陸又は他の中華圈の華人歌手しかいない場合は致しかねありませんが、原則、日対台の路線、方針としているのであれば、それを貫き通すのがやはり妥当ではないかと余計な節介ではありますが、私はそう思います。その点では、私も些か調子に乗り過ぎた感があります。

冒頭でも言及しましたが、この寄稿を以て最後としたいと思いますので、私がこれまでに「日台共通歌曲」、「掲示板」に寄稿したものは備考欄の情報提供者の私の名前を含め全て消去して下さい。YouTubeチャンネル登録した動画に書き込みした私のコメントは登録解除すると同時に全て削除しています。自身のコメントを残して置きたくないのが私の性分だからです。

林翠萍の件は私のささやかなプライドを傷つけられたような思いが払拭できません。失礼は承知で述べますが、台湾歌謡には長年来に亘り私なりに蓄積した知識や情報を持っていることを秘かに自負しております。日本の主要懐メロ及びその台湾のカバー曲の明細(原曲名/カバー曲名/其々の発売年月日)は備忘録として書き記して残しています。
蔵書、レコード、CDをお持ちで且つ長けた情報収集力に於いては、私は到底ふきさんの比ではありません。私が台湾旅行の際に買ったレコード、カセットテープは李珮菁(この歌手知っていますか)、銀霞、陳一郎(デビュー曲:行船人的純情曲収録あり)、陳盈潔、知人を介して入手した江惠、龍飄飄、程度です。私が頼る手段は前述の備忘録、YouTube、ウィキペディア、懇意にしている国外YouTuber、その他ネット情報源しかありません。

幸い私には懇意にしている4名のユーチューバーがいます。日本人1名、台湾人3名です。中でも日本のその人は弱冠21歳にも関わらず、日本の懐メロに相当精通しており、祖父の影響で幼少期より懐メロを聴いているとのことで、小学生から懐メロレコードコレクターであるとのことです。彼には日本の古い曲の原作者/曲名/歌手/発売年を教えて貰ったことが何度もあります。
3名の台湾YouTuberの中に何度か
紹介したことがある何炳煌氏がその一人です。何氏とは長い間情報交換しており、良好な交流を築いています。もう一方の台湾人は現在多忙なため長らく連絡が途絶えていますが、その人は林翠萍の歌も聴くのが好きとのことで、交流再開の際には林翠萍の詳しい情報(特にオリジナル曲の詳細)を訊きたいと思っています。

これは重要な件と思いますので、報告して置きます。何炳煌氏が「可憐的小姑娘」をアップロードした時にこの曲の日本語版「乙女の涙」の件を質問したところ、何氏の回答では日本語版は台湾の「〇X唱片」(〇Xは敢えて匿名表記にします)で発売されていたようです。何氏は「好像」の表現を用いられていますが、私は確かであろうと見ています。現在調査中で、結果が判り次第、再連絡するとの頼もしい知らせがありました。 

極一部を除き台湾のYouTube動画は信頼性に欠け、はっきり言って、いい加減過ぎます。特に日本原曲を軽ろんじています。配信主が本当に台湾人なのか不思議に思うこと頻りのチャンネルも多数あります。それでも動画は略毎日観ていますが、よっぽどのことがない限り、コメントは残してはいません。

最後に今やどうでもいいことですが、蔡可茘カバーの「失落情」は楊宗憲の台語原唱版とは違い、出だしから歌詞が入っいますが(これは恐らく編曲者の意図によるものと推測)、それ以外の歌詞は「欲→要」、「袂→抹」の字を除き全く同じで、台語填詞も同じく古秀如です。但し蔡可茘版は陳雷版の別カバー(作詞:徐樂融)[作曲:徐嘉良は明らかに誤り]の曲名「往事就是我的安慰」の2バージョンが収録されています。しかしながら、この曲を作曲された網倉一也は素晴らしい作曲家(兼シンガーソングライター)です。

長々の文になったことをお詫びします。色々とお世話になりました。調査協力及びその他補足して頂いた件は心からお礼申し上げます。
新規曲

No.2531 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年06月11日(日) 19時50分34秒

ふきさん、こんばんは。

「蕃社の娘」が登録されていないのが不思議に思っていました。色々と調べてみましたが、しっくりしない部分もあったものの、自分ながら纏めた結果を報告します。

◎蕃社の娘
原唱:佐塚佐和子(芸名:サワ·サツカ)
作詞:栗原白也
作曲:唐崎夜雨([登β]雨賢)
歌詞:蕃社(やま)の娘の 真心は 赤い瑪瑙の首飾り
発売:1939年7月日本コロンビア
【情報源及び音源=YouTube:呉達榮、Daniel Ditlevson、davidcobragt、Wikipedia、Ameba ブログ(https://ameblo.jp)】
《補足:歌詞添付のサイトもありますが、歌詞は殆ど聴き取りです。作詞者に付いては栗原百也(国立国会図書館サイト)とも記されていますが、これは恐らく入力ミスではないかと思われます。大半の資料には栗原白也と記載されており、ウィキペディアでは、栗原白也名義作詞の「想い出の蕃社」も載っています》

◎国語版:姑娘十八一朶花 (補足の項参照)
歌手:劉韻(原唱?)、美黛、テレサテン、鳳飛飛
作詞:(補足の項にて言及)
歌詞:十八的姑娘一朶花 一朶花 眉毛彎彎眼晴大 眼晴大
発売:1959年(劉韻版発表のこの年が早期版?)
【音源=YouTube:Kent Music、Henry Chen、好歌大家唱、除了[イ尓]、suatsee6868】
《補足:曲名は以外に「十八姑娘一朶花」、「十八的姑娘一朶花」ともありますが、「姑娘十八一朶花」が先発版ではなかろうかと思い、それを採用しました。作詞者も莊奴、求如、周藍萍と各者あり、訳が分かりません。原版と思しき劉韻版の莊奴が有力ではないかとも┅。果たして如何に?》

◎台語版:十八姑娘
歌手:文夏&四姐妹
作詞:文夏(愁人)
歌詞:十八姑娘一蕊花一蕊花 面貌優美真迷人真迷人
発売:民国49年(1960年)
【音源=YouTube:何炳煌】

取り敢えず投稿しました。

新規曲/その他

No.2503 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年03月21日(火) 15時32分28秒

ふきさん、こんにちは。愈々、春到来ですね。とは言っても当地は既に初夏のような日和を感じています。

◎こころ酒
歌手:藤あや子
作詞:三浦康照
作曲:山口ひろし
歌詞:泣いて甘えるあなたがいたら 耐えてゆけます 辛くとも
発売:1992年9月1日
【音源=YouTube動画:てんとう夢虫】

☆台語版
曲名:一生陪伴[イ尓]
作詞:チャン·淑貞
歌手:チャン·雅·ウェン
歌詞:絶情話[イ尓]開嘴 我知[イ尓]也無願意
【音源=YouTube動画:雅[麗鳥]唱片yalee】
《日本漢字に無い字は片仮名又は合成文字を使用しました》

以前、話題に採り上げました「舊情綿綿」(台)→「忘られぬ恋」(日)、「昨夜星辰」(国)→「今夜の星はきらめく」(日)、「心聲涙痕」(国)&「可憐的小姑娘」(台)→「乙女の涙」(日)、「惜別的海岸」(台/国)→「渚の思い出」(日)に続き、同パターンの新種「台/国→日」バージョンが出て来ました。 

@淡水暮色(原唱:洪一峰)→日本語版:日暮れの河
A風中燈(原唱:方瑞娥)→日本語版:風に灯火ゆれる
B心事誰人知(原唱:沈文程)→日本語版:誰も知らないあの面影よ
C愛[才并]才會贏(原唱:葉啓田)→日本語版:失敗は成功のもと
《余談ですが、Cの日本語版曲名と意味が似たチャン·ヤー·ウェン歌/作詞、頴川作曲の「失敗成功之本」なる曲がありますが、この曲は日本曲で、作曲:頴川は竜鉄也ではないかと思っています。後で調べてみますが…》
D我怎麼哭了(原唱:林淑容)→愛の涙
《@〜Dの原唱歌手にもし誤りがあればご容赦下さい》

@〜Dの日本語版の動画は何れもYouTuber本人によるカバーであり、日本語カバー版の作詞者及び原唱歌手は当然ながら全曲不明です。これらも原版発売後に台湾在住の日本人により作られたものなのでしょうか。只、中には怪しげな日本語歌詞の字幕が出ており、実に奇妙な一連の動画集になっています。

ところで、先般と今般に出て来ました「昨夜星辰」の日本語版「今夜の星はきらめく」件ですが、当時触れておくべきところを忘れていました。或る動画の字幕では「作曲:童町子」という記載があり、これは「日本原曲なのか?」と当初疑念を抱きましたが、良く考えてみれば、作詞:呉恒、作曲:張勇強、原唱:林淑容、であることに気付かされたところ、北米の華人閲覧者から「童町子」は「竜町子」の誤記であるとのコメントを貰い、直ぐに調べた結果、やはり「竜町子」の謝りであることが判りました。資料には「竜町子(1951年9月30日〜)は日本の作詞家、訳詞家である」と紹介されています。この国の動画の字幕表記ミスは相変わらずなことであると同時に思った次第です。

「我怎麼哭了」に関しても作詞:孫儀、作曲:劉明瑞、発売:1984年であることは確認済みです。



Re.

No.2479 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年03月04日(土) 21時03分37秒

ふきさん、今晩は。

「魚河岸の石松」の件、お知らせ下さり有り難うございました。
私も「石松の恋」が日本テレビ番組「魚河岸の石松」の主題歌であると記されていたことは目にしていましたが、台湾側の記載を信じ込み、そのように投稿してしまい、結果的にふきさんにご足労をお賭けしまったことをお詫びします。

失礼な言い方になるかもしれませんが、しっかりと裏付けも取らずに台湾側の情報を鵜呑みにしてはいけないという教訓を得ました。
実は台湾側の動画に原曲「新石松ぶし」(原唱:照菊/作詞:上田たかし/作曲:飯田三郎/1953年キングレコード発売)の台湾語カバー曲「魚岸的好男子」(演唱:文夏)及び「女性的氣魄」(演唱:方瑞娥)が配信されていますが、肝心の照菊歌唱の原曲動画が見付からず、照菊に関する資料も全く得られていません。台湾側がどのルートを通じて知り得たのか不思議に思っています。尚、同様な事例はまだ他にも多数あります。
登録

No.2470 お名前:ふき   投稿日:2023年02月26日(日) 22時09分02秒

Dragon颱風さん、こんばんは。

及川三千代「夕日の波止場」と美惠「孤女悲歌」(台)
登録完了しました。
ありがとうございます。

「孤女悲歌」のYouTube画面には鮮明なレコードジャケットがありますが、残念ながら「獅王唱片」以外の情報は見られません。タイトルは「孤女悲歌 美惠 (日曲:黄昏的碼頭)」となっているのに、概要欄は「孤女悲哀」となっています。Dragon颱風さんのご推察通り、これは誤りでしょう。いかにも台湾人らしい「大らかさ」です。「台語歌真正正字歌詞」(https://hackmd.io/@Et47FKHKRS2m83n-aEjwAA/SycmsqWH4?type=view)には、美惠の歌が6曲掲載されていますが、曲名は「孤女悲歌」です。結果的に文鶯の歌と同名異曲になりますね。

別件の林俊彦ですが、おそらく彼は日本人です。以前、台湾の歌謡番組「雙喜臨門」や「黄金夜總會」のビデオを見たことがありますが、林俊彦もたまに出ていました。たしか「自分は日本人だ」とか言っていたような記憶があります。ただ林俊彦は台湾語も話せるので、日本から進出した歌手ではなく、台湾生まれの歌手ではないかと思います。そのビデオは捨てようと思って、ダンボールに入れてありますが、まだ押入れにあります。ビデオデッキも全然使っていないので、正常に動くかどうかわかりませんが、明日やってみます。台湾の歌謡番組は歌だけでなく、トークもあるので、林俊彦が何か自分の経歴について、話をしているかも知れません。
「月夜船」と「路頂的小姐」について

No.2437 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年02月14日(火) 17時11分45秒

「月夜船」の原唱者及び台湾国語カバー曲

原唱者:波平暁男(なみひらあきお)
発表:1944年
【情報源=YouTube:ロデ夏目、11听歌小号(概要欄解説)】

☆台湾国語版
曲名:心上人
歌手:李雅芳(1971年)、黄[麗鳥](1971年)、潘秀瓊(発表年不明)、謝采[女云](1989年) 《黄[麗鳥]が台湾人か否かは当方知らず。他、費玉清もカバーしていますが、歌手欄からは除外しました》
作詞:狄Yi(陳蝶衣)《註:Yiは草冠に意》
歌詞:心上人 Ni為何遠得好像雲中月天邊星
【情報源=YouTube:meme ko、Alan Kayangan、choonheng57、11听歌小号】

《補足》作詞者は⑴狄Yi(陳蝶衣)以外に数名の記載も看られましたが、可能な限り調べた結果、⑴がどうやら信憑性がありそうなので、個人的見解ながら、⑴を採用しました。因みに狄Yi(陳蝶衣)についてWikipedia等で更に調べてみた処、同氏には上述の二つのペンネームを含め何と計16のペンネームを持っていることが分かりました。
陳蝶衣は香港人で、私が知っている代表作品に「南屏晩鐘」(崔萍)、「情人的眼涙」(潘秀瓊)、「春風吻上我的瞼」(姚莉)、「我有一段情」(呉鶯音)、「我是一隻畫眉鳥」(鳳飛飛)等が挙げられます。

「心上人」はYouTube:11听歌小号の概要欄説明に依りますと、原唱:劉金蓮、洪鐘とも記載されていますが、その音源は見付かりませでした。

以上、私が可能な限り調べ上げた情報です。ご参考迄に。

《その他情報》昨日『台灣演歌秀』(第147集)を視聴した処、陳奕蘋に改名した筈の彼女が何故か再び原名の陳淑萍の名で出演していました。現在、編集者宛て事実確認中ですが、回答はまだ得られていません。
「みちづれ」と「冬戀」について

No.2350 お名前:Dragon颱風   投稿日:2023年01月21日(土) 12時38分05秒

華語録版「冬戀」に関して:
本曲の原唱者は陳芬蘭であることに間違いはありませんが、その作詞者に付いては今一つ判然としません。YouTube動画を主に調べた結果、以下の記述がありました。
1.作詞:蔣榮伊
2.作詞:孫儀
3.作詞:簡寧
4.作詞:簡寧、作曲:Ralph Siegel
以上ですが、簡寧は香港の作詞家であり、同氏作詞の粤語版の同名曲も有ることが判りましたが、どうやら華語版「冬戀」の作詞者ではなさそうであり、4.に至っては論外と思います。
台湾のYouTube配信動画では相変わらず原作者名の不一致が散見しており、信憑性に欠ける点は否めません。孫儀(本名:孫家麟)説もあるようですが、本件に関しては飽くまでも私見として留めるとして、当該曲の作詞者は蔣榮伊の可能性が高いのではないかと思う次第です。
「長崎の夢の夜」と「夢遊仙公廟」について

No.2293 お名前:Dragon颱風   投稿日:2022年11月30日(水) 22時13分22秒

「長崎の夢の夜」の作者を調べた結果、作詞:木賊大次郎、作曲:小畑実、であることが判明しました。訂正、加筆を要請します。
深秋

No.1297 お名前:ふき   投稿日:2009年02月04日(水) 16時30分58秒

蝸牛さん、こんにちは

葉璦菱「深秋」是劉家昌的作品(1978年)
今井美樹「新しい街で」發行於1990年8月

我聽比較了
結果我認為這兩首不是同一曲
「花笠道中」と「孤女的願望」について

No.997 お名前:堀江 征太郎(T-35、梧棲)  E-mail  投稿日:2007年10月13日(土) 15時48分39秒

公視テレビの台湾歌謡輯(2000年)では孤女的願望は葉俊麟氏が陳芬蘭のために作詞したと解説していました。
レコード会社はあまり売れない方に、葉氏はヒットする方に賭けて、結果は大ヒットしてそれまでの数十倍の作詞料をもらったというエピソードを語っていました。
台湾語の歌詞の内容が台湾が農業社会から商工業社会に発展し始めた時期で田舎から台北などの大都市へ仕事を求めに行く人々の気持ちにぴったり合い、明るいメロディーと相まって老若男女に受け入れられたそうです。
陳芬蘭の招牌歌と呼ばれていますが、ここに採録された以外にも多くの歌手が歌っていますね。
無題

No.935 お名前:windsor   投稿日:2007年01月03日(水) 21時31分25秒

雖然我沒有說:「跟著來吧」
你還是默默的跟在我後面
我二十歲,你十九歲
手提的鍋子裡
連明天的飯都沒有
老婆啊






你沒有怨言,也沒流淚
你笑著說:
「對付貧窮是我最拿手的」
那樣堅強的你
終於有撥雲見日的一天
為了這個日子
流下了眼淚
老婆啊




我們從九尺二間的店出發
剛開始時
是最艱苦的時期
你卻輕鬆的說:
「那就是夫妻」
我們辛苦所得的成果
好好地使它開花結果吧
老婆啊
Re:關於翻唱歌

No.835 お名前:ふき   投稿日:2005年12月27日(火) 21時41分16秒

翻唱老天王さん、こんにちは。
謝謝您的解説
來自日本的台灣翻唱歌很多,不過,例外也並不是沒有的.
這首歌也可能是非日本原産歌.
我也好幾年査著日本歌的資料,可是至今不能得到結果.

「俺らは東京へ来たけれど」收録在「洪榮宏之歌第14集 東洋歌曲7」專輯
(1981年9月、皇冠唱片出版社、CRS-7020)
但當時他才18歳,雖然他有日本留學經驗不那麼長,用日語作詞的還是不容易.
也許是他父親洪一峰幫助他.
龍の演歌

No.586 お名前:ふき   投稿日:2004年08月11日(水) 22時51分23秒

たんげさん、こんにちは
「重逢的港口」は「龍の演歌1」に入っている曲ですね。実はこれがどうしても分かりません。もう少しお待ちください。「[月因]脂」は「龍の演歌4」ですが、これは五木ひろしの「おまえとふたり」と分かりました。ついでに同じアルバムに入っている「[口舎]人對愛情無貪心」もちあきなおみの「矢切りの渡し」と判明しましたので、早速登録しました。どうしてこの2曲だけ分かっていたのに、洩らしていたのかはわかりません。おそらく、ついうっかりというやつでしょう(笑)。ありがとうございます。

「ヤンザラエ」を歌っている西尾夕紀ですが、実は私もよく知りません。この歌は1995年なのでそんなに古くはないですね。昔カラオケ喫茶(昼オケ)でこの「ヤンザラエ」をよく歌う人がいたので、覚えています。彼女の最大のヒット曲のようですね。
http://www.shinei-production.jp/yuki/index.html

西浦は青森県なのでしょうか?
たんげさんへ

No.498 お名前:ふき   投稿日:2004年02月21日(土) 22時48分00秒

よほど、春風妙舞さんの掲示板にて、レスを返そうとしましたが、どう書いたとしても、それが人によっては不快な感じを持ってしまい、結果的に板主さんにご迷惑がかかると思い、こちらに書くことにしました。

たんげさんがあちらの掲示板でお書きになったメッセージがおっしゃる通り「悪乗りしすぎた」底意のない文章であることは、なんとなくわかります。しかしその感じ方は人それぞれで違います。当事者の私にとっては、どんな理由があるにせよ、あの文章を読んだ人の中に、この「日台共通歌曲」の正しいタイトルが歪んで伝わり、その内容も程度の低いものなのではと誤った判断をされた方がいらっしゃるのではないかということを危惧しています。

すでに謝意を表明されていますし、該当のメッセージも削除されているので、もうこの件はこれで終りにしたいと思います。
なお、たんげさんがこちらの「ゴミ箱」に持ち込んだ曲はすべて削除しましたが、そのなかにはとても「ゴミ」とは思えないようなすばらしい曲もありますので、私の主観的な判断で再登録する場合があることをつけ加えておきます。
よしえ続報

No.400 お名前:せんきち   投稿日:2004年01月19日(月) 21時15分52秒

たびたびすいません。調査の結果、柏原よしえは「花梨」のときから「芳恵」と改めた模様です。

http://idolep.hp.infoseek.co.jp/80s/yoshie-kashiwabara/yoshie.htm
「酒與涙」について

No.338 お名前:ふき   投稿日:2003年12月14日(日) 19時06分24秒

たんげさん、こんにちは
尤雅の「酒與涙」の歌詞をネットで探したら、見つかりました。結局白冰冰の内容と違いましたので、別バージョンとして併記しました。それから直感ですが、尤雅のほうがどうも先のような気がします。龍千玉の歌詞は尤雅版と同じですね。

ところで日本語の歌の歌手についてですが、おっしゃるとおり古賀メロディーを歌っている歌手は多数います。もちろん美空ひばりも歌っていますね。美空ひばりはオリジナルだけでも名歌名唱が多いのに、カバー曲まで入れたらものすごい数でしょう。そんなわけで、日本側の曲は原則的にオリジナル歌手だけにしてあります。しかし戦前のなつメロなどを戦後歌ってリバイバル・ヒットとなったような歌手は例外的に掲載しています。たとえば「岸壁の母」(菊池章子→二葉百合子)、「目ン無い千鳥」(霧島昇+二葉あき子→大川栄策)などですね。しかしこれもかなり主観的な判断です。一応シングル盤でヒットしたというのも目安のひとつにしています。

実は前にも書いたかも知れませんが、できれば台湾側の歌手も原唱歌手を突き止め、その歌手だけを掲載したいのですが、資料不足と知識不足でできません。原唱歌手の歌を聞いたこともないという状況では、後続のカバー歌手を列記するしかありません。決してカバー歌手をたくさん集めているわけではなく、結果的にそうなったものです。「媽媽請[イ尓]也保重」はほんとに沢山の歌手が歌っていて、有名な歌ですが、原唱歌手の文夏しか掲載していません。ほんとはこれが理想です。
李俐青

No.216 お名前:ふき   投稿日:2003年09月16日(火) 23時06分13秒

ちろえさん、こんばんは

No.153でちろえさんご自身が述べられているように、「登録済みの曲でマレーシアサイドの歌手の情報は要らないみたいですね。」というのは、結果的に大体合っています。大体というのは、まれに掲載する場合もあるからです。それは、
(1)そのカバー曲の原唱歌手である(これは最優先)。
(2)既に掲載されている歌手よりも年代的に古い歌手である(やや優先)。
(3)台湾でよく知られた歌手である。

私は李俐青という歌手を実は今回初めて知りましたが、上記のどれにもあてはまらないように思えたので、遠慮しました。このデータベースは、歌手名をたくさん集めるのが目的ではなく、最終的には原唱歌手一人でもよいと思っています。ただし原唱歌手はわからない場合が多いので、代表的な歌手4人分の席を設けただけのことです。その辺の事情をご理解ください。
せんきちさん

No.210 お名前:ふき   投稿日:2003年09月14日(日) 02時06分26秒

>潘迪華の件、すいませんでした。

とんでもありません。つい、うっかりは誰でもやることです。こちらのデータベースは最初私一人で作りましたが、その「つい、うっかり」を何度も繰り返しての結果にほかなりません。
したがって長期間にわたる追加、修正が簡単に出来るように設計してありますので、お気軽に情報を提供していただければありがたいです。
案外、潘迪華の国語バージョンがひょっとして見つかった場合は、すぐ復活させますので、よろしくお願いします(笑)。

来週から香港に行かれるとは、うらやましいです。収穫の多いことを願っています。私は香港や大陸に関してはほとんどわかりません。せんきちさんのような詳しい方に来ていただいて、大いに助かります。これからもよろしくお願いいたします。
やっと、「紅線」が昨日届きました!

No.84 お名前:KK  E-mail  投稿日:2003年01月09日(木) 19時34分29秒

>yuさんふきのとうさん
早速、カバー曲追求隊員は、
色々検索した結果、下記の曲が
違うかも知れないけど該当するような気がします。
日本曲聴いた事ないので、
確認してません!あしからず!


1996年頃か?
抱きしめて 大津あきら 浜圭介
前川 清

>yuさん
まだ、じっくりと聴いてないので
感想は、又、後でどこかに書きますね!




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