はじめに 〜エンリコ・マシアスに魅せられて〜

大学生の時だった。学友の下宿で仲間とマージャンをして遊んでいたとき、たまたまラジオから「恋心」の歌が流れて来た。メンバーの一人が「エンリコ・マシアスっていいぞ」とつぶやいた。当時はどちらかというとイタリアのカンツォーネに夢中になっていて、シャンソンはアダモやシルヴィー・バルタンなど少数の歌手しか知らなかったが、偶然、エンリコ・マシアスというすばらしい歌手を知ることになった。

まもなく、レコード屋に行き、見つけたのは「想い出のソレンツァラ」を含む4曲入りのコンパクト盤。初めて買ったマシアスのレコードである。期待を裏切らず、歌はどれもすばらしいものだった。特に曲の最初や途中で弾くギターの音色は震えさえ来るほどすばらしい感動を受け、すっかりマシアスの虜になってしまった。もちろんすぐに「恋心」の4曲入りのレコードも手に入れた。

そして、ジャケットの解説を読み、彼がアンダルシア地方のスペイン人の父とプロバンス地方のフランス人の母を持つアルジェリア出身の歌手であることがわかった。「すごい複雑だな」と思ったが、後になって、実際はもっと複雑で、スペインからアルジェリアに逃れてきたユダヤ人の家系だったこともわかった。これはかなりややこしい。

それはともかく、彼の音楽にはその血統が息づいている。父親もマルーフと呼ばれる民族音楽のバイオリン奏者であった。彼の音楽にはフランス的なもの。スペイン的なもの。アラブ的なもの等が混在する。また、彼は作詞・作曲をするが、別にアダモのように自作自演にはこだわっていない。自分が聞いて気に入った曲は自分で歌詞をつけて歌ったりもする。たとえば、日本の曲「遠くへ行きたい」などもそうだ。とにかく彼は自分の生活そのものを歌にする。だから題材には事欠かない。
1962年に最初に録音し、ヒットさせたデビュー曲「さらば、ふるさと」は、動乱のアルジェリアを離れる船上で作ったものだが、それから約半世紀、マシアスの制作力は少しも衰えていない。故郷と太陽と恋を歌うマシアスはまだまだ意欲的で健在である。

彼は1960年代後半に、アダモとともに日本に新しいシャンソン・ブームを作った。岸洋子ほか多くの歌手が彼の作品をカバーしている。また彼自身何度も来日し、コンサートを行なった。私も1969年に彼のコンサートを見に行ったが、親しみのある笑顔で、子供のように無邪気な感じだ。ところがギターを弾き始め、歌を歌い出すと、その世界に吸い込まれて行く。生まれながらの芸人なのだ。異国の地であろうとなかろうと、彼の音楽は人々の心にしっかり訴え、受け入れられる。すばらしい感動のステージだった。

ただし、私はずっと彼と彼の音楽をフォロウして来たのかというと、実はそうではない。1978年くらいまでがいいところである。それもレコードを買わずに、FM放送でたまに流れる彼の歌を録音して、聞くというスタイルだった。しかしいつしかそれもフェイドアウトし、長い空白の年月が続く。1994年にたまたま横浜でコンサートがあるというので、出かけてみた。懐かしかったのだ。正直言うと、25年前のような迫力は感じられなかった。ギターもほとんど弾いてくれなかったと覚えている。しかしマシアスはそれからも不死鳥のように歌い、新曲を発表していたのだ。なんという芸人魂だろう。

それからさらに15年たったある日、彼の昔のレコードに針を落としてみた。1969年のコンサートの実況録音盤である。忘れていた記憶が甦り、当時の思いに浸った。「やっぱり、いいな」と。それから彼のレコードやCDを集め出した。通信カラオケで「恋心」や「想い出のソレンツァラ」を字幕なしで歌える自分。昔買ったマシアスの楽譜集を開けば、自分用に練習したギターコードがあちこち鉛筆で振られている。「こんな歌も歌えたんだなあ」と今更ながらに驚く。これは青春時代の遺産なのかも知れない。やはり記録に残したい歌手として、マシアスをもう一度見つめなおすことにしたのである。

日本には私よりももっともっと彼の熱烈なファンは沢山いると思う。私は、ずっといつかそれらの人たちの誰かがもっと立派な彼のファンサイトを作ってくれると思い、待っていたが、残念ながら現時点ではまだないようである。そんなわけで、ファンの端くれだが、思い出深い音楽の紹介程度の簡単なサイトを作ってみた。個人の知識や能力には限界があるので、勘違いや間違いが多いかもしれないが、その辺はなにとぞ寛容をもってお許しいただきたい。

(作成:2010年12月11日)