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こちらはゲストブックも兼ねた連絡用掲示板です。
音楽や歌に関連する話題でなくてもかまいません。
お気軽に立ち寄った足跡を残して行ってください。

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ありがとうございます

No.140 投稿者:ふき  投稿日:2021年08月16日(月) 01時35分07秒

KMさん、こんばんは。

私もいい年(70代)ですが、マシアスは現在なんと82歳です。私はノホホンと暮らしていますが、マシアスは現役の歌手として、あちこちでコンサートを開いているんですから、びっくりです。ほんとに元気ですね。KMさんもお元気そうで、何よりです。お互いに長生きしましょう。

無題

No.139 投稿者:KM  投稿日:2021年08月15日(日) 23時12分54秒

ふき様
御返事多謝です!本当にマシアスファンも年をすっかり取ってしまいましたね。マシアスも含めてお互いにあと何年の命か?とも思われる昨今です。日本にも貴殿のような方がおられる事にびっくりし、且サイトを継続して下さって衷心よりお礼を申し上げます。

掲示板のリニューアル

No.138 投稿者:ふき  投稿日:2021年07月25日(日) 21時35分16秒

こちらはエンリコ・マシアス専用の掲示板として、長らく運営して来ましたが、新しくシャンソン、カンツォーネの簡単な紹介サイトを立ち上げたため、掲示板もその中で管理することにしました。
本来なら、新しいサイトには、新しい掲示板を用意しなければならないところですが、来訪者がきわめて少ないことが予想され、こちらの掲示板で十分対応が可能と考え、若干リニューアルして、こちらで投稿をお待ちすることに致しました。
過去の投稿は当然そのまま残りますので、どうかよろしくお願いいたします。

ようこそ

No.137 投稿者:ふき  投稿日:2021年06月21日(月) 09時38分43秒

KMさん、こんにちは。

毎日掲示板をチェックしなければならないのですが、実際は3日に1度くらいです。ほんとうにマシアスファンの方は私も含めてみんな年を取りました(笑)。
海外ではまだ現役でコンサートをしていますが、マシアスが日本に来る可能性はほとんどなく、日本では完全に過去の歌手になっています。若い方はほとんど名前すら知りません。日本版のウィキペディアもなく、このサイトが貴重というか稀少な存在にもなっています。
YouTubeのリンク切れなどを修正しなければならないのですが、何年もそのままで、申し訳ありません。それでもマシアスファンの方がこうして来訪されるのはほんとうに励みになります。これからも細々と更新しながら、続けるつもりですので、どうかよろしくお願いします。

無題

No.136 投稿者:KM  投稿日:2021年06月18日(金) 16時38分46秒

このサイトを閉鎖しないで下さいね。マシアスの大ファンですが、いろいろ勉強させていただき感謝します。Youtubeで80歳のマシアスがイスラエルでのコンサートを見ました。お互いに年を取りましたね。素敵な歌手です。

いらっしゃいませ

No.135 投稿者:ふき  投稿日:2019年10月10日(木) 23時57分52秒

地味変ど理屈さん、こんばんは。

うれしいです。こんな放置サイトにおいでいただき、ありがとうございます。たまにいらしたお客様には大変失礼ですが、コンテンツが長いこと更新されていなくて、心苦しいです。
しかしマシアスは元気ですね。もう80歳になっているのにもかかわらず、ヨーロッパのあちこちでコンサートを開いています。まさに歌手魂でしょうか。地味変ど理屈さんがお書きになっていますが、コンサートで地声で歌ってくれたのもほんとうにファンに対する「おもてなし」があればこそで、ほんとうにファンを大事にする歌手だと思います。
若いころのような声量はもうありませんが、マシアスはまだまだファンを楽しませてくれそうです。
このサイトもよほど閉鎖しようと思っていましたが、まだまだ日本には潜在ファンが少なからずいらっしゃると思い、これからも可能な限り続けて行くつもりです。またいつでも好きな時にお越しください。心からお待ちしています。

感動した😆

No.134 投稿者:地味変ど理屈  投稿日:2019年10月09日(水) 12時03分52秒

はしめまして、こんな素敵なサイトが有ったなんて、出逢えて感動です。今マシアスのCDを聴きながら入力していましす。私は去年還暦迎えたオヤジです。洋楽特にプログレをずっと聞いてきたのですが、マシアスは別格です。小学生の時から大好きです。当時ウチに住み込みで働いていた人が置いていった四曲入りコンパクト盤レコードがあって、恋心と光知らずにとパリに抱かれてとふるさとのむすめたちが収録されていたと記憶しますが、餓鬼の私は感動して聞きまくっていたものです。
そして確か77年か79年と記憶しますが、ついにマシアスの日本公演に行けました。会場は厚生年金会館かサンプラザだったと思います。名曲オンパレードで、ギターも歌も最高、そして恋心などでは会場全体でメロディーを合唱したりして楽しみました。そして最大の感動は、ラストでした。アンコールもすべて終わり、マイクも片付けてマシアスは挨拶のためだけに最後出て来てくれましたが、アンコールの拍手が凄くてもう唄うしかない雰囲気。だけどマイクはもう片付けていた。そこで、何と何と何とマシアスはマイクなしの地声で唄ってくれたのです😃曲は、君達は太陽さ、でした。館内でメロディーの大合唱でコンサートは終わりましたが、地声で唄ってくれるなんてこんな感動したことはありません。
マシアスのCDは、Amazonで購入した編集盤を何作か持ってますが、ライブが色々聞けて楽しいのですが、ライナーがフランス語なので読むのが大変で苦労してます。
以上長々と書き込み失礼しました。このサイトの益々の充実を祈念させていただきます。

愛と太陽と故郷を今でも歌っています

No.133 投稿者:ふき  投稿日:2018年05月06日(日) 22時23分48秒

matuさん、こんにちは。
こんなマイナーなサイトにお越しいただき、ありがとうございます。
もう日本では忘れられた存在のエンリコ・マシアスですが、まだ少なからずファンの方がいらっしゃることにほっとしています。彼の歌は日本の一般的なシャンソンのジャンルには入らないかもしれません。もっと広がりがあるのは確かです。matuさんがおっしゃっているように、人類共存のための愛の歌が根底にあるかも知れません。それは民族対立と宗教対立のなかで、幼少期を過ごしたエンリコ・マシアスが自然に育くんだ自分と他人に対する優しさでしょうか。
彼はもうすぐ80歳になるのにまだ現役で歌っているというのもすごいですね。いつまでも元気で頑張ってほしいと声援を送らざるを得ません。

心に響く優しさはどこから来るのか?

No.132 投稿者:matu  Mail  投稿日:2018年05月03日(木) 21時55分27秒

このようなサイトがあること自体、とてもうれしく思います。私は音楽的な才能全くなし、音楽評論の能力もありませんので以下は見当違いかもしれませんが投稿させていただきます。
エンリコ・マシアスの歌に最初に出会ったのは40年近く前、ラジオから流れてきた「エトランゼ」という歌でした。以来私はエンリコ・マシアスに心を奪われてしまいました。なぜでしょうか?
エトランゼは世界的なヒット曲となりましたが、その後、彼がアルジェリア独立戦争の中で宗主国のフランスに逃れなければならなくなり、いまだにアルジェリアは彼の入国を許していないことなど、中東における民族間の争いに巻き込まれる中で音楽活動を続けてきたことを知り、彼の音楽が持つ優しさの理由が少し分かったような気がしました。
いちばん好きな曲は「ふるさとの娘たち」--民族の娘たちの情熱と同時に娘たちの持つ気品を歌い、それを支える家庭と社会の存在がこの歌の背景にあることを感じさせます。民族の誇りをいやがうえにも感じさせてくれます。そのような娘は私の属する民族にも、あなたの属する民族にも、そしてすべての民族にもいます。この歌を聴くたびにどの民族も大事にしなければいけないと思わされます。
エンリコ・マシアスの歌は、ユダヤとアラブという民族の対立を乗り越え共存の道を開きたいという思いを高度な音楽的能力によって表現したものというのが私の勝手な解釈です。彼の歌の歌詞の訳文を読むと、ユダヤとかアラブとか特定の民族に閉じた人間観ではなく、自分がどんな民族であっても「そうだよなー」と感じさせる民族の誇りとか喜びとかが語られ、その言葉が素晴らしい楽曲にのることによって何の抵抗もなく心に入ってくるように思います。彼の音楽を聞いたユダヤやアラブの人たちはどのように受け止めたのでしょうか?彼の歌はユダヤとアラブだけでなく、民族紛争に苦しめられている世界のすべての人々に和解と共存の道を開くための行動を求めているように思います。それだけの強いメッセージが抵抗感なく心に入ってくるところに彼の音楽的な能力の高さを感じます。

こんにちは

No.131 投稿者:ふき  投稿日:2017年10月25日(水) 16時10分28秒

ひーさん、おそくなりました。
まだ、高校2年生ですか。それにしても歌は世代を超えて、継承されて行くと改めて感じました。考えてみれば、シャンソンやラテンを歌う日本人歌手が好んで取り上げる曲も案外古かったりします。いい歌はやはりいつまでも残るんですね。
日本でシャンソンはマイナーな分野だと思いますが、エンリコ・マシアスの歌はその中でさらにマイナーです。でも一度聞くと、なんか忘れられない感じなんですね。フランスの歌手なんですが、エレガントなシャンソンでないことは確かです。歌い方は西洋的ではない要素もあり、日本人には違和感なく受け入れられるのではないでしょうか。歌詞の意味は深いのが特徴で、私もなかなか完全には理解できないのがたくさんあります。でもメロディーは美しいですね。それだけでも楽しめるのがマシアスの歌だと思います。またいつでも遊びに来てください。

さて、Youtubeの3曲は、ざっくりですが、こんな感じの歌だと思います。
1. Les amis c'est fait pour ça (そのために友達ができる)
人間同士の関係はいろいろあり、そのたびに友情が芽生え、友達ができて行く。
2. Le plus beau voyage (最もすばらしい旅)
自分は世界各地に旅したが、結局自分の家が一番良いと知った。
3. J'ai chanté (私は歌った)
自分はどんな時でも、どこでもとにかく歌った。それが私の人生、そして誇り。

感謝です

No.130 投稿者:ひー  投稿日:2017年10月21日(土) 09時09分59秒



ふきさん、はじめまして。以前からこちらのサイトを拝見しておりました。
突然ですが、実は私は高校2年生です。もちろんエンリコマシアスのファンですが。
私の両親でさえ1960年生まれですので、「思い出のソレンツァラ」が出た頃はまだ小学校に上がるか上がらないか。。だったということになります。一体どうして世代離れした私がエンリコマシアスという歌手に出会い、彼のファンになったのか、ちょっとだけ無駄話をさせてください。

私は小さい頃からずっと両親と車で色々な所に出かけていました。両親は(比較的)音楽が好きですから、当然のように車中でCDを聞くようになります。小さい頃何を聞いていたのかは定かではありませんが、幼稚園の頃からほぼ毎日のように車に乗っていたので、ずっと音楽を聴く生活だったと思います。

小学校3年の頃になると、車にはあまり乗らなくなりましたが、今度は親がyoutubeで流す音楽が耳に入るようになります。何を聞いていたのかというと。。先ほど申し上げた通り両親は1960年生まれなので若かれし頃の曲でした。ガロだとか、さだまさしとか、かぐや姫あたりです。この頃から音楽が大好きになります。
今では高校の友達とカラオケに行く機会も多くなりましたが、歌うのはボーカロイドではなく、昭和の歌です。渋いとかいつの時代なんだってよく言われます。とはいえ好きな今時のアニメの曲もよく歌うんですが笑

そんな私がエンリコマシアスと出会ったのは小学校高学年の頃だったと記憶しています。親がyoutubeから偶然見つけてきた、アズナブールとマシアスの映像からです。
こちらのページ
http://www.fuki-world.com/chansons/e_macias/treasure/dsp_treasure.cgi?s=AvecCharlesAznavour
の最後の映像です。アズナブールは分かるにしても、エンリコって誰だ。。。となり、関連動画を漁るうちに彼の虜になりました。私も両親もフランス語の知識はゼロでしたが、彼の歌声とギター、そしてメロディーが心に突き刺さったのです。

そこからかれこれ5年近くマシアスの曲を聴き続けているものの、依然として歌詞や日本語訳は分からないままでしたが、ひょんなことからこちらのサイトを知ることになりました。 今までメロディーでしかなかった曲に、ちゃんとした歌詞が関連づけられた時の感動は忘れられません。ふきさんのサイトに出会えていなかったら、きっと今でも分からずじまいだったと思います。 本当に感謝です。

えらい長くなってしまいましたが。。最後に聞きたいことがありまして。
https://youtu.be/eFaMFwMh0Gg

https://youtu.be/pQcJbOtECD8

https://youtu.be/MOSNTADzDlE

これらの曲の歌詞の大まかな内容とか、どんなテーマなのか。。など、ご存知でしたら教えて頂ければ嬉しいです。どれも私のお気に入りの曲で、ずっと気になっています。
どんどん寒くなってきましたね。体調にはどうか気をつけてお過ごしください。また遊びにきます。



カラオケ

No.129 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月06日(日) 16時11分03秒

螢さん、こんにちは。
アメリカに移住されてから、はや40年。そうなると、1980年代以降の日本の歌はまったく無縁のものになりますね。もっとも私の場合も仕事で忙しかった1980年代の歌はほとんど知りません。若かったころ、食堂や喫茶店、またパチンコ店などに入ると、当時の流行歌がホールに流れていて、それも繰り返し聞かされるので、歌は自然に耳から入って、覚えたものです。仕事が忙しくなると、頭の中は、仕事をどうやって早く片付けようなどと考えているので、歌が入り込む余地がなくなります。
ただ、私の場合、学生時代はギターが好きで、楽譜のコードを弾きながら、シャンソン・カンツォーネをよく歌っていました。当時の主流はフォークソングだったと思いますが、私の場合はマイナーなジャンルが好きでした。会社に入ると、自然に歌からは遠ざかって行きます。1970年代になると、会社の慰安旅行でカラオケという場面もありましたが、「私は演歌ができません」と言って、断っていました。
私が最初にカラオケを歌ったのは友人の会社に遊びに行った時のことです。夕食の後、誘われて、何人かといっしょにカラオケに行きました。そこで初めてマイクを握りました。レパートリーが全然なく、やっとの思いで、歌ったのは「琵琶湖周航の歌」1曲だけです。お世辞に「歌手みたい」と誉めてもらいました。1989年のことなので、平成元年が私の「カラオケ元年」です(笑)。
本格的に火がついたのは、それから4年くらい過ぎた1993年の12月です。私が住んでいる近くにカラオケ・ボックスが出来たのです。そこに時々通うようになり、そのうち毎日になりました。特にのめりこんだのは台湾の歌でした。まだネット通販もなく、歌を覚えるために、わざわざ台湾までカセットやCDの買出しに出かけ、帰りはそのために、ぎっしりパンパンのリュックを背負って帰るということが数年続きました。台湾の流行歌は日本の歌のカバーが多く、台湾の歌のおかげで、日本の歌謡曲も相当覚えることになりました。最近は昔ギター伴奏で歌っていたシャンソン・カンツォーネもカラオケで歌っています。英語の歌は1960年代のビートルズがせいぜいですね。
日本の最近の歌はJポップスといいますが、あまり好きではないです。やはりどこの国へ行ってもローカル色が強いほど、味があります。長くその風土で培われてきた郷土料理のような感じの歌がいいですね。私は必ずしも人前で歌うことにこだわらないので、これからもカラオケ・ボックス通いは当分続きそうです。

追、

No.128 投稿者:  URL  投稿日:2017年08月05日(土) 04時03分54秒

無責任な話ですが、いったい何を言いたかったのかな?と思っていてふと気が付いたことがあったので追加しておきます。

私の海外生活はしばらくすると40年。1970年代の流行歌までしか知らないのです。「哀愁のカサブランカ」をUploadしていますが、渡航後のこの唄はまったく知りませんでした。二桁の年数を帰国しないで帰国したときに、空港で電話機を前にして頭が真っ白になったことがあります。浦島太郎の心境ってあれだったんだと思います。

海外ではずっと日本とは無縁の生活でしたし、今もそうですし、かつ、渡航後も急に歌に興味を持つと言うことはあり得なかった。テレビも見ないので社会情勢もよく分かっていない。(笑)

そういうことで、「聴いていたはず」ということがピンと来なかったんですね。今は真剣に聴いてますよ。言葉の中まで入り込むくらい真剣に聴いています。

歌い始めた時も、何も知らないので物心ついたころから徐々に始めようと思って、「上海帰りのリル」とかそんな歌から始めて、だんだんと50年代、60年代と知っている名前を探しながら練習しました。今は、そうですね、かなり余裕が出て来てます。選曲にもあまりビクビクしなくなったかな。(大笑)

バーの顧客はアメリカ人(ガイジン)で、日本人アジア人は基本的に螢+アルファ0か1が普通です。私は日本の唄か、翻訳物しか歌いません。が、事実として、褒められることも増えて来て、他の客から英語の唄が聴いてみたいと言われることが多くなってきてます。その気はありませんが、しかし、バーで一、二を争う上手な子の持ち歌Bon Joviの唄は歌ってみたいかなと思ったりしてます。

聴いてすっかり好きになって、英語で歌うならこれだな!と。ちょっと前なら想像もつかない変わりようです。しかし、英語の唄は歌詞がつまらないですね。不必要な繰り返しが多いです。最近の日本の歌は、これを真似てる気がして好きではありません。

Bon Joviを歌う頃には80歳になってるかも知れない。

無題

No.127 投稿者:  URL  投稿日:2017年08月05日(土) 01時39分39秒

さっそく視聴していただいてありがとうございます。何曲か聴いていただいたようで感謝しています。自信がないので、「自分の唄がどんな風に聴こえているんだろう?」という興味は、やはり人並みにあるので本当に嬉しいです。「素人とは思えないほどの張りのある歌声に驚きました」と言われてますが、「年と思えない...」ではなかったので余計嬉しいです。バーで「(歳には)見えないよねえ〜〜!!」とよく言われるので。:-) 

さて、「どうするかな?」と迷いましたが、やはり「もの言わぬは腹ふくるるわざ」と言いますね。自己満足みたいなものですが、機会がある間に事実は事実としておきたいので説明みたいなものをさせてもらっておきますね。

「ずっと歌わなかったということですが、聴くほうはしっかりと聴いていたと思います。そうでなければ、こんなにすばらしい出来にはならなかったはずです。」

う〜〜ん。どうですかね。そうなのかな?そうかも知れないですね、と思う反面、う〜〜ん。どうですかね?

もちろん、巷に流れていた流行歌は自然と耳に入ってましたよ。ですが、しっかりと聴いた記憶は皆無です。しかし、「例外のない規則はない」ように、例外はあります。「海に抱かれに」のコメントに書いてますので一部引用しますね。

”ジョルジョ・ブラッサンスとジュリエット・グレコが特に好きになり、CDを繰り返し聴いた。唄には縁はなかったが、ふり返ってみると、シャンソンにはまんざら縁がなかったわけでもない。”

これも今思うと雰囲気に惹かれただけの様です。ブラッサンスは彼の名声に、グレコはあの歌声に。そしてこれも麻疹みたいなもので、長続きしたわけではありません。半世紀ほど前にほんの短い期間、流星のように発生したものです。一方、好きだった流行歌手はいました。藤圭子。生まれて初めて買ったシングル盤が彼女の唄でした。買うのに清水の舞台から飛び降りる決心がいるくらいこの種の出費にはケチでしたよ。これが私の唄に対する気持ちをよく表している気がします。(大笑)

4年前の6月に初めて歌を歌うと決心しました。かれこれ4年ですが、途中、病気になって興味もなくなり、1年以上止めてましたので私の歌歴は正味2年半です。カラオケと言うものに初めて行ったのが、同じ年の8月18日です。それまで行く理由もなかったし、カラオケ自体のイメージも悪かったですね。

下手下手下手でしたし、今も自信はないのですが、少しずつ自信と言うか、人前で歌う躊躇が徐々に薄れてきています。

ここまで来るのに転機が3度ありましたよ。最初の転機はボックスでの練習に飽きてバー(カウンター)で歌い始めた時です。私はニューヨークに住んでいますが、カラオケは、ボックスと、外のカウンターバーと2種類あります。もともとボックスは性にあってなかったのですが、外で人前で歌うような程度ではなかったし、とにかく恥ずかしがり屋で想いもつきませんでした。が、ある日、「やってみよう!」と決心したのです。やって正解で、少し自信がつきました。

2度目の転機が「水鏡」を歌ったときです。満員のバーでこんな日本的な唄を歌のは勇気以上のものが要り、歌いながら周囲の反応が気になって仕方がなかったのを覚えています。そんな気おくれを反映してか、唄も調子っぱずれですし、「あじゃあ!やっちゃったあ!!」という感じ?(笑)

ところが歌い終わったら物凄い拍手喝采で、録音にも入っていますが、Amazing voice!Unbelievable!fなどなど最大の賛辞を貰いました。寄って来てGood job!と言う人もいて、これは大きかったですね。

「水鏡」を歌ったことで知ったのは、「歌うってこういうもんなんだ!上手下手と言うのは、今まで思っていたのとはどっか違うこと・ところの評価なんだ??!!」 この時の「水鏡」をUploadしているので時間があればぜひ聴いてみて下さい。

これとは別に、「夜明けのブルース」でも、歌うことで周囲を巻き込むことができるんだな?!結果、自分もそれに乗っかって気を入れることが出来るんだな?!と言うことを知りました。これもUploadしていますので時間があれば聴いてみて貰えると嬉しいです。出だし、調子っぱずれで御免なさいね。

3度目の転機がYouTube口座開設。当初は真っ黒な画面にどうでも良いような唄を乗せて自己満足みたいに遊んでましたが、その内に見知らぬ人が聴いているということを知らされるようになって、これではいかん。きちっとやらにゃあ!そう思ってから歌に対する気持ちも変わってきた。これってつい最近のことなんですよ。バーで歌い始めた時もそうでしたが、聴いている相手がいると思って歌う。これって凄い効果なんですね。俳優がテレビや映画の録画と舞台の違いを話すのをよく聞きますが、同じことを言ってるんでしょうね。

長々とすみません。

ようこそ

No.126 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月04日(金) 21時49分45秒

螢さん、こんにちは。
Youtubeを拝見しましたが、素人とは思えないほどの張りのある歌声に驚きました。ずっと歌わなかったということですが、聴くほうはしっかりと聴いていたと思います。そうでなければ、こんなにすばらしい出来にはならなかったはずです。私もカラオケは大好きで、よく歌いに行きますが、まさかYoutubeにアップするなどとは考えたこともありませんでした。でもこうして出来上がると、あとで見ても楽しいし、また自分で歌の勉強にもなりますね。いろいろご啓示いただき、ありがとうございます。
ソレンツァラのアップも楽しみにしています。またいつでもお寄りください。お待ちしています。

初めまして

No.125 投稿者:  URL  投稿日:2017年08月03日(木) 01時07分31秒

ソレンツァラのことを調べていてこのサイトに辿り着きました。大変参考になりました。ありがとうございました。

Youtubeの螢チャンネルに「恋心」をUploadしています。お時間がありましたら、ぜひ一度立ち寄ってみて下さい。今月中には「想い出のソレンツァラ」をUploadしたいと思っています。先の日曜日に、急に「ソレンツァラ!」と思い立って歌ってみましたが、ぶっつけ本番一発合格とは行きませんでした。

螢チャンネルのコメントにも書いていますが、私は60代半ばまで歌とも歌うことともまったく縁のなかった人間です。子供の頃にも「めだかの学校」をまともに歌ったことがありません。還暦を過ぎてもずっと「いや、歌えませんから!」と言ってましたが、ある日とつぜん、何かの啓示のように「歌おう!」と決めました。今年の3月には、歌うだけではつまらなくなってきて、これも急に思い立ってYoutubeに口座を設けてしまいました。

70歳になんなんとする身、大したことはしていませんが、歌声も写真も動画もすべて自前ですのでそれだけが自慢と言えば自慢ですかね。笑

また寄せて貰います。(螢)

こちらこそ感謝です

No.124 投稿者:ふき  投稿日:2017年04月23日(日) 23時25分49秒

ユトリロさん、こんにちは。
だいぶ日数をあけてしまいましたね。申し訳ありません。
いまはエジプトを旅していますが、基本的に私は地中海が大好きです。昔、フランス語を学びに滞在したのもコートダジュールのニースでした。青い海と空に温かく乾燥した空気、そして美しい建物が何ともいえない魅力です。
マシアスはフランスの歌手ですが、アルジェリア出身です。ほかにもダリダやムスタキ、ナナ・ムスクーリなど地中海沿岸の国々出身の歌手がシャンソン界には多く参入していますので、何となく親近感がわきます。ほんとにシャンソンには厚みがあり、奥が深いです。

御礼

No.123 投稿者:ユトリロ  URL  投稿日:2017年04月02日(日) 22時06分13秒

 返信が遅れて申し訳ありませんでした。
 私のブログをご紹介いただき、ありがとうございます。
 ただただシャンソンが好きで、少しでも多くの方々に知っていただきたいという想いで綴っています。今年は「もう一歩踏み込んだ」シャンソンの啓蒙活動を考えています。

 ふきさんは、今頃は地中海周辺の国々を回られている頃でしょうか?
 お土産話、楽しみにしています。

あわてて…

No.122 投稿者:ふき  投稿日:2017年03月18日(土) 15時02分29秒

ユトリロさん、こんにちは。
お久しぶりです。あわてて、アマゾンに新譜のCDを注文した次第です。
このところ更新をサボっていたのがバレバレですね(笑)。
こんなページでも参考にしていただき、たいへん恐縮しています。
さて私は来月から、エジプト、イタリアを中心に旅行を予定しています。
今のところフランスは予定していませんが、何かニュースがありましたら、
お伝えしたいと思っています。

それから、シャンソン愛好家のみなさんへ。
ユトリロさんのブログ「もっとシャンソンを!」は、資料の羅列っぽい当サイトとは違い、
豊かな感性と知性でシャンソンとその文化に向き合っている真摯なサイトです。
ぜひご覧になってください。http://ameblo.jp/utrillo-714/

Les Clefs

No.121 投稿者:ユトリロ  URL  投稿日:2017年03月16日(木) 23時15分50秒

 たいへんご無沙汰しております。
 久しぶりにマシアスの新譜を聴き、ブログを書くに当たってふきさんのホームページを参考にさせていただきました。
 いつも変わらぬマシアスの暖かな歌声に癒されています。