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終戦から72年

No.3738 投稿者:ふき  投稿日:2017年09月05日(火) 20時17分23秒

梧棲さん、こんばんは。
私は梧棲さんより7年遅れで、この世に「出現」しましたが、戦後の貧しい時代は、やはり少しですが経験しています。そもそも私の父母がまさに満州からの引き揚げ者なので、その苦労は私が物心ついてから、よく聞かされました。梧棲さんのおっしゃる通り、自分の実家に転がりこんでも、親はともかく、兄弟たちからは完全に邪魔者扱いされましたからね。ほんとに辛い時代でした。
朝鮮や満州に比べれば、南の台湾からは比較的スムーズに帰って来れたことと思います。やはり暖かい地方の人々は心も温かくなるのでしょうか。フィリピンやインドネシアのジャングルの中で見つかった旧日本兵も、温暖な地だからこそ、村人の情けや森の恵みにより、生き延びられたともいえます。おっと、湾生とはあまり関係のない話で、すみません。
それでも終戦から72年が経ちました。日本語世代の台湾のお年寄りもだんだん少なくなって来ていますが、その公学校時代の日本人の〇〇先生はさらに少ないはずです。同窓会ができただけでも奇跡的で素晴らしいことですね。

湾生回家

No.3737 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2017年09月03日(日) 14時20分45秒

みなさん、こんにちは。 
久しぶりに掲示板を見たら「湾生回家」のことが話題になっていました。
 台湾の友人達は日本人も関係した台湾映画のDVDができると私に贈ってくれます。
これまでに【海角七號】、【KANO 海の向こうの甲子園】、【湾生回家】をくれました。
更に私が台湾に行った時に民視テレビの『台湾演義 :湾生日本人 2015.08.02』の録画もくれました。

 1942年生まれの私が物心がついた頃の日本には周囲に「引揚者」と呼ばれる家族がいました。日本の敗戦で満洲、朝鮮、台湾など日本の植民地から日本へ引き揚げて来なければならなかった家族たちです。
敗戦後の日本は明治維新以降最も貧しい時代で、日本にいる家族も食うや食わずの暮らしなのに突然海外から親、兄弟、親戚を頼って別の家族が戻って来るのですから、引揚げ者たちの多くは実質的には邪魔者扱いされたと言えます。
家が狭いために納屋や家畜小屋に住まわされた引揚げ者家族も少なくなかったと思います。
日本人の心も最も貧しかった時代だったと私は思います。

私の小学校の同学年に満洲、朝鮮以外に台湾からの引揚げ者の子弟もいましたが、私は当時は湾生という言葉は知りませんでした。
台湾生まれの同級生は台湾はよいところだったと語っていました。特にバナナが好きなだけ食べられたという話は、まだ一度も食べたことがない私達には夢のような話でした。
日本への引揚げはスムーズに進んだのではなく、数年遅れた家族の子弟には既に小学校入学年齢を過ぎてしまい1〜2年遅れて入学せざるを得なかった者もいました。同学年なのに身長がずば抜けて高い生徒は大抵引揚げ者の子弟でした。歴史の不運とは言え、1〜2歳下と同じ学年にされるのは屈辱的なことだったろうと思います。

 やっと祖国に帰ることができると期待していた引揚げ者たちは実家や親戚からの期待を裏切る対応に失望したことだと思います。
満洲や朝鮮からは植民地住民達の復讐を懼れて命からがら引揚げてきた人が多いようですが、台湾からは友人、知人であった台湾人との別れを惜しんで引揚げてきた人が圧倒的に多いので、湾生にとっては祖国の日本よりも自分が生まれ育った台湾の方が遥かに温かくて自分の本当の故郷だと強く意識するようになったようです。
 日本の庶民が海外旅行が容易にできるようなったのは1970年代後半ですから日本に引き揚げてきてから25年以上は台湾には行くことができなかったと言えます。
10歳で引き揚げた湾生は30代後半から海外旅行ができるようになったと言えますが、家族を養わなければならない時期ですから多分60代になってからやっと生まれ育った台湾を訪れるようになった方が多いのではないでしょうか?
 湾生が故郷を訪れてまだ生存中の旧友と再会できたり、故人となった友人の家族と会ったりしているシーンは台湾だからある話だと思います。満洲や朝鮮ではこのような話はほとんど見聞しません。
今でも日本語世代の台湾の友人には戦前の公学校時代の日本人の〇〇先生を慕っていると語る人が少なくなく、旧制中学や女学校の同窓会で日本人同級生との再会を楽しみにしている人が多いです。

台湾語

No.3736 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月30日(水) 22時18分49秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。
お二人とも生活や仕事の面で台湾へのかかわり方が長く、私などはいつも貴重なお話をありがたく聞かせてもらっています。「湾生」の方々などはさらに台湾への愛着心が強いことでしょう。なにしろ生まれ故郷ですからね。ふるさとは誰でも心の底に眠っています。私と台湾の付き合いは、たまたま旅行だけなので、お二人に比べると、かなり軽いものです。
台湾語を勉強したきっかけも単に台湾の歌が好きだったためです。台湾人と本格的に台湾語で会話をしてみようとして、始めたものではありません。台湾語を少しでもきれいに発音し、歌いたいと思えば、やはり日本のカナでは不十分なので、教会ローマ字も覚えました。そのための書籍も買いました。歌詞は韻文なので、会話とはまた違う要素もありますが、応用すれば、会話にも使えます。台湾に行くと、ほとんど北京語か英語の場面が多いですが、知っている台湾語はなるべく使うように心がけています。
ただ、台湾でも若い人の台湾語離れは顕著ですね。もともと文字を持たなかった言語は世界的に消滅の方向に向かっています。日本国内のアイヌ語や琉球語しかり。将来、台湾語が「歌の世界のみに残った」というようなことにならなければいいのですが…。
ところで、4月にフェースブックのアカウントを作成しましたが、今のところほとんど活用していないのが実情です。tecoさんを見習って、もっとアクティブに使えば、さらに楽しくなることでしょう。頑張ります(笑)。

ありがとうございました

No.3735 投稿者:葛(新平市)  投稿日:2017年08月30日(水) 10時41分12秒

tecoさん、みなさん、こんにちは。

tecoさん、ご指摘ありがとうございます。
湾生回家の会の皆さんは高齢化が進み集う事が難しくなり、今年7月を最後に終了したとの事です。
tecoさん、ふきさんはFacebookで多くの方と交流されてること羨ましいです。
10月にtecoさんは訪台されるとの事、機会がありましたらお目にかかれれば幸いです。

URLがまちがっています。

No.3734 投稿者:teco  投稿日:2017年08月29日(火) 16時05分16秒

葛さん、記入したURLが間違っていますので訂正します。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100016237034719

上が正しいURLです。

こんにちは

No.3733 投稿者:teco  URL  投稿日:2017年08月29日(火) 16時01分03秒

ふきさん、葛さん、みなさんこんにちは。

葛さん、こちらこそご無沙汰しております。
お元気にご活躍のご様子、なによりです。

湾生と言えば一人知り合いがいます。
村上さんといい、父上とともに苦労に苦労を重ねて台湾で基礎を築いたそうですが、終戦とともにすべてを失って日本に戻ったそうです。
父上の実家に戻り家業の家具屋を継いでどうにか暮らしを立てることができるようになったころ父上がなくなり、台湾への思いがますます募ったと言います。
台湾時代に世話になった人の紹介で台湾人の若い人を養子にもらい、日本で大学を卒業させて一緒に暮らしていましたが、その養子となった人が私の教え子なのです。
彼は村上さんが亡くなるまで献身的に尽くし、その後台湾人女性と結婚して現在は台湾の三重に住んでいます。
私は生前の村上さんとはほんの数回しかお会いしたことはありませんが、台湾での楽しかった子ども時代の話を聞かされ、台湾人に親切にされた思い出なども聞かされました。
村上さんの養子となった人は日本人として台湾で暮らしており、奥さんと二人の子ども父親として頑張っています。

昭和町は私も歩いたことがあります。
「美しい日本語を話す会」のメンバーである台湾人の友人に案内してもらいました。
当時の面影が色濃く残っているわけではありませんので、教えてもらわなければわかりませんが、そこここに往時の痕跡が散見されて懐かしい気分になります。
3月と5月に訪台したあと仕事が忙しくなりその後台湾には行っておりませんが、10月には一週間ほど行く予定です。
URLは私のフェースブックのURLです。
また、ふきさんのページやA Bengさんのページは以下の通りです。
ふきさん:https://www.facebook.com/profile.php?id=100015969587078&fref=pb&hc_location=friends_tab&pnref=friends.all
A Bengさん:
https://www.facebook.com/abeng035?pnref=lhc.friends

まだまだ暑い日が続きます。どうぞお身体大切にお過ごしください。

ご無沙汰しています

No.3732 投稿者:葛(新平市)  投稿日:2017年08月29日(火) 08時35分10秒


ふきさん、tecoさんん、みなさん、こんにちは。
新北に来てから無我夢中で働いています。もうすっかり生活にも慣れて楽しく過ごしています。
最近二つの短編映画と、その関連の書籍も拝見しました。「湾生と呼ばれた人生」「台湾語世代」のドキュメントです。また日本統治時代に昭和町と云われた町へ行きました。
台北市の南部にある地名です。現在の 大安区の青田街及び永康街、温州街、和平東路の一部にあたるそうです。永康街」近くにある、
「昭和町文物市集」に行ってきましたが、近くに
鼎泰豊があり時間があれば、少し足を伸ばしてここまで行ってみる事を良いかも知れません。
酒井充子監督「台湾人生」という映画で台湾で生まれ育った日本人を指しますが「湾生」たちが、故郷である台湾に里帰りし、懐かしい人びとを訪ねるドキュメンタリー。
パンフレットに記載された案内を転記します。
「1895年の下関条約締結から、終戦の1945年まで、日本の統治下にあった台湾。この時代に公務員や企業の駐在員、移民として海を渡った農業従事者などが日本から台湾へと移り住んだ。彼らの大半は日本の敗戦後、中華民国の方針により、日本本土に強制送還された。その数は50万人にもおよび、そのうち、台湾で生まれ育った「湾生」は約20万人といわれている。戦後72年で高齢化した「湾生」たちが、日本から生まれ故郷の台湾の地を訪れる姿を追い、彼らの人生、引揚者の思いが描かれる。本作は台湾のアカデミー賞ともいわれる金馬奨で最優秀ドキュメンタリー作品にノミネート、大阪アジアン映画祭2016で観客賞を受賞。
台湾は1895年(明治28年)から半世紀、日本に植民地支配されていた。台湾人に生まれながら、日本人として日本語で教育を受けた「日本語世代」は、どんな戦後を送ったのか。日本の撤退、国民党の圧政、民主化へ……歴史に翻弄された彼らの戦後を通し、台湾と日本の未来を探るドキュメンタリー映画。酒井充子監督は「台湾を日本が統治し、あの時代を背負った人々がいまも生きている。日本人はそれを知ったうえで、台湾と向き合ってほしい」と話しています。
先日台湾在住の資格がパスポート有効期限以内であれば可能だと聞きました。詳しい事は分かりませんが日本人であれば申請できるとの事です。
カラオケ店に行くとお客さんから日本の懐メロをリクエストされます。図に乗って岡晴夫や春日八郎、
及川三千代の曲を歌いました。
ふきさん、tecoさんの投稿を拝見して台湾語に対しての知識の豊富さに書き込みを躊躇してしまいます。現在日常の会話には支障はありませんが、兎に角会話するとき略して話をされるので分からなくても分かったようなふりをして聞き流しています。
私が日本人と認識されたうえで本当に優しく接して頂けるので、改めて台湾が好きになりました。









お久しぶりです

No.3731 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月20日(日) 23時20分33秒

梧棲さん、みなさん、こんばんは。
台湾の朝の「賢早」(gau5 cha2)は定番ですね。それとしばらく会っていなかった人に言う「眞久無看」(chin1 ku2 bo5 khoaN3)も必修です。おそらく日本でも、昔から「お久しゅうございます」はあったと思います。今はもちろん「お久しぶり(です)」になりますね。
台湾語の「[イ尓]好」(li2 ho2)は北京語の「[イ尓]好」の直訳でしょう。この「[イ尓]好」を日本では「こんにちは」と訳していますが、むしろ「はじめまして」の意味合いが強いです。日本も歴史的に長らく中国文明の影響下にあったので、親しい間柄で、よそよそしい挨拶はしない傾向があります。親友に呼びかけるときは相手の名前だけが普通です。台湾も同じようで、友人にあまり「[イ尓]好」は使いません。具体的に「お元気ですか」という意味で、「[イ尓]好[口馬]?」は使うと思いますが。

台湾の友人との挨拶

No.3730 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2017年08月20日(日) 15時47分21秒

 台湾の友人との挨拶
ふきさん、皆さん 今日は。

 私は妻が元気な頃は年に2回、毎年1回手術・入院するようになってからは1年に1回しか台湾に行けないので台湾の友人達との挨拶はいつも互いに「眞久無看」です。日本語が話せる友人は「お久しぶり」と返してきます。
定宿のホテルのフロントともチェックイン時は同じ挨拶になります。
 翌朝朝食のため1Fに下りるとフロントの女性達とは[gau5 cha2]と互いに
挨拶します。朝9時半頃に外出する時に遭うフロアメイドも同じ挨拶です。
 友人達と別れる時は「明年見か下次見」です。
 私も「?好、?們好」は台湾の友人に使ったことがありません。

続・「こんにちは」考

No.3729 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月14日(月) 15時58分08秒

tecoさん、みなさん、こんにちは。
「こんにちは」と「こんばんは」をもう少し掘り下げてみることにします。
この言葉は一般的に親しい間柄では使いません。たとえば朝起きた時に、父親が娘に「おはよう」と言うことはあります。しかし昼過ぎに起きたとき、「こんにちは」と言うでしょうか。また、別居している息子が夕方、実家に戻って来たとします。母親が息子に「お帰りなさい」とは言いますが、「こんばんは」と言いますか。よそよそしいですね。この言葉は家族間では使いません。さらに言うと、たとえば会社内で、この言葉を使える相手は自分と同等か目下の者だけです。平社員が社長や部長に「こんにちは」や「こんばんは」は使えません。それでは「おはようございます」なら、どうかと言うと、これは誰にでも使える便利な言葉です。業界によっては、夜でも使うところがあります。「おはようございます」には「早い」という意味があるだけで、「朝」の意味はないので、「相手と早く会えた」という気持ちがあれば、いつでも使うことができるのです。「おはようございます」≠「Good Morning」です。
ついでにいうと、中国語の「早安」の中の「早」は日本語の「早い」ではなく、中国語の「朝」の意味であるため、使用期限は「正午」までです。「早安」=「Good Morning」となります。ただ、これも親しくなると、tecoさんのおっしゃる通り、「早!」かせいぜい「早阿!」ときわめて簡単になりますね。
さて、そろそろ締めですが、私は日本語の「おはよう」や中国語の「早安」が昔から使われて来た伝統的な挨拶用語だったのではないかと考えています。それ以外は西洋語の影響で、後から造語されたのではないか。ただ、どれも歴史が浅いため、市民権は得たものの、「いつでも」、「どこでも」というようにではなく、限定的な使用法となっている。たとえば中国語の「午安」ですが、一見して、英語の「Good Afternoon」の訳語に思えます。中国語の造語力はすばらしい。Facebookではよく目にする語ですが、でも私の手持ちの辞書にはありません。

続・こんにちは

No.3728 投稿者:teco  投稿日:2017年08月13日(日) 21時14分44秒

ふき兄、大家、晩安。

言われてみればそのとおり、台湾の親しい友人はしゃっちょこばった挨拶はしません。たいていは
「早」とか「安安」で終わりですね。
もともと話し言葉と書き言葉がかなりちがいますからそうなっちゃうのでしょうかねえ。
私の友人(熱心な仏教信者)などはなんでも一字で決めるようなところがあり、是、賛、対、満などを多用します。こんにゃく問答のような感じですが、多くの言葉を用いないのを美徳とする風習でもあるんでしょうか?
ETCのない車が高速道路の料金所に入ると、相変わらずニーハオとアナウンスされ、料金を払うとシェシェ、バーが開くとサイチェンと言います(^^♪


「こんにちは」考

No.3727 投稿者:ふき  投稿日:2017年08月13日(日) 13時40分00秒

tecoさん、みなさん、こんにちは。
私はてっきり、tecoさんが中東に出張される予定だったので、髭を伸ばすことにしたのかなと勝手に理解していました(笑)。あちらでは髭が尊敬の対象になりますからね。ただ、ここまで立派になると、もう剃るのは勿体ないです。髭の美学は基本的に男性の価値観なので、ご家族の女性陣にわかっていただけないのは致し方ないところかも…(笑)。

さて、お盆休みで暇なので、私なりに挨拶用語の探求をしてみました。素人の発想なので、専門家の方から「そんなことはない」と言われる可能性があります。
「こんにちは」は現在一番ポピュラーな日本語の挨拶言葉ですが、はたして、いつごろから使われているのでしょうか。時代劇に出てこないところを見ると、どうも明治以降のようです。私は「こんにちは」と「こんばんは」の表現は、西洋語からの影響と見ています。つまり英語の「Good Morning / Good Afternoon」と「Good Evening」に対応する新しい挨拶表現として、「こんにちは」と「こんばんは」が作られたと見ています。ちなみに日本語には「おはよう(ございます)」という表現がありますが、こちらの歴史はもっと古そうです。形から推察するに、明治以前から使われていたようで、それがたまたま朝に多用されていたので、今では「Good Morning」の訳語になっていますが、本来あまり時間には縛られず、一日中使っていたのではないでしょうか。つまり明治以前の挨拶用語としては「おはよう(ございます)」が主役だったのかも知れません。

ちなみに中国語の場合、「[イ尓]好」が一般的な挨拶表現とされていますが、これは初対面で使うことが多く、親しい間柄ではあまり使いません。そもそも中国人は挨拶をあまりしないと言われています。そんなわけで、以前はよく「吃飯了[口馬]?」を挨拶代わりに使っていました。これは台湾語でも「吃飽未?」(Chiah8 pa2 be7)というので、同じ発想です。実際に食事したかどうかはどうでもいいのです。あと日本語の「おはよう」と同様に、台湾語では「賢早」(Gau5 cha2)がよく使われます。昔から使っていたんでしょうね。もちろん今では北京語の「早安」のほうがよく使われます。「晩安」は「おやすみなさい」に使われますが、英語の「Good Night」の訳語でしょうか。なお大陸の中国人がよく使う「早上好」(Good Morning)や「晩上好」(Good Evening)の表現は台湾では聞いたことがありません。

こんにちは

No.3726 投稿者:teco  投稿日:2017年08月12日(土) 13時41分20秒

ふきさん、みなさん、こんにちは。

中東から戻って以来仕事が山積みになっていて、それをこなすのにおおわらわでした。
私は今日から盆休みで、16日までゆっくりできます。
今日はうちのスタッフの福山君(先日池袋に一緒に行ったちょっと変わったやつ)の誕生日で、
歌舞伎町で一杯やろうと言うことになっています。
おまえ、いくつになったんだ?
歳のことはいいじゃないですか、あはは。
という調子で、周囲の者は彼の年齢を知りません。
たぶん、50歳は超えてるはずですが。。
正月から生やし始めた髭もとちゅうで一回剃ってしまったのですが、また結構伸びてきています。
10月の訪台までまだふた月ほどあるので、それまで伸ばし続ける予定です。
10月末に友人が建てている道院の竣工式があり、寄進者のひとりとして参列する予定です。
祝い用の道服をっ着て正装しますので、髪も髭も伸ばしていますが、家族は貧相だのみっともないなどと呆れています(笑)
天候不順の今日この頃、みなさん体調に気を付けて元気にお過ごしくださいますよう。

お帰りなさい

No.3725 投稿者:ふき  投稿日:2017年07月19日(水) 21時04分54秒

tecoさん、こんばんは。
昨夜の関東地方は天候が大荒れで、雷雨も鳴り響いていましたが、無事に帰国されたようで、何よりです。
今回はトルコの軍楽隊のご友人が大活躍ですね。アンマンはたしかにシリアやイラクに近いので、治安を心配する人もいますが、現地に行くと、意外にあっけらかんとしています。エジプトでは空港や駅などで、必ずX線の荷物検査をして、客を施設内に入れますが、ヨルダンではほとんどスイスイ通過だったような気が…。もっともあんまり気にしすぎると、どこへも行けません(笑)。
ISの話が出ましたが、イラクの拠点モスルを失い、もうほぼ壊滅的のようです。シリアのラッカも時間の問題でしょう。中東が平和になればいいですね。私は酒がダメで、豚肉も食べますが、あまり好きなほうではありません。おまけにここだけの話ですが、風呂も面倒くさいタチなので、中東はパラダイスです(笑)。
小池百合子さんはエジプトで人気がありますね。エジプトは物価が安いので(安かったので)、留学は楽だったとか言っていた人もいましたが、そんなことより今でも美人なので、若い時はまさにアイドルのような可愛いらしさだったでしょう。そんな彼女があのリビアのカダフィ大佐との会談をセッティングするなど、ほんとに「女は度胸」を地で行ける数少ない政治家です。頭の回転がよく、話に無駄がなく、言葉がストンと落ちます。私は将来の女性総理も十分ありと考えています。


帰国しました

No.3724 投稿者:teco  投稿日:2017年07月19日(水) 10時32分09秒

ふきさん、みなさん、おはようございます。

昨晩帰国しました。
今回の旅行は電源開発関連の現地視察ということで、経産省の役人や大手電機会社の技術者など総勢22人の大所帯でした。
私は大型蓄電池の担当で、補助電源設備の設置場所選定に関与する立場で参加しました。
公用旅券の発給を受け、臨時公務員としての参加です。
期限付きではありますが、公用旅券と言うのはわりと便利なもので、個人的な荷物は検査されますが、団体用荷物としてパッケージされたコンテナにはなんでも入れられるので助かります。
お土産として持っていったカルピスやインスタント食品、コーヒーなどもほかの資材と一緒に混載できますし、現地で購入した楽器などかさばる品も問題なく入れられました。
今回特に面白かったのは、イスタンブールの軍楽隊の友人が案内人として同行を命じられたことでした。
10年来の友人だと言うだけで政府から軍楽隊に指示が出て、出張扱いで同行するように命じられたと本人も喜んでいました。
アンマンはISとの戦闘の傷跡も生々しく残っており、軍部のクーデター未遂事件を受けて準戒厳状態が続いていますが、人々には活気があり、市場にはたくさんの商品が溢れています。
経産省の役人が持参したお土産は緑茶や花器などで、いずれも日本を代表する品であることは一目でわかりますが、
私の持参したイスラム法に則って製造されたカップヌードル(マレーシア製)のほうが喜ばれたみたいです。
虎屋の羊羹も好評で、曙の甘納豆も喜ばれました。
他の参加者はほとんどお土産の用意がなく、私が次々に取り出すお土産に驚いていました。
私は観光旅行でもお土産をたくさん持って行き、現地で親しくなった方やお世話に成った方にお礼としてお渡しするのを習慣としています。
大会社の人はそういう経験もなく、気も回らないようです(笑)

カイロでは安倍首相より小池百合子さんのほうが有名人で、彼女のことをしきりに尋ねられてやや困りました。
将来日本の総理大臣になるかもしれないと言ったら皆さんとても喜んで、エジプト人は貴方を心から尊敬し応援しているとぜひ伝えてほしいとと言われましたが、伝えられるかどうか心もとないです(笑)

アスワンは二日間だけでしたが暑かったです。
湖での漁に同行させてもらい、ビニール傘の蒸留装置で得た水を飲みましたが、かしこい方法です。
ピラルクににた大きな魚が捕れ、マスに似た魚もたくさん捕れました。
村の首長が接待してくれた晩餐は豆のスープに魚のフライパン焼き、種類のよくわからない鳥の煮物などで、カイロよりあっさりとした味付けで美味しかったです。


タシュケント

No.3723 投稿者:ふき  投稿日:2017年07月16日(日) 19時31分04秒

tecoさん、こんばんは。
いまタシュケントですか。ぐっと日本に近づきましたね。
ウズベキスタンは、楽器の種類が豊富です。むかし小泉文夫という民族音楽の研究者がFM放送で、「世界の民族音楽」という番組を担当していて、私も毎週聞いていました。聞くだけでなく、カセットテープに録音したりして、楽しんでいました。弦楽器だけでも、撥弦式のルバーブ、打弦式のチャング(イランのサントゥール似)、擦弦式のギチャク(トルコのケメンチェ似)といろいろあります。大型の弓奏擦弦楽器はサトといいますが、おそらくトルコのサズと同じ種類でしょう。ほんとに音色もいろいろで、飽きさせません。

一昨年の夏に台湾旅行した際ですが、たまたま高雄に留学中のウズベキスタンの青年と台北のホテルで知り合いました。トルクメニスタンの国境に近いブハラ出身と言っていましたが、その彼と夕食に行ったとき、トルコ・レストランかインド・レストランしか行かないというのです。つまり彼は真面目なイスラム教徒なので、ハラル認証のある看板の店でしか食べないというのです。そこで、民生東路のトルコ料理店「Doner Kebab」に行ったら、たまたまその日は休みで、しかたなく近くのインド料理店「Mayur」で、食べました。もちろん手づかみの「本格派」です。私も彼に合わせて手づかみで食べましたが、後で手を洗ったりして、面倒くさかったです(笑)。

中央アジアはいまキルギスとカザフスタンがビザなしで入国できるので、私も行きたいなと思っていますが、やはり観光的にはウズベキスタンを外すわけにはまいりませんね。いまいろいろ検討中ですが、近いうちにぜひ訪れたいと思っています。
現在のウズベキスタンの気候は非常によさそうですね。これは大いに参考になります。現地からの情報ありがとうございます。

タシュケントです

No.3722 投稿者:teco  投稿日:2017年07月16日(日) 12時31分57秒

ふきさん、みなさんこんにちは。

昨日カイロからタシュケント入りました。

アスワンでは太陽光発電施設建設場所の視察と住民との意見交換、湖での漁に参加したりと、そこそこ忙しく動き回りました。
気温の差が激しく、朝晩は20℃くらいですが日中は45℃くらいになります。
この地域の漁民は漁に出るときは透明のビニールの雨傘を水面にかざしておき、水蒸気が結露したものをコップに受けて飲みます。傘の内側に綿のテープを縫い付けておくと1時間くらいでコップ一杯くらいの水が得られます。
私も飲みました。生ぬるくておいしくはありませんが蒸留水なので安全です(^^♪
昨日は朝のうちに大型のジープで砂漠の見学とピラミッド見学をし、昼に一行と別れて夕刻の便でウズベキスタンに入りました。
タシュケントではウズベキスタン国立大学の友人が出迎えてくれ、投宿するハイアットリージェンシーホテルに直行しました。
友人に頼んでおいたマンドリオン(馬のお腹の皮を張った民族楽器)がフロントに届いており、部屋に入ってさっそく開封。
欅に似た木をくりぬいて作った小ぶりの胴にはトルコ石やヒスイが象嵌され、長い竿には共鳴弦が何本も取り付けられています。
弦は全部で17本ありますが実際に弾くのは4本だけです。昨晩は大学関係者がショーレストランに招待してくれ、ベリーダンスを観ながら遅くまで歓談しました。
ウズベキスタンの音楽は中東の国々とは一味違った
、ジプシー音楽に似た感じで、踊りもそう派手ではありません。
演奏者が2時間くらい弾きっぱなしなので友人に尋ねると、こちらの楽曲は終わりがないので、演奏者の気分次第なんだそうです。
モンゴルでも飲んだ馬乳酒がおいしく、3杯も飲んでけっこう酔っ払いました。
こちらの酒はラベルに数字が書いてあり、数字が多いと強い酒になります。ビールも3%〜9%まであり、ウォッカは55%くらいあります。
レートは100円=1000スムくらいで、ウォッカが1本1000スムですから100円くらいで買えることになります。
消費物価は安く、先ほどの楽器が日本円換算で4500円くらいです。日本で買えば20万円以上はします。
その点ホテルの値段は高く、ハイアットリージェンシークラスでは安い部屋でも一泊17,000円〜20,000円します。朝晩の気温は17℃〜18℃で日中は25℃〜28℃くらいです。
日本人観光客はあまり多くありませんので、中央アジア観光にはうってつけです。
18日の午前便でインチョン経由で帰国する予定です。

海線周辺は未開拓です

No.3721 投稿者:ふき  投稿日:2017年07月15日(土) 23時03分49秒

梧棲さん、こんばんは。
梧棲さんのハンドル名の由来とも言える梧棲は台中市の西端にあり、すぐ海ですね。最寄駅は海線の沙鹿、清水ですが、いつも列車では高雄などに行くときに素通りで、下りたことがありません。しいて言えば、一回だけ乗り間違えて、後龍で下りたことがあります。台中に行くときに山線のつもりで、海線に乗り、途中で気がつき、あわてて下りました。その時は戻って、苗栗に移動しましたが、次回は海線一帯をまじめに開拓します(笑)。台湾西部は媽祖を祀ったお宮がたくさんあります。梧棲や白沙屯にもありますが、台湾の神様は人間味があり、親しめます。お宮めぐりもいいですね。
梧棲さんは台湾関連のブログも丹念にチェックされているようで、さすがです。私としてはまだまだ勉強が足りないので、ほんとに梧棲さんのお話はためになります。いつもありがとうございます。

沙鹿在住日本人のブログ

No.3720 投稿者:梧棲  投稿日:2017年07月14日(金) 19時55分12秒

ふきさん、皆さん  今晩は。
 私は台湾人と結婚し、台湾で暮らしている日本人のブログを毎週読んでいます。
私はグルメ紹介には全く関心がなく、彼女達が文化習慣の違いを乗り越えて台湾社会にどのように適応しているかに関心があります。
3カ月ほど前に他者のブログを読んでいたら台湾人と結婚した人ではありませんが台中沙鹿在住の日本人女性のブログがあることを知りました。
私は梧棲、沙鹿、清水と台中海線地方に友人が多く、これまでに30回ほど訪れていますが、彼女達から沙鹿に日本人女性が住んでいるという話は聞いたことがありませんでした。
この日本女性は濱屋方子という新潟県出身の方で私と同じ1942年生まれです。大学卒業後神奈川県立高校の国語教師を定年まで勤め、彼女夫婦は子宝に恵まれなかったため定年後は夫を横浜市旭区に残し2003年から単身台湾に渡り大学で日本語講師を勤めています。
2007年から台中沙鹿の静宜大学で日本語を教え、2012年からは【濱屋方子の台湾日記】という題名でブログを書いています。
私と彼女は同じ年齢だけでなく、就職して地方から神奈川県にやって来て暮らすようになり、私が横浜に出る時に海老名から利用する相鉄線を彼女はいつも通勤で乗っていたこと、そして日本人が滅多に訪れることがない台湾の田舎の沙鹿で擦れ違ったかも知れない偶然に驚いています。
彼女は2016年1月に乳癌の手術を受け、医師・看護師付添いで同年11月に最後の授業をした2日後に台中の病院で他界しています。私は彼女のブログの存在を知ったのは彼女が他界した後でした。
この3カ月間で2012年から2015年までのブログを読み終えましたが、濱屋さんと私は台湾社会に関心を持つ箇所も結構共通していると感じます。
台中海線地方を紹介しているブログは濱屋さん以外には見聞したことがないので、私はそのような箇所は梧棲、沙鹿、清水出身の友人達にメールで転送しています。自分達の故郷や出身校を日本女性が紹介してくれていることに彼女達は感謝し、大好評です。

いよいよ、エジプト入りですね

No.3719 投稿者:ふき  投稿日:2017年07月13日(木) 17時31分13秒

tecoさん、アッサラーム・アライクム。

イスタンブールで英気を養ってからのエジプト入国は正解でしょうか(笑)。
ところで、エジプトの前に、そのトルコの軍楽隊の中尉さんとごいっしょにアンマンにも行かれたのですね。中東の人の名前にはたいてい父親の名前が冠されているので、正式には長いですが、そのオズデマイルさんも旧交を温めながら、tecoさんのお仕事の手伝いもでき、きっと満足していると思います。

いまはカイロのラムセス・ヒルトンに泊っているんですか。すごーい。エジブト考古学博物館との間に高架道路とバスターミナルがありますが、最初空港からこのバスターミナルに着いたとき、積み木イメージの大きなホテルが見えましたが、それがラムセス・ヒルトンでした。ナイルの対岸中洲にはカイロタワーがありますね。私も近くまで散歩しました。

エジプトの携帯の電波はよくありません。理由はわかりませんが、私も苦労しました。国内通話は2Gかもしれません。雑音が多く、品質は悪いです。でもエジプトのプリペイドSIMは非常に安いです。データ通信だけもいいのですが、私はインターナショナル・コールも付けました。こちらは3Gなのか、品質も悪くなかったです。この通信分野の進歩は非常に流れが速いので、1年もすれば、また状況が変わっているかも知れません。

アスワンの日中はかなり暑いと思いますが、日陰や夜間はそれほどでもありません。水分補給をしっかりやっていれば、心配することはそれほどでもないですね。お仕事の成功と無事の帰国を祈っています。






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