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冬なのに春節?

No.3641 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月17日(火) 00時02分10秒

葛さん、みなさん、こんばんは。
日本の正月は太陽暦の1月1日なので、冬の真最中で寒いのは当然ですが、昔の旧正月は台湾の春節とおなじく1ヶ月くらい遅れるので2月ころですが、それでもまだ寒いです。到底「春」の実感はありません。よくわかりませんが、本来の「春節」は3月ころだったのでしょうか。台湾よりももっと南に行かないと、なかなか「春」という感じにはなりませんね。
ところで去年は春節時期に台湾に行ったので、ほとんどの商店のシャッターが閉まっていて、まいりました。ちなみにカラオケ店も半分以上閉まっていました。食堂も開いている店はそんなに多くなかったです。前回懲りたので、こんどは春節時期を外します(笑)。

春節は休みなし

No.3640 投稿者:葛(新平市)  投稿日:2017年01月15日(日) 05時06分59秒


ふきさん、tecoさん、皆さんお早うございます。
春節まじかの台湾は日本の師走のような雰囲気です。
しかし私の仕事は宿泊客の対応で休むことが出来ません。仕事明けには家に戻れるので春節を祝う事は出来ます。先日カラオケに行きました。
「長崎物語」「二十歳の恋」「あいたかったぜ」「十代の恋よさようなら」「お吉物語」の5曲を歌いました。皆さんお世辞で褒めて頂きました。
日本には大雪注意報が出て不安定な気象状況が続くようですのでお気をつけてお過ごし下さい。

春節前の台湾

No.3639 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月13日(金) 23時53分03秒

tecoさん、みなさん、こんばんは。
台湾はちょうど今頃日本の師走の雰囲気でしょうか。そちらから活気が聞こえて来るようです。松山の夜市とは饒河街夜市のことでしょうか。私も去年12月に晩ご飯を食べに行きましたが、雨がポツポツ降ってきたので、あわてて帰り、実は何も見ていません(笑)。
tecoさんのパンツの買い物は楽しそうでしたね。靴下なら、消耗が早いので、20足くらいは案外すぐですが、パンツの20枚は相当持つのではないでしょうか。それにしてもtecoさんの買い物上手には驚きました。私などは「修業」が足りないので、いつも相手ペースでやられてしまいます。tecoさんから、そのうち手ほどきを受けたいくらいです(笑)。
さて、日本は明日からぐっと冷えそうで、裏日本、東北、北海道はドカ雪だそうです。台湾は天国ですね。15日も非常に寒暖の差が大きいと思いますので、気をつけてお帰りください。

こんばんは

No.3638 投稿者:teco  投稿日:2017年01月13日(金) 19時35分37秒

ふきさん、葛さん、みなさんこんばんは。

12日から台北に来ています。
今回は契約書にサインするだけなので15日には戻りますが、やはりこっちは暖かいです。
着いた日が19℃で今日は20℃でした。
天候は曇り時々雨という感じですっきりしませんが、春節前の華やかな慌ただしさが台北の街全体に醸し出されています。
今日は友人に誘われて永和市場に行きました。
大勢の買い物客でごった返す通りでは警察がスリや置き引きに注意するようスピーカーで呼びかけ、
政警局発行の鑑札を持っていない露天商をチェックしたりしてました。
松山の夜店も若い売り子たちが声をからしてお客の呼び込みに必死で、私も袖を引かれました。
誰でもいんですね。連れていかれたの女の子のドレスや下着を売る店で、
私のような暴走老人などは万に一つもお客になる可能性もなさそうなのに、暖かいお茶など出してくれて愛想がいいこと。
店員に勧められたのは綿のパンツ(下着)で、10枚パックで500NT$だと言います。
中を見てもいいと言うので袋を開けてみるとけっこうまともなブリーフでした。
品物はよさそうだが値段をまけろというと負からないと言います。
それじゃあ要らないというと幾らなら買うかと逆に聞いてきます。
そうだなあ、250、いや200NT$でどうだ?
その金額ならうちが買いますよ。350NT$でどうですか?
二つ買うから250NT$にしろよ。
じゃあ、このシャツをつけて500NT$で。
シャツは要らないよ。
じゃあ、パンツふた袋で550NT$で。これ以上は絶対ダメです。
こうしてパンツを20枚も買いました。
「お客さんはヤクザよりひどい」などと言われましたが、いつも持ち歩いている虎屋のひと口羊羹を三つほどさし上げてお茶を飲みながら世間話をしてきました。
こういう楽しい雰囲気は台湾にしか残っていません。

古いスマホ

No.3637 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月07日(土) 19時12分39秒

梧棲さん、こんばんは。
なるほど何となく梧棲さんのネット状況がわかりました。パソコンから古いスマホにデータ移動する際に、一部の文字が伏字になってしまうわけですね。古いスマホが日本のローカルコードにしか対応していないようなので、これは仕方のないことです。[衣末]のような漢字は「抹」や「沒」のようなローカルコードにもある基本漢字に書き換えれば、問題ありません。
パソコンを直接ネットに接続する方法もありますが、ウイルス対策などをしないと、なかなか安心して使うことができません。
そのうち古いスマホが壊れた時、新しいのに買い替えれば、このような問題もなくなると思います。

姉妹流浪記

No.3636 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2017年01月07日(土) 17時02分13秒

ふきさん、
 歌の登録でお手数をおかけしました。

 私はパソコンは素人で、どうにか利用出来ているレベルです。
またパソコン自体はネット接続しておらず、まだi Phoneなどなかった10年前の旧式スマホでメールやネット検索をしているだけです。
文章が長くなると、先ずパソコンで作成し、USBケーブルで旧式スマホに文書ファイルを送ってスマホから送信しています。
パソコンではほとんどの漢字が表示で来ているのに、このスマホを経由する時に一部の漢字が表示できなくなってしまいます。

 確かに[boe7、be7]の漢字表記には何種類もありますね。「没」だと旧式スマホでも表示できるので今後はこちらを使おうと思います。

 【姉妹流浪記(日本語原曲:連絡船の着く港)】の作詞の由来が分かったので日台共通歌曲の方に投稿しました。
歌詞の中に大水害で家も父親もなくした姉妹が故郷を離れ流浪の身になったと書かれていますが、どの時の水害に由来しているのか、それとも一般的な被災者のことを書いたのか私は少し気になっていましたが最近作詞者の書いた本を読んで分かりました。

ありがとうございます

No.3635 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月05日(木) 19時29分05秒

梧棲さん、こんばんは。
お調べいただき、恐縮しています。さっそく訂正させていただきました。
これらの文字は基本的な日本語漢字にないため、処理系により、伏字になることがあります。
ただしご覧のブラウザがUnicodeに対応していれば、この掲示版でも正常に表示されます。

> 台湾語曲【愛】  詞:姚讃福 歌:尤雅
> 明知只愛你一人 情絲袜相牽 不知不覺咱雙人 已經落情網
> 心茫茫啊心茫茫 想要斟嘴來輕鬆 想著心跳動 興奮目眶紅

ところで、「衣」へんに「末」の[boe7]ですが、これはもともと「無」と「會」の合体音と思われます。
本来2音節であったのが、1音節に圧縮されたケースで、いろんな漢字が充てられています。
「勿會」、「沫」、「沒」、「秣」、「袂」、「不」等々。
歌詞カードにより様々なので、この漢字も早く統一されることを希望します。

台湾語歌「愛」の歌詞

No.3634 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2017年01月05日(木) 16時50分29秒

ふきさん、
 週に2回しかインターネット検索していないので今日気付きました。返事が遅くなって申し訳ありません。
表示されていない漢字の箇所は合成して表記します。
順番に[li2][boe7]、[lan2]、[a]、[khong]です。

台湾語曲【愛】  詞:姚讃福 歌:尤雅
明知只愛[イ尓]一人 情絲[衣へんに末]相牽 不知不覺[ロ自]雙人 已經落情網
心茫茫[ロ阿]心茫茫 想要斟嘴來輕鬆 想著心跳動 興奮目[目匡]紅

台湾語曲「愛」

No.3633 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月03日(火) 22時35分55秒

梧棲さん、こんばんは。
元旦にいただいたデータを早速登録させていただきました。
日台共通歌曲をご確認ください。

ただ、園まりの「逢いたくて逢いたくて」の台湾語曲である尤雅の「愛」の歌い出しに不明字が多く、
調査をいたしましたが、結局わかりませんでした。
歌詞カードなどがありましたら、今一度ご確認いただければ、ありがたいです。
よろしくお願いいたします。

> 台湾語曲【愛】  詞:姚讃福 歌:尤雅
> 明知只愛?一人 情絲?相牽 不知不覺?雙人 已經落情網
> 心茫茫?心茫茫 想要斟嘴來輕鬆 想著心跳動 興奮目?紅

明けましておめでとうございます

No.3632 投稿者:ふき  投稿日:2017年01月01日(日) 20時29分31秒

みなさん、今日は元旦晴れの非常にすがすがしい一日でした。
昨夜は「紅白歌合戦」の後半を見てから、田原総一朗の「朝まで生テレビ」を深夜まで見て、寝たので、起きた時はお昼前でした。家族がいるとこういう朝寝坊にはならないと思いますが、自由人はどうしても時間がルーズになります。職場時代の規則正しい生活がなつかしいです。
さて、梧棲さんからは元旦早々すごい「お年玉」をいただき、恐縮しています。それにしてもよく調べられましたね。
実は私も結構いい歳なんですが、意外にナツメロは苦手です。若いころはほとんど歌謡曲を聞いていなかったからです。それでも年の功で、街を歩いていれば、自然に流行歌は耳に入って来ますし、またラジオやテレビの「歌謡番組」からもたくさんのヒット曲が流れて来るので、門前の小僧のたとえで、若い人よりはある程度の知識はあると思います。それでも梧棲さんのようにほんとうに歌謡曲の好きな方には到底かないません。感謝感激です。ただ、これだけ大量の曲ですと、更新アップに少しばかり時間をいただきたいので、いましばらくお待ち下さい。
今年もどうかよろしくお願いいたします。

新年おめでとうございます

No.3631 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2017年01月01日(日) 11時00分11秒

ふきさん、
 新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 年末に12月の台湾旅行で友人からプレゼントされた五虎唱片公司のCD15枚(220余曲)を聞きました。
大半が1950年代〜70年代の歌で、当然日本原曲に台湾語の歌詞を付けた歌が結構あり、多くは既に日台共通歌曲に登録されていますが、まだ登録されていない歌も見つかったのでメールしました。台湾語の歌詞は一番だけ書きました。
私が中学生の頃に聞いた歌で題名が思い出せないのも何曲かあり、歌詞の一部でネット検索しましたが、いずれも「見つかりませんでした」という回答で、それ以上の検索は断念しました。
それから小林旭の【自動車ショー歌】の台湾語版【愛某不驚艱苦】の作詞者は「文丁」です。五虎唱片公司版では黄西田が歌っています。

日本語曲【古城 三橋美智也】   
台湾語曲【落葉思情】  詞:黄玉玲 歌:尤雅
春天百花滿山開 鳥隻成雙對 ?我雙人伴相隨 雖然真迷醉
這是最後的做堆 心酸強要醉 ?!天涯茫茫何時歸 情意像流水

日本語曲【影を慕いて 美空ひばり】  
台湾語曲【懷念的吉他】  詞:周添旺 歌:陳芬蘭
風雨落袂停 無意中想出著伊 可愛的面形 自彼日相會以來 對伊暗思情
不知怎樣心袂清 精神袂冷静 日思暮想的心境 不敢表分明

日本語曲【逢いたくて逢いたくて 園まり】  
台湾語曲【愛】  詞:姚讃福 歌:尤雅
明知只愛?一人 情絲?相牽 不知不覺?雙人 已經落情網
心茫茫?心茫茫 想要斟嘴來輕鬆 想著心跳動 興奮目?紅

日本語曲【夢は夜ひらく 園まり】  
台湾語曲【雨夜花蕊】 詞:周松柏 歌:尤莉
雙人約會日期遇著落雨天 但是為要見面?緊着來去 
被雨水一直渥到滿身淡滴滴 雨夜花當開時 

日本語曲【真赤な太陽 美空ひばり】  
台湾語曲【男性那有什麼稀奇】 詞:黄玉玲 歌:尤雅
手捧酒一杯滿腹的恨火 世間真呆找 弱女痴情阮一個 男性太靠勢殘踏純情花
心内真怨切 堅心報復?一個
人生幸福無幾擺 看清世才應該 男性有好呆 只愛提出勇氣來 找出真心的情愛
格心飲焼酒 也難解憂愁 失戀味難受 悲愁心情何時休

日本語曲【高原の駅よ、さようなら 小畑実】  
台湾語曲【惜別的列車】 詞:周松柏 歌:許松村
?雙人自細漢 相愛甲相親 有立誓有約束 永遠?做陣 
無疑?母不允准 ?二人的結婚 害?心内苦又悶 精神亂紛紛

日本語曲【小指の想い出 伊東ゆかり】  
台湾語曲【幼稚園的愛人】 詞:黄玉玲 歌:陳淑樺
阮最愛到春天 鳥隻塊吟歌詩 草青春花嬌媚 乎阮回想著童年 阮毎日伴做堆 做陣捉田嬰
真歡喜做遊戯 細漢的好伴侶 幼稚的真情誼 到如今也會記 可惜是過了時 阮變成了空相思

日本語曲【芸道一代 美空ひばり】  
台湾語曲【少女悲歌】 詞:阿丁 歌:清菁
彼日中秋月暝 約束訂情義 阮也是純情女性 一切信耐伊 希望會有一日雙人來團圓
為怎樣無音信給人心傷悲 給人心傷悲

日本語曲【幸せなら手をたたこう 坂本九】  
台湾語曲【天下一大笑】 詞:謝麗燕 歌:郭大誠
大家爽快來跳印度番仔舞 大家爽快來跳美國脱衣舞 
大家爽快來跳恰恰曼波盡量來跳? 黒白舞較贏英國紳士舞

今年もお世話になりました

No.3630 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月31日(土) 22時39分14秒

tecoさん、葛さん、梧棲さん、みなさん、こんばんは。
今年も残り1時間余りとなりました。一年が過ぎるのは早いもので、あっという間ですね。そして誰もが確実に歳を重ねて行きます。おっと、それは忘れることにして、みな万年青年でいることにしましょう(笑)。
葛さんは複数のホテルでお仕事をされているので、ハンドル名のエリアを広げたのでしょうか(板橋→新平市)。台湾で充実したお仕事をされているようでなによりです。台湾はハワイと並んで日本人にはダントツに人気があるので、葛さんの忙しさはずっと続くことと思います。しかしたまにはカラオケで「息抜き」もして下さいよ。メリハリのある生活が一番です。梧棲さんのお名前の由来は、この掲示板のNo.3603で、詳しく述べられています。参考になさってください。
さて、tecoさんも来年からフリーハンドが利くようになりますね。1970年代のころは、飛行機代が高かったので、ヨーロッパをめざす日本の若者たちはシベリア鉄道や、アエロフロート機を使って、シベリアを横断したものです。私の友人たちによると、「ソ連の飯はまずかった」というのが彼らの一致した答えですが、もちろんそれは昔の話で、今のロシアは全然違うと思います。シベリアの大自然は感動ものでしょうし、食事もおそらく「おいしい」と思います。でもやはり夏場がベストシーズンでしょうか。旅行が実現できたら、いいですね。
ところで今回のインド旅行は私にとって大変な試練でしたが、これを乗り越えられたということで、もう怖いものなしです。来年もチャレンジ精神をもって、発展途上国を中心に漫遊しそうです(笑)。
今年もこの掲示板でみなさんからたくさんの励ましと勇気をいただきました。来年もみなさんにとって、良い年でありますよう、心から祈っております。ありがとうございました。

今年もお世話になりました

No.3629 投稿者:葛(新平市)  投稿日:2016年12月30日(金) 19時25分54秒


ふきさん、tecoさん、皆さん、こんばんは。

この掲示板に出会えたことを心から感謝しています。私は毎日数軒のホテルのクリ−ニング担当として働かせて頂いています。最近この掲示板を開く時間があまりなくご無沙汰しています。
しかしふきさんと梧棲さんのやり取りは圧巻です。
お二人の台湾語の造詣の深さに引いてしまう思いです。tecoさんはビジネスとして海外を飛び回って、また音楽活動にも活躍されて皆さんを尊敬しています。梧棲さんは台中の梧棲とは何か関係があるのでしょうか。先日梧棲に行きました。
今年はふきさんの旅だよりも楽しませて頂きました。世界を取り巻く情勢は余りにも不幸な事が続き
心が痛みます。私の今の台湾生活は幸せすぎるほど充実しています。来年も皆さんがそれぞれ幸せな生活を送られるように願っています。
一年間有難うございました。来年もよろしくお願いいたします。良いお年を!*^^*

今年もお世話になりました。

No.3628 投稿者:teco  投稿日:2016年12月30日(金) 12時21分26秒

ふきさん、みなさん、こんにちは。

今年もあますところあと二日、大掃除や仕事納めも済み、ようやくお正月を迎える準備が整いました。
梧棲さんの専門的な知識に驚かされるとともに、台湾大好きな方がまた加わってくれたことに感謝しております。
台湾在住の葛さんもお元気で頑張っておられるご様子ですし、A BengさんもS-800で楽しんでおられるようでけっこうなことだと喜んでおります。

今年の掲示板十大ニュースの筆頭はふきさんのインド旅行でしょうね。
来年は私もいよいよ大台(70)ですので、記念にいままで行ったことがないシベリアあたりに足を延ばしてみたいと思っています。
できれば自分の車で移動したいなどと思っておりますが、さて実現できるかどうか。。
台北の台湾事務所は永年苦労をともにしてくれた友人(来春鹿港に転居予定)の息子さんに譲り、日本での仕事も次男坊に任せられるようになったので、来年はこれまでよりたっぷり時間が取れます。
そんなことを思いつつ、2016年を振り返っております。
来年が皆さんにとって良い年になりますようお祈りしますとともに、この一年お世話になりましたことを改めてお礼申し上げます。

大著完成

No.3627 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月24日(土) 23時34分40秒

梧棲さん、こんばんは。
お疲れさまでした。よくここまでまとめ上げられましたね。敬服の至りです。
私などは不勉強で、桃園空港から台北市内に入るときにバスで通る「馬偕紀念醫院」くらいしかピンと来るものがありませんが、こんなに多くの台湾に貢献した外国人がいたんですね。あらためて驚いています。台湾の歌手で「榕樹下(北国の春)」を歌った余天はどう見ても西洋人っぽいです。もしかすると、彼などもオランダ人のDNAが入っている可能性があります。もちろん私の憶測ですが…。
私の持っている「英語語源辞典」によりますと、英語の「tea」はフランス語の「thé」からで、これはマレー語の「teh」に遡り、さらにその源は南中国方言(福建省)の「te」とありました。経由地に諸説はあるでしょうが、びん南語音「茶(te5)」が起源であることは疑いの余地はなさそうです。

今回の旅行の最後に「息抜き」に台北に寄って来ました。梧棲さんのおっしゃっていた錦州街ですが、KTVの好樂迪のほうから歩いて5分くらい、ちょうど高架橋のあたりに3軒カラオケ店があり、そのうちの2軒に入り、歌ってきました。一軒は200元、もう一軒は250元でしたが、どちらも中年の年齢層客なので、台湾語がメイン。客も少なく、かなり歌えて楽しめました。林森北路は大体300元で、ホステス付きが多く、余分な出費(チップ)などがあったりするので、今後は錦州街に軸足が移りそうです(笑)。
さて、今年は貴重な投稿ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

新年会

No.3626 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月24日(土) 23時33分39秒

tecoさん、こんばんは。
おっしゃる通り、インドでは「何があってもおかしくない」ので、まずは日本の常識を忘れることですね。
もっともインドに限ったことではありませんが、いったん海外に出れば、いつもとは違う生活が待っています。私の知人はバリ島で「ホテルにお風呂がなかったので驚いた」と言っていましたが、私は逆にその言葉に驚きました。もともと私はシャワーで十分という考えなので、そんなことを意識したこともありませんでした。ただ台湾には意外にバスタブのあるホテルが多いのですが、これは日本人客が多いという「特殊事情」かも知れません。
鹿港は古い台湾風情が残っていて、落ち着ける町ですね。大きすぎず、小さすぎず、私も大好きです。

tecoさんは来年からは隠居の準備ですか。まだ早いような気もしますが、自由時間は確実に増えますね(笑)。
それから新年オフ会の件ですが、いつもお世話になります。
私の場合は何曜日でもOKですので、どうかよろしくお願します。

台湾語の歌に魅せられて8

No.3625 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年12月24日(土) 11時17分06秒

ふきさん、
 7月から台湾音楽を主題に文通している元レコード会社役員の周彬梧さんという方と12月12日に台中のカラオケで初めて会いました。
私が【難忘的愛人(日本原曲:南国エレジー)】を歌ったら、彼のレコード会社から出した尤雅の歌で、この歌ではかなり儲けさせてもらったと言っていました。彼の会社では陳芬蘭の【孤女的願望(日本原曲:花笠道中)】が儲け頭だそうです。
 彼の長兄が書かれた台湾の民間ラジオ放送史・レコード会社史を贈ってもらい、正月休みにじっくり読むつもりです。

 今回は歌とは関係ないことを書きます。
 沙鹿の友人の母親は私が訪問する度に、私に台湾に関する本をプレゼントしてくれます。
どれも中国語で書かれた本ですが大抵、私が関心のある内容の本なので帰国後は毎日30〜40分ずつ読んで、どの本も完読しています。その中で私が繰り返し読んでいるお気に入りが2冊あります。

 1冊は『正港台湾人(莊永明、李懷、張嘉? 2000年)』という本で台湾社会の発展に貢献した外国人が紹介されています。緒言には次のように書かれています;
 台湾語の「正港」は「正真正銘本物」という意味である。本書では20名の偉大な外国人を紹介する――馬偕、森丑之助、八田與一、堀内次雄、立石鐵臣、磯永吉・・・・等、彼等の出自は台湾人ではないものの心は台湾に繋がっており台湾を研究し、建設し、台湾人よりも更に台湾人であると言えよう。
よって彼等を「正港台湾人:正真正銘の台湾人」と称することに誰が異論を唱えられようか?

 全員を紹介するには紙面が足りないので私が個人的に関心を持った人物だけを、しかも簡単に紹介します。
欧米人では私が前から知っていたのは馬偕醫院(台北中山北路/民生西路)で有名な馬偕と台湾語の教会ローマ字表記を推進した巴克禮だけでした。
日本人も私が名前まで知っていたのは八田與一だけで、台湾蓬莱米の父と呼ばれている方がいたことは知っていても名前は記憶していませんでした。この本を読んで台湾原住民の研究に専念した日本人が多いのに驚きました。
現在の台湾でもその功績を称えられている日本人の先輩がいることはやはり嬉しいです。
私はこの本では紹介されていませんが、日本本国から優秀な人材を招聘し台湾の近代化を進めた後藤新平の功績は偉大だと感じます。

欧米人
【馬雅各(James Maxwell)】:台湾醫療傳教第一人 英国人医師・宣教師
【甘為霖(William Campbell)】:台湾盲人教育的先驅者 英国人宣教師・地理学者

【馬偕(George MacKay)】:拿著抜牙鉗的傳教師(歯を抜く鉗子を持った宣教師)カナダ人宣教師
1871年 來台、これまで南部主体だった宣教活動を北部にも広げるために淡水を拠点にする。台湾語を学び、布教活動の際に無料で抜歯してやる。
1873 年2名の外国人醫師に来てもらって淡水に醫院を開設→1879年 3千米ドルの寄付を受けて最新式醫院に改造
1875年 五股の張聰明と結婚。
1882年 理學堂大書院(牛津學堂)、1884年 淡水女學堂を開設→これから分枝して馬偕護校、淡江中学、淡水工専、台湾神學院ができた。
日治時代の一般中学には台湾人は半分も入学できない仕組みになっていたので淡江中学を目指す台湾の若者が多かった。馬偕の功績に感謝して現在でも平埔族には「偕」を姓にしている者が少なくない。

【巴克禮(Thomas Barclay)】:台湾第一?報紙創?人 英国人宣教師
1874年 厦門でビンナン語習得→1875年 來台→1880年 台南で神學校創立
1884年 台湾で最初の活版印刷機を導入
当時の台湾の識字率は10%以下だったので台湾語の口語をローマ字?音で表記することを推進
1885年から「台湾府城教會報 Tai-oan hu-sia kau-hoe po」を正式発刊

【巴爾頓(William Burton)】:台湾自來水之父  英国人技師で日本語も台湾語もできなかった
1887年4月 東京帝大教師・内務省衛生局技師兼任として來日
1888年 東京上下水道調査委主任→後藤新平と親交を結ぶ
1896年8月〜1899年8月 後藤新平に聘請されて弟子の浜野弥四郎と共に台湾の衛生調査と上下水道設計
→この任務中に赤痢に罹患し1899年8月に死去→弟子の浜野が継いで上下水道を完成

日本人
【長谷川謹介】:縱貫鐵路的工程師  山口県出身
1899年に「臨時台湾鐡道敷設部技師長」として來台し縱貫鐡道建設を主導→1906年鐡道部長
1908年4月20日 縱貫鐡道完成→同年10月24日開業
(備考) 清朝時代から縱貫鐡道は計画されていた。
1891年10月 基驕`台北開通→1893年11月 台北〜新竹開通

【高木友枝】:台湾醫學生之父  福島県出身
1895年 後藤新平の聘請で來台、当時流行していたペスト(死亡率80%だった)の防治に専念
→飲み水と排水工程の改善に着手し数年後にペストの蔓延防止に成功
1902年 台湾總督府醫學校校長
1919年 台湾電力株式會社初代社長に就任しアジアで最大の日月潭水力発電所建設に着工→1934年6月3日完成

【伊能嘉矩】:台湾研究的巨擘  岩手県出身 
1895年 陸軍省雇員の身分で來台し總督府勤務→附設の「台湾土語講習所」で?南語を学び、同時にタイヤル語を研究、馬來語を独学
1900年 台湾慣習研究会の設立に際し幹事に推され、民俗調査の担当となる
1922年 總督府史料編纂委員会嘱託
 台湾各族群を実地調査研究し『台湾蕃人事情』、『台湾志』、『台湾蕃政志』、『領台十年史』等十余の本を著作し台湾原住民、台湾歴史、台湾民俗の研究で重要な貢献をした。台湾平埔族分類の創始者。 
従来の開明度が高い蕃人、低い蕃人という原住民分類から脱却して新たにより科学的な分類を打ち立てた。

【鳥居龍蔵】:徒歩踏遍台湾的人類學者(台湾全土を徒歩で調査した人類学者)  徳島県出身
1887年に小学校入学するも1年生の時、2年生の時にそれぞれ留年し退学に追い込まれる。その後は正式に学校で学ぶ機会なし
1893年 東京帝大人類学教室標本整理員に採用され日本人類学の父、坪井正五郎に師事
1896年7月〜1900年の間に4回東京帝大から人類学研究調査のため台湾に派遣される。常に徒歩で探検調査し台湾本島、紅頭嶼(現在の蘭嶼)、緑島等の外島、玉山、中央山脈横断して原住民を徹底調査した。
民俗誌學の大作品『紅頭嶼土俗調査報告』、『人類學寫眞集・台湾紅頭嶼』は100年後の今日でも雅美族研究の最高作と評価されている。鳥居には学歴はないが数多くの人類学論文により1921年に日本文部省は博士学位を授け東京帝大副教授に任命した。

【堀内次雄】:台湾醫學教育的領航員  兵庫県出身
1895年に三等軍医として來台。台湾では二つの大きな貢献をした。
一つは台北病院醫學講習所研究室主任の時代に細菌、血清分野を担当し黒死病と俗称されていた鼠疫、デング熱、流行性脊髄膜炎、甲状腺腫等の台湾の傳染病防治と公共衛生に尽力した。
もう一つは1915年から台湾總督府醫學校の第三代校長として台北帝大醫學部が成立するまでの31年間を務め医療人材の養成に貢献した。
清廉な生き方を通したので自宅はあばら家であったため台湾醫師會は募金して恩師に家を寄贈した。不幸にもこの家は戦後は國民党政府に「日産」と認定されて没収された。

【森丑之助】:台湾原住民第一通  京都府出身
1895年5月18歳の時に陸軍の通訳として來台、以後30年間台湾原住民調査研究を続ける。
1900年1月〜9月:鳥居龍蔵のガイド兼土語、蕃語通訳として人類学調査研究。
1905年に台湾總督府殖産局嘱託として植物採集、調査に従事しながら個人的に原住民調査。
1909年臨時舊慣習調査會に蕃族科を増設、森は嘱託として蕃地調査
1913年、日本に一時帰国したが1914年に台湾に戻り蕃族科嘱託を継続
 人類学、植物学、地理学に重要な貢献をした。
現在台湾高山植物学名には森氏菊、森氏杜鵑など森の名を冠したものが20余種。
『台湾蕃族志』、『台湾蕃族圖譜』、『台湾蕃人寫眞帖』、『台湾山岳景觀解説』、『阿眉蕃語集』等の台湾原住民研究論文は数多くあり、特に『台湾蕃族志』、『台湾蕃族圖譜』の出版は学術界を震撼させ、大衆に台湾原住民の文化を全く新しく理解できるようにした。
1915年に布農族による「大分事件」が起きた時に森は原住民問題は鎮圧方式では解決できない、原住民の自治を認める「蕃族楽園」をつくる理蕃事業を推進するべきだと總督府に進言したが同意は得られなかった。

【八田與一】:嘉南大?的建設者  石川県出身
 毎年5月8日に嘉南水利会の総会で参加者全員が並んで烏山頭ダム傍の八田與一と妻の外代樹の墓を参拝する。数十年一日の如し。それはこの八田というエンジニアの貢献がなかったら嘉南平野(嘉義〜台南)の肥沃千里が存在しないからである。
八田與一は「嘉南大?(カナンタイシュウ)の父」と尊敬されて呼ばれている日本人で、東南アジア最大のダム――烏山頭ダムを造っただけでなく農作物の3年輪作を可能にし台湾農業発展に甚大な功績を遺した。
1910年7月東京帝大工科大学土木系卒業、同年8月に台湾總督府技手(技術官僚)に任用される。上司の中の一人に台湾に水道建設した浜野弥四郎がいた。
1910年〜1916年は水道業務に従事、1916年8月に発電、灌漑関連業務担当になり米を増産するための灌漑設備の建設企画や水田用地探しに従事。桃園??や日月潭水力発電の企画、建設に参画する。
1918年内務省技監の原田貞司の随員として嘉南地区の灌漑の事前調査に参加する。
八田與一は嘉南平原全域を灌漑できる巨大ダムを建議した。桃園大?の20倍の長さの水路で「三年輪作給水法」で農作できる。何度も議論検討された末に八田の提案が採用された。
1919年から烏山頭ダム建設に着工、3078mの烏山嶺を越える引水トンネルは大変な難事業で落命した犠牲者も少なくなかった。
1930年に烏山頭ダム、給水路及び排水路と嘉南大?の全工程が完工した。
八田の無私的な貢献に感謝してダム建設に加わった人々は募金して八田與一の銅像を珊瑚潭畔に建てた。
八田は台湾での土木技術者養成のための専門学校の設立を唱え、これが總督府資深技師西村仁三郎の支持を得て1937年に台北市樺山町に「土木測量技術員養成所」が開校し西村が校長、八田が顧問を務めた。この学校は戦後瑞芳に移転し「瑞芳高工」に改名した。
1942年、八田は日本政府に徴召されて太平洋号でフィリピンに向かう途中米軍に撃沈され死亡、56歳であった。妻の八田外代樹は1945年9月1日烏山頭ダム送水口で入水自殺した。
嘉南水利會は八田夫妻のための墓園を作り毎年祭祀している。

 台南の小学校の教科書には八田與一の偉業が載っているし、ほぼ全編が日本語のセリフの映画『KANO』では烏山頭ダムが完成し、ダムから放たれた水が嘉南平野の用水路を満たしていくのを農民たちが喜んでいるシーンがありますね。

【磯永吉】:台湾蓬莱米之父  広島県出身
 磯永吉、被稱作「台湾蓬莱米之父」、由於他努力地改良了台湾的稲米品種、今日我們才可能吃到又香又Q的蓬莱米。在他居台47年歳月中、磯永吉致力於台湾農業的研究和稲米品種改良、為台湾農業貢良多。
 磯永吉は「台湾蓬莱米の父」と呼ばれる。彼の努力により台湾の稲の品種が改良されたおかげで今日の我々台湾人は香りがよくて「コシのある、もちもちした(Q)」美味しい蓬莱米を食べることができるのである。
台湾在住47年の間に磯永吉は台湾農業の研究と稲の品種改良に従事し台湾農業の発展に大きな貢献をした。
1911年7月に東北帝大農学科卒業後1912年に來台し總督府農事試験場の技手(技術官僚)に任命される。
1914年技師に昇進、1919年前まで欧米各国に留学し農産品改良技術を学ぶ。
1925年末に中国南部、香港、マレーシア、インド、フィリピン等の農業を視察後台湾に戻る。總督府中央研究所技師、台北帝大助教授を歴任。
1928年再び欧米各国に留学し農業博士の学位取得。
1930年台北帝大教授に昇任。 著作に『水稲耕種法演講』、『台湾亜麻的将來』
 磯永吉は数少ない、戦後も台湾在留を認められた日本人で台湾省農林廳技術顧問を1957年6月28日まで務めた。83歳の高齢のため引退し日本に帰った。
台湾政府は台湾農業への大きな貢獻に感謝して引退帰国した磯永吉に対して彼の存命中は1日3食分の蓬莱米を毎年贈り続けた。磯永吉の台湾滞在期間は合計50年に亘った。
それ故、彼は「台湾に住んだ日本人」と言うよりも「日本から来た台湾人」と称する方が相応しい。

 私は台湾旅行中に足裏マッサージ(脚底按摩)をしてもらうことが多いです。当初は台湾人が考案した施術だと思い込んでいましたが、後になって実はスイス人宣教師の【ヨーゼフ・オイグスター(台湾名:呉若石)】が宣教の傍ら無料で足裏マッサージによる治療をしていたことで台湾に広まったことを知りました(朝日新聞土曜ナントカ学 2009.08.08など)。台北市内には「呉神父直伝」であることを謳う足裏マッサージ店がありますね。
『正港台湾人』には載っていませんが、台北市内だけでも足裏マッサージの店はたくさんあり、オイグスターさんは台湾に多くのマッサージ師の職を生み出したことに貢献したと言えます。

 もう1冊は『?南人(ビンナン人)、林 再復1984年)』という本で、現在台湾で河洛(福?)人と呼ばれている人々の台湾入墾後の歴史が詳しく紹介されています。
私の台湾の友人の内、中年以上の2名に彼等の祖先が台湾に入墾した場所だけを知らせてもらって、この本の「明清兩代ビン南人入墾台湾一覧表」から彼等の台湾開祖の名前を推定したらズバリ正解で、日本人に簡単に調べられて驚いていると言われました。

台湾では「陳林半天下」と言われ、陳姓が一番多く、次いで林姓が多いですね。2010年の統計では
1位:陳11.13%、2位:林8.30%、3位:黄6.03%、4位:張5.28%、5位:李5.14%、6位:王4.12%、7位:呉4.04%、
8位:劉3.17%、9位:蔡2.91%、10位:楊2.66%
この統計は河洛人、客家人、原住民、外省人と現在の全ての台湾籍の姓のランキングですね。
明清兩代?南人入墾台湾一覧表からは河洛人の中で泉州出身が圧倒的に多い姓、ショウ州出身が圧倒的に多い姓、どちらの出身者もほぼ半ばして姓からは判断できないケースなどが分かります。
≪泉州出身が多い姓≫
蘇:100% 侯:100% 梁:100% 白:100% 王:97% 杜:96% 葉:86% 孫:86% 蔡:83% 
周:83% 傅:83% 洪:82% 柯:81% 顔:81% 高:79% 陳:77% 翁:76% 許:71%
≪泉州出身がやや多い姓≫
鄭:67% 呉:64% 謝:59%
≪ショウ州出身が多い姓≫
游:100% 江:100% 施:100% 呂:100% 徐:94% 頼:93% 羅:93% 何:89% 廖:85% 
盧:75% 張:74% 林:72% 柳:71%
≪ショウ州出身がやや多い姓≫
莊:58% 楊:57% 曾:55% 趙:55%

 明朝も清朝も漢族女性の海外渡航は原則禁じていたので明清兩代?南人入墾台湾一覧表には男性の名前しかありません。中には密航した漢族女性もいたのかも知れませんが、台湾に入墾した漢族男性のほとんどが原住民女性と結婚して家系を繋げるしかなかったことになります。
日本語世代の友人の大多数は自分が?南男性或いは客家男性と原住民女性の混血の後裔であることを認識していますが、50歳台以下の友人達は誰もが自分達の台湾開祖の男性の名前や出身地を知ってはいても、学校教育で台湾の歴史を全く学んでいないので自分達が100%漢民族の後裔であると誤解している者もいます。
台湾人の誰もが知っている、台湾の英雄である鄭成功ですが、彼ですら母親が日本人で子供時代に長崎で過ごしていた、長崎の平戸には鄭成功記念館もあることを私が告げると若者の中には初めて知ったと驚く者もいます。
現在は米国籍で83歳の嘉義出身の友人である男性は2016年年3月に訪台した時に馬偕醫院でDNA検査を受け福建南部男性と漢民族ではない女性のDNAを受け継いでいることを証明されたと最近私に知らせてきました。彼の姉妹たちのDNAも検査もすれば、どの原住民女性の遺伝子を受け継いでいるかも分かるようだとも語っていました。
私がまだフリーのパックツアーに参加していた頃に台南出身の男性ガイドさんに桃園空港〜台北のホテルを送迎してもらったことがあります。彼の容貌は西洋人に似ていると感じましたが、彼の方からオランダ統治時代にオランダ人と混血した家系の後裔だと告げられました。300〜400年ほど前の混血の家系なのに隔世遺伝だろうか自分や肉親に西洋人の容貌に近い者がいると話していました。

 「茶」は北京語では[cha2]ですが台湾語では[te5]ですね。
日本語は「ちゃ」、客家語は[tsa]で、インドやロシアでは「チャイ」と北京語に近い音だと聞いたことがあります。中国の近隣国は[cha]に近い音ですね。
 一方ドイツ語では[tee]、フランス語では[the´]、英語では[tea]と?南語に近い音になっています。西欧に茶が大量に届くようになったのは大航海時代以降で主に福建・泉州の港から輸出されたので?南語が語源となったのだという説を聞いたことがあります。
           終わり


 ふきさん、長旅から帰国なされたのですね。お疲れ様です。

 私は台湾旅行から帰って来てから暫くはクリスマスカード、年賀状書きに追われていましたが、どうにか終えて、年内に「台湾語の歌に魅せられて」の最終回を投稿することができ安堵しています。
 妻が泌尿器系の癌になってから5回目の年越しになります。
初回は8時間半の大手術でしたが2回目以降は毎年手術するものの、幸い早期に、まだ小さい癌を見つけては切除する手術なので手術時間も90から120分くらいで翌日には歩けて5日くらいで退院できています。
もぐら叩きのような癌との闘いです。
今年11月、12月は手術するほどの状況ではないと医師が告げてくれたのと、妻は私が家事疲れしないようにと、気晴らしになるからと先日60回目の台湾旅行に行かせてくれました。
台湾の友人達には次回の訪台は何時になるか分からない、ひょっとしたら数年は来られないかも知れないと伝えてきました。
 「台湾語の歌に魅せられて」は私なりの台湾愛の証として纏めておこうと思い、書いてみました。
 【Yahoo台湾ニュース】、【台湾の反応ブログ】、台湾在住日本人数名のブログ、ふきさんの「掲示版」は毎週2回アクセスして楽しみに見ています。台湾観光協会の出入国統計は毎月末チェックしています。

 掲示板の愛好者の皆様、よい年を!

おかえりなさい

No.3624 投稿者:teco  投稿日:2016年12月24日(土) 08時56分14秒

ふきさん、お疲れ様でした。ご無事に帰国されてなによりです。

私もインド旅行は何年もしていませんが、なにがあってもおかしくはない混沌の度合いは変わっていないようですね。
私はふきさんのお留守のあいだに広州と台北に行ってきました。
広州は仕事でしたが台北では友人たちと歓談して過ごしました。
永年台湾電力に勤務していた友人は春節明けに奥さんの実家のある鹿港に転居する予定だといいます。
台北の住まいは子どもに譲り、奥さんの実家の傍に小さな家を建てて奥さんと二人だけで暮らそうと考えているそうです。
なんでそういうことになったの?と訊いたら、
都会のマンション暮らしは便利ではあるが味がない。自分は台北生まれでふるさとと言えるところはここだけだが、鹿港生まれの妻にはいまでも親しくしている幼友達がおおぜいいるし実家にも近い。
台北での暮らしがいやになったわけではないが、田舎でのんびりするのも悪くはないんじゃないかと思うんだ。
鹿港には昔ながらの生活習慣や文化が色濃く残っている。台湾らしい台湾の文化を守っていくにはそこで暮らすのが一番だと思うからだ、と言ってました。
新しいマンションを買おうと思ってためておいた資金で十分におつりがくると言ってました。
私は好きなことを仕事として楽しみながら働けていますが、こいう話を聞くといくらか憧れのようなものを感じます。
ようやく跡継ぎもできましたので、来年からは隠居の準備に取り掛かろうと思っています。

最後にオフ会の件ですが、A Bengさんはいろいろお忙しいようでなかなか時間をとりにくいみたいです。
ふきさんも長期のご旅行から戻られたばかりでお疲れだろうと思いますので、年明けに新年会を計画させていただきたいと思っております。
本年もこの掲示板で楽しませていただきありがとうございました。
みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。

帰国しました

No.3623 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月23日(金) 22時58分44秒

みなさん、こんばんは
インドは25日間だけの滞在でしたが、私にはとても貴重な体験となりました。
インドを一言でいうのは難しいのですが、あえて言葉を選ぶとしたら、まさに「混沌(カオス)」でしょうか。諸々の民族、言語、宗教がまだら模様に入り乱れています。またインドの町は現在と過去が同居しています。人口密度が高いので、実態はかなり凄いです。
地域の多様性も豊かですが、何しろインドは広大なので、今回は初心者向きの北インドのみを旅行しました。コルカタから入り、ブッダガヤ、バナラシ、カジュラホ、アグラ、ジャイプル、デリーの順に回りました。次回は南インドを訪れてみたいです。
ただ今回、時期としては一番いい季節に行ったように思います。総じて日本の秋のような感じでした。ただこの時期は北インドの一部で、濃い霧が出るので、視界が悪く、タージ・マハルも遠くからはよく見えませんでした。残念です。また霧のせいで、交通機関も遅れました。7、8時間の遅れはざらで、10時間以上も全然珍しいことではありません。
私の場合は、バスが3〜5時間程度の遅れ、列車が5〜7時間程度の遅れでしたので、まあいいほうでしょうか。列車のときは、日本では考えられないエンジン故障のハプニングもありましたが、なんとか都市間移動はこなしました。インドでは、緻密なスケジュールで旅行を考えることはできません。

インドで信号があるのは大都市の一部だけです。道路は人と車でごった返し、ヒンズー教徒の多い町では道路に牛や犬が悠然と昼寝していることがあります。歩く時には、牛糞を踏んづけないように注意しなければなりません。庶民の移動手段の主力はリキシャ。運転手が客を奪いあう光景は迫力があります。値段はもちろん交渉次第。だから相場を知らないと損をします。値切りに値切って物を買う習慣のない日本人にとっては大変な作業です。
私は田舎のほうで、象をみました。観光用ではありません。荷物を背負わされた「現役」のインド象でした。
私が安宿でお会いした70歳代の日本人の方はなんと4年も日本に帰っていないとか。インドを中心に周辺国をぐるぐる回っているらしいのです。その理由は年金が少ないので、日本で生活するのは大変だということですが、なるほど物価の安い南アジアの国々なら、生活はやりやすいですね。これは参考になります。

いろいろことがありましたが、無事に日本に帰ることができました。さて、明日は年賀状を書く予定です。

圧巻です!

No.3622 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月17日(土) 01時50分15秒

梧棲さん、こんばんは。
毎回の貴重な大論文は流れて行く掲示板にはもったいない気がします。怠慢な私ですが、いずれ特別編集ページにでもまとめられたらと思いますが、そのときはぜひともご了解いただけたらと思います。
それにしても台湾と日本の地名の比較は面白いですね。岡山の「岡」はあまり中国語では使いませんので、いかにも日本的な感じがします。知本温泉の「知本」はよく「ちもと」と読まれるので、私はこれも日本時代の名残かなと思っていましたが、日本時代に「ちっぽん」と名付けられたそうで、よくわかりませんが、原住民語系統でしょうか。台湾の地名語源調べは歴史的にいろいろな言語が重層になっていて、非常に複雑ですが、追求はおもしろいですね。
中国は台湾や韓国、フィリピンなどの国が「まともな」政策を実施すると、例により、大人げない行動をするので、困りものです。しかしそれはブーメランのようにやがて自分のところに返って来るものです。図体は大きくても中国はまだまだ発展途上国のレベルのようです。
さて、私は来週台湾に寄ってから、帰国します。梧棲さんの「台湾語の歌に魅せられて」の8も楽しみにしています。






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