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レコード時代

No.4472 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月17日(金) 21時38分37秒

葛さん、梧棲さん、こんばんは。

アナログ時代のレコードは中古レコード屋に行けば当然ありますが、新作も数量は少ないながら台湾では復活していたりします。やはりコアなファンがいるんでしょうか。CDにはない温い音質がたまらないようですね。
梧棲さんのあげられたオールディーズは私にとっても懐かしい存在です。「Calendar Girl」や「Rythm of the rain」などはよく聴きました。昔はいろいろ持っていましたが、現在手持ちのレコードは、Little Peggy Marchの「I will follow him」だけです。このレコードの裏面がカンツォーネの「恋の足音」だったため、捨てきれずに残りました。
私の高校時代は、ビートルズの「直撃」を受け、すっかり感化されました。ビートルズの歌は、ブレスリーのようなロックもありますが、基本はR&B(リズム&ブルース)です。歌はぐっと聴きやすく、レコードを買いまくりましたが、長くは続かず、高校卒業と同時にビートルズも「卒業」しました。その後は欧州系音楽(シャンソン・カンツォーネ・フラメンコ)に興味が移りましたが、それでもたまには梧棲さんと同様にサイモンとガーファンクル、カーペンターズ、ペトゥラ・クラーク、シーカーズなどの歌を聴いていたので、メロディーは知っています。カラオケで歌ったことはありませんが、字幕があるので、「サウンド・オブ・サイレンス」、「ダウンタウン」、「ジョージー・ガール」などは歌えると思います。
私は一人カラオケもよく行きますが、英語の歌はほとんど歌いません。昔を思い出しながら、少しずつレパートリーを増やして行こうかなと思っています。

Oldies そして 陳小雲

No.4471 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2019年05月16日(木) 19時44分39秒

皆さん、今晩は。

日本の庶民家庭では1950年代は勿論、60年代の前半も新しい歌はラジオを聞いて知り、憶える時代でした。
私の場合、家には1台の真空管ラジオしかなく番組選択権もないので50年代は家のラジオで欧米のヒット曲を聞くこともできず街頭で聞こえてくる日本語版の歌で憶えたものでした。
60年代に入り私は大学生になって福岡市で下宿することになると自分の好きなラジオ番組を聞くことができるのですが肝心のラジオがありません。
運よくトランジスターラジオが量産される時代になっていたので小遣いを貯めると半年くらいで最低ランクのラジオが買えました。
電波状態のよい福岡市内だと聞こえるのですが約30km離れた峠の向こうの実家では何も聞こえない代物でした。
私はやっと欧米のヒット曲をオリジナル歌手の歌で毎週聞けるようになりました。
Neil Sedaka、Paul Anka、そしてConnie Francisは当時は新しく出す歌はほぼ全てヒットするという情況でした。
私は勿論この3名の歌は好きですが、結果的には一曲だけがヒットした歌手とその歌にも愛着を感じています。
Gus BackusのShort on Love
Little Peggy Marchの
I will follow him
Alma CoganのPocket Transistor
Johnny Deerfieldの
Lonely soldier boy
The CascadesのRythm of the rain
などです。
私の記憶では63年頃には
The Beatlesが全盛の時代になってきました。
私の音楽的嗜好は多くの人とは違うようでElvis PresleyもBeatlesも私の心に響かず、ビートルズ時代に入ると欧米のヒット曲の番組を聞くことも次第に少なくなりました。
ビートルズ時代になっても時々はOldiesの音楽を感じさせる歌がヒットし
Simon&Garfunkelの歌
Carpentersの歌
Petula ClarkのDowntown
The SeekersのGeorgy Girl
などを楽しく聞いていました。
Oldiesの歌は50年代はほぼ全てがモノラルで60年代の途中からステレオに変わりました。
私の息子の世代に好まれる歌の多くが私の好みではないのですがチェッカーズの歌だけは私にオールディーズの音楽を感じさせるので私はカラオケでもギザギザハートの子守唄や涙のリクエストを歌うことがあります。

私は台湾語の歌は先ず陳小雲の歌を歌いたくて練習しました。
1987年夏の私にとって2回目の台湾旅行で台湾の友人に初めて台湾人向けのカラオケに連れて行ってもらい台湾語の歌を初めて聞きました。
勿論、意味は全く分かりませんが客達が歌った【舞女】【愛情的騙子我問你】を私も歌えるようになりたいと想いました。友人はどちらも陳小雲の歌だと教えてくれました。
この他に台湾語の歌は【媽媽請妳也保重】、北京語の歌は【酒醉的探戈】と【意難忘】の歌のテープも買って帰り日本で練習して翌年の3回目の台湾旅行では台湾人向けのカラオケでこの5曲を歌いました。
その後も歌える歌の数を増やすために毎回歌のテープを買って帰りましたが陳小雲の歌が一番多かったです。
陳小雲の【舞女】は87年に買ったテープではゆっくりした歌い方でしたが99年に買ったCDでは速いテンポに編曲され、また二番の歌詞の一部が変更されていました。
現在の台湾のカラオケのソフトも私が買ったCDと同じです。
私はカラオケ仲間の女性達に頼まれて陳小雲の【招弟甲罔市 】を歌わされることがあります。
女は長い間社会的地位が低かったが21世紀の今はもう違う。男が偉いと思っている方々よ、「あなたたちは皆、女が産んであげたのよ」という歌詞です。「」の中の歌詞は女性のカラオケ仲間も一緒に歌ってくれます。
私が合計7回初級レベルの客家語を教わった、日本語もできる当時50代の女性は都市部に出てくると台湾語も話せる方が何かと便利で独学した、チンさんの歌を聞いても学んだと言うので、チンさんって誰だと訊いたら陳小雲のことでした。私も最初は陳小雲の歌をいっぱい聞いて台湾語を学んだと言ったら歌を通して学ぶのは楽しいねと答えていました。
現在の日本では愛される歌の世代間差が大きくて若者が演歌を歌うのは珍しくなっていますが台湾では日本ほどは差が大きくないようで愛情的騙子我問你や舞女は20〜30代の若者も一緒に歌ってくれることがあります。両親や祖父母が歌っているのを聞いて育ったから歌えるようになったと言います。

陳小雲さんの消息は!

No.4470 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年05月16日(木) 08時30分09秒

ふきさん、みなさん、こんにちは。

その後の陳小雲さんについて台湾のサイトを追跡してみました。ふきさんも大好きな歌手の一人かと思いますが、今もなお陳小雲さんの人気は健在です。
陳小雲1962年に台湾で台湾語の女性歌手として名を馳せた。国立劇場の中では、会計士が勤めていたが、若い時代に友人と一緒にコーヒーショップを運営していたが、入社してから1位に選ばれ、アルバム会社の招待を受けて歌手の道を歩いた。すでに歌謡界に引退した。陳小雲さんは歌唱力が優れており、慇懃な歌声で歌を歌っていてヒップホップダンスにも精通していたそうです。1991年から1993年まで、台湾語のベストセラーを発表した。1992年'ラブソング'アルバムを発表し、4回目のヒット曲'ボクミョンカ王'で金賞受賞者として歌謡祭史上初の女性シンガーソングライターとして歌謡祭の頂点に立った。翌年、ゴールデン・ドリームのアルバムで5回目のインディーズ曲で作詞・作曲された女性シンガーソングライター賞[で台湾史上初のゴールデンディスク主演の女性歌手賞を受賞した女性シンガーソングライターとして有名です。1962年生まれですから現在57歳だと思います。1985年には舞女、愛情的騙子!我問你、愛情恰恰、等一下呢をリリースしました。1986年舞女外傳、歌聲戀情‧杯中影、免失志、1987年欲如何、1988年愛情的騙子!我問你、1989年把情種‧自行車之戀、單身貴族、
1990年做總統有機會、陳小雲台語暢銷輯1=2、陳小雲CD專輯3—癡情花、陳小雲CD專輯4—燒酒話‧月夜相思曲、1992年愛情恰恰、1993年苦戀夢、愛情恰恰‧燒酒話、苦戀夢‧免失志(吉馬唱片) 、1994年真情真愛攏騙人(發揚唱片)、1990年愛卡慘死(雷群將唱片)1985年〜1993年まで吉馬唱片所属 1990年以降現在の消息は不明です。1992年 陳小雲 · 1993年 陳小雲 この2年間に金曲獎最佳台語女歌手獎獲得者として輝きました。今もなお40歳〜70歳の年代の方々には根強いファンがいます。ふきさんもその一人でしょう。
この様な経歴は私が説明するまでもなく、ふきさんはご存知事でしょうが、レコードやCDなど音楽の配信方法が様変わりしている現在ですが、最近再びレコードを求める傾向があり、録音の技術が進歩されていることが評価されレコードのプレスが間に合わないほどの発注があるそうです。日本の企業も参加しているそうです。レコードのジャケットは日本の
芸術的な表現に世界的にも評価が高いとの事です。
台北ではオーディオ店でレコードプレイヤーが良く売れているそうです。

オールディーズ

No.4469 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月15日(水) 22時30分32秒

葛さん、梧棲さん、こんばんは。
「ケ・セラ・セラ」は懐かしい歌ですが、お二人とも即ドリスデイが出てくるあたりが素晴らしいです。私の場合は、リアルタイムというわけではないので、歌手と曲名がどうも直結しません。1950年代の歌となると、お二人には到底かなわないので、ウィキペディアのお世話になりましたら、知らない事実が続々と出てきました。この歌のタイトル「ケ・セラ・セラ」がスペイン語なので、てっきり原曲はラテンナンバーかと思いきや、文法的には変な「なんちゃってスペイン語」のようで、英語圏だけの歌でした。日本では雪村いづみとペギー葉山が日本語カバーしているので、私は最初にペギー葉山の歌で覚えたものと思います。梧棲さんのように、後でドリスデイで聞き直したということになります。
それと陳小雲の「愛情恰恰」の中の間奏を梧棲さんに紹介していただきました。葛さんが驚かれるとおり、梧棲さんはさすがです。「Mambo Italiano」と「Uskdara」のメロディーも知っていますが、いったいどんな曲と言われると、さっぱりです。「Uskdara」は梧棲さんにアーサーキットと教えていただきましたが、「Mambo Italiano」のほうはウィキペティアによると、ソフィアローレンでした。
なにしろ私がまだ小学生になる以前の歌なので、歌手は誰だかわかりませんが、メロディーは化石のように頭に残っています。それにしても陳小雲はすばらしい歌手でした。声に艶があり、惚れ惚れとします。1990年代はヒット曲にめぐまれず、消えてしまいましたが、残念でなりません。

梧棲さんは流石です

No.4468 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年05月14日(火) 19時55分48秒

ふきさん、teco さん、梧棲さん、こんばんわ。

陳小雲の-愛情恰恰中に一番の間奏にMambo Italianoと二番と三番の間奏にUska Dara'が挿入されています。ここに気が付くとは凄いですね。陳小雲の-愛情恰恰のマンボのリズムも素晴らしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=bYQLB-fnZT8 EARTHA KITT 'Uska Dara'

https://www.youtube.com/watch?v=s3Nr-FoA9Ps Sophia Loren Mambo Italiano
昭和がだんだん遠くなるような気がします。


ケ・セラ・セラ

No.4467 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2019年05月14日(火) 16時24分59秒

皆さんこんにちは。
久しぶりに投稿できました。

毎年四月下旬に福岡に行って一緒に墓参りに行っている75歳の友人と彼女の山仲間達が現在台湾の玉山と雪山を登りに行っているので私は毎日台湾のニュースを何度もチェックして事故に遭っていないことを確認しています。

21年前からほぼ毎日メールしあっている私より7歳上の台湾出身の米国人がドリスデイの訃報を知らせてきました。
1950年代は私は小学三年生〜高校三年生に当たります。
当時の欧米のヒット曲は先ず日本人歌手の日本語版で憶えて大学生になってからオリジナル曲を改めて聞き原曲の歌詞の意味を知るというパターンが多かったです。
ケ・セラ・セラもドリスデイがオリジナル歌手だと知ったのは大学生になってからで、しかもこの歌が「知りすぎた男」という映画の中で犯人に閉じ込められている場所を知らせる役割になっているのは社会人になってテレビの映画番組を見て初めて知りました。
数年前にもTSUTAYAのレンタルDVDでこの映画を見ました。

私は50年代のアーサーキットの
UskdaraやSho-jo-ji、パティペイジのTennessee-Waltzも大学生になった60年代に入ってやっとオリジナル歌手名と歌詞の意味を知ることができました。
そして1990年代に台湾語の歌に関心を持つようになったら陳小雲の【愛情恰恰】では一番と二番の間奏曲にMambo Italianoのメロディーが、二番と三番の間奏曲にはUskdaraのメロディーが使われていました。
作曲者の羅又華さんが1950年代の曲に関心を持っておられるのだろうと私は推察しました。

Doris Day逝く

No.4466 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年05月14日(火) 12時41分48秒

ふきさん、teco さん、こんにちは。

余談になりますが、台湾でもドリスディさんの訃報の報道がありました。私の年代ではドリスディさんやパティ・ペイジさんは憧れの存在でした。映画『知りすぎていた男』挿入曲ケ・セラ・セラ、このフレーズは良く使いました、当年97歳との事です。

パティ・ペイジさんは2013年1月1日 (85歳)で亡くなられていますのでまた巨星が消えてしまいました。ふきさんやteco さんはアメリカ音楽にも興味があると思いますが、ドリスディさんはドイツ系米国人ですがアメリカの良き時代を代表する歌手ですね。私はアメリカ音楽も好きですので夢中で聴いた覚えがあります。

台湾の素食

No.4465 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月14日(火) 01時04分52秒

葛さん、こんばんは。
さすがにお詳しいですね。おそれいりました。たしかにあの辺に行くと、神聖な空気に包まれた感じがします。パワースポットだからでしょうか。猫空ロープウェイの指南宮駅から参拝する人が多いと思いますが、バスで行く事もできます。文湖線の萬芳社區駅からミニバスに乗ります。高いところは道が狭いので、普通のバスは運行していません。参道の階段もきれいですね。白い欄干に心が清められるようです。
それから、台湾には素食食堂が多いですね。しかも自助餐(セルフ)方式なので、私も台湾に行くと、素食が好きなので、よく入ります。しかし日本にはほとんどありません。実に不思議です。お寺が多いだけなら、日本だってもっと精進料理の店があってもよさそうなものですが、高級料亭を除くと、庶民が日常的に使うベジタリアン食堂はほとんどありません。やはり台湾のほうが信仰に篤いせいかなとも思います。日本人はお墓参りの後に焼肉レストランで昼食なんてこともよくありそうですが、肉食を断つのはお坊さんだけだと思っているのかも知れません。
何年か前の父の葬式の日のことです。精進落としの席で、運ばれてきた料理に一部肉が入っていました。私の向かい側にお坊さんが座っていましたが、肉を避けるのかと思いきや、おいしそうに食べていました。私が「お坊さんが肉を食べてもよろしいんですか?」と聞いたところ、「そんなに問題でもありません」とのことでした。こういう生臭坊主がけっこういます。信心深い台湾の人には聞かせたくない話です(笑)。

指南宮に行って来ました。

No.4464 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年05月13日(月) 06時31分23秒

ふきさん、teco さん、こんにちは。

ふきさんの投稿を見て2年ぶりに指南宮に来ました。以前も2回ほど来ましたが、改めて来てみるとその素晴らしさを実感しました。指南宮は台北市文山区木柵東部の指南山の麓にあります。海抜285mの位置にあり、少しひんやり。でも、このひんやり加減はただただ標高が高いからだとは思えません。神聖な空気が流れている、そういう気を感じます。
アクセスはMRT「動物園」駅下車して徒歩5分のところにある猫空ロープウェイに乗り「指南」駅下車。道なりに歩いていくと着きます。 指南宮の俗称は「仙公廟」。孚祐帝君を祀っています。孚祐帝君は八仙の中の呂洞賓のことで、仙人になった後、時おり人間界へやって来て、人々を迷いから導いたと言われ、民間の信仰の中でとても人々と縁のある神様だと言われています。また、指南宮は台湾道教の総本山なのですが、約120年という歴史の中で、仏教、儒教も受け入れ、3つの宗教が1つの廟の中にあるというとっても変わった廟なのです。指南宮にくれば一石三鳥で台湾の三大宗教を体験することができます! 銅像の李健和老師がありますが、人物は私は存じ挙げませんが目につきます。指南宮で一番有名な言葉は「恋人同士で行くと別れちゃう」という噂。台湾の若者はもちろん日本人観光客の間でも知られている有名すぎる噂です。日本統治時代、仏教の推進のため道教が抑えつけられていたため、指南宮は「観音殿」と名前を変えそのままの基盤を残したそうです。統治が終わった後、大雄寶殿の左側に純陽殿(通称:佛祖殿)の昔の外観を復元したのです。そのため「大雄寶殿」にはお釈迦様や菩薩様などの仏像がおり、正面には2頭の象もあります。日本のような、タイのようなちょっと見たことのない不思議な感覚です。建物も見どころですが、ここから猫空の山やお茶畑が一望できます。昼食時間が近くなり一人でいたところ日本からの観光客がお昼ご飯を一諸に食べていきなさい!と誘ってくれて「純陽寶殿」の階下にある「大衆餐廳」にやってきました。こちらでは朝、昼、晩と素食(ベジタリアン料理)をいただくことができるんです。誰でも食べることができますよ〜!台湾では素食の方が多いためベジタリアンのレベルがとても高いのです。
「大衆餐廳」に到着すると、ここに座って〜と席に案内されました。慣れた人は案内されなくとも自分の座るべき場所がわかっているようでさっと自分の席へ来られていました。まずは、ご飯をよそいに行きましょう。お粥もあります。さて人数が揃ったらおかずとスープをど〜んと置いて自分で食器を取りスープはバケツから取ります。なんとも豪快です。全て見所満載で書き込みができないほどです。
住所は台北市萬壽路115號です。

道教寺院

No.4463 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月11日(土) 22時10分46秒

tecoさん、葛さん、こんばんは。
板橋は歴史的建造物が多く、散策にも適した町なので、次回はぜひおいしいコーヒーを飲んだ後、ぐるりと一回りしたいと思います。去年の11月に猫空ロープウェイに乗り、空中散歩を楽しみましたが、近くに1890年創建の古刹木柵指南宮があることがわかり、その翌日改めて訪れました。丘の上に建つ天空の道教寺院で、見晴らしは最高です。不信心なワタクシにとっては久しぶりに荘厳な雰囲気の中で気持ち良く参拝できました。また行きたいです。

ところで、米中貿易交渉は結局決裂しました。年間2000億ドル(約22兆円)相当の中国製品に課される追加関税は10%から25%に引き上げられたままになります。台湾の蔡総統の声明をテレビで見ましたが、台湾にはほとんど影響はないと言うことです。それよりも中国に進出して、現地生産をしている企業に対して、台湾に戻って来てほしいと訴えていました。その呼びかけに応えて、50社以上の企業が台湾にUターンする予定ということで、2万〜3万人の雇用が見込まれるということです。いいですね。日本の企業も見習ってほしいです。

板橋周辺事情

No.4462 投稿者:teco  投稿日:2019年05月10日(金) 20時56分09秒

ふきさん、葛さんこんばんは。

地元にお住いの葛さんは当然でしょうが、お二人とも詳しいですね。
私は板橋周辺はほとんど知りません。今度ぜひ行ってみたいと思っております(^^♪

府中路50號

No.4461 投稿者:ふき  URL  投稿日:2019年05月09日(木) 22時05分58秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。
詳しいご説明ありがとうございます。府中路50號の2階だったんですね。1階か2階の記憶がちょっと曖昧でしたが、私が調べた住所は合っていました。後日のために写真を撮っておきましたので、URLに入れておきました。府中路50號のプレートが左側に見えます。右の2階は美容室になっています。葛さんのご説明では「ビルとビルの間の通路を入っていきます。」とありますが、写真の商店は府中路のメイン通りに面していて、まさに板橋慈惠宮の向かい側です。狭い通路はこの商店の左側になるのでしょうか。
台湾の住所表記はメイン通りから、脇道に入ると、普通は「○○巷○○号」となりますが、「Merci vielle」には「○○巷」がないのがちょっと不思議です。それはともかく写真の店の近くであることは間違いないので、次回はもう少し慎重に探してみます。
それから慈惠宮の媽祖様も忘れずにお参りします。葛さんは私に説明するのは「おこがましい」とかおっしゃっていますが、とんでもありません。いつになっても素人同然の私は、台湾通の葛さんやtecoさんからいつも教わり放しで、助かっています。ありがとうございます。


Merci vielleの案内

No.4460 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年05月09日(木) 05時26分49秒

ふきさん、みなさん、こんにちは。

Merci vielleのお店が良く分からないとの事ですが、ふきさんには是非たずねて欲しいお勧めの店です。
MRT府中駅の近くにある板橋慈惠宮の門を潜って左手に見えるのが板橋慈惠宮です。Merci vielleはこの板橋慈惠宮と同じ通り沿いの反対側のビルで営業していますが、近くには市場もあり人通りの多い場所です。お店の入口はちょっと分かり難いのですがビルとビルの間の通路を入っていきます。通路に入ってすぐ、頭上に渋すぎる看板が掲げられています。ここを2階へ上がって行きます。階段を上がって右側が入口。階段の登り口には板橋區府中路50という四角い表示があります。 新北市板橋區府中路50號2樓営業時間13:00〜22:00 定休日火曜日,電話番号は(02)8965ー3906です。古いビルの一室をリノベーションしたカフェ。椅子、テーブル、戸棚、照明、あらゆる物に味のあるUSED品が利用されていて、何とも言えない独特の雰囲気を醸し出しています。中古品ではなくあくまでもUSED品に拘ったと強調していました。壁掛けや鉢植えなどさまざまな装飾にもセンスを感じます。オーナー曰く静かでシンプルな落ち着いた空間を作り出して店内の雰囲気からルックス重視の店に作り上げたと云います。

メニューにシングルオリジン(単品珈琲)のコーヒーがあってちょっと驚きました。牛奶歐蕾というメニューがオリジナリティがあって面白いです。
主なメニューは牛奶歐蕾アイスカフェオレはブラックコーヒー、ミルク、コーヒーの氷、シロップが別々に出てきました。、咖啡歐蕾・ICED(アイスカフェオレ)(150元)司康(スコーン)(80元)。
天秤測り、アルミの弁当箱、台湾製のお茶、銀製のスプーセット、椅子、テーブル装飾品の全てが当時の製品で私にもその良さは実感出来ます。店の中は全てUSED品で整われていて、ふきさんにはピッタリの雰囲気ではないでしょうか。私のような無骨者には神髄に達する事は出来ませんが兎に角素晴らしい〜の一言です。この案内で多分辿り着く事が出来ると思います、近所で尋ねるか直接電話で聞いてください。是非一度訪ねて下さい。お勧めです。

今更ふきさんに説明することはおこがましいのですが、板橋慈惠宮は媽祖(航海の神様)を祀る媽祖廟の一つで、板橋四大古廟にも数えられています。板橋が誇る歴史的な建造物だと日本の皆さんに伝えて欲しいと云われました。そして是非板橋においで下さいとのMerci vielleのマスターからの伝言です。
 

板橋四点セット

No.4459 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月08日(水) 22時22分45秒

葛さん、こんばんは。
先日はバイクで、昨日は散策ですか。まさに地の利のよさですね。私も林本源園邸、接雲寺、慈恵宮は三点セットで見なければなりません。おっと、それに黄色市場も入れて、四点セットですね。
実は去年府中駅に行っています。ただ、その時の目的はたしか葛さんに教えていただいたおいしいコーヒーの店「Merci Vielle」を見つけるためでした。慈恵宮の対面だと思いますが、住所のところには福慧坊という装飾品屋さんがあり、周囲を見渡しても、それらしき店は見当たりません。本来なら、あきらめて慈恵宮に参拝するのが妥当な選択ですが、結局入ったのは近くのマクドナルド。そこで食事とネットで夕方まで「籠城」してしまい、結局お寺を見るのを忘れてしまいました。情けないです。次回は、ちゃんと四点セットを回ることにします(笑)。

ところで話が変わりますが、米中貿易交渉が暗礁に乗り上げそうで、昨日、今日と世界の株式相場は大荒れです。令和の経済も先行き不透明になりました。

近所を散策してきました

No.4458 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年05月07日(火) 06時52分16秒

ふきさん、tecoさん、こんにちは。

今日は我が家の近辺を散策してきました。毎日が日曜日ですので時間はあります。媽祖を祀り、板橋媽祖廟とも呼ばれている「慈恵宮」に行きました。台鉄板橋駅から歩いてもすぐ近くすぐ前に市場があり、板橋駅駅前とはまったく違う下町らしい活気のあるエリアです。1階に天上聖母媽祖が祀られていて、2階、3階にも沢山の神様が祀られてて大きなビルのような廟ですので一度訪ねてみては如何ですか。次に接雲寺に行きました。例により案内板からの説明です。1856年に板橋林本源一族が建立した寺で、主に観世音菩薩を祀ることから観音廟とも称されています。社務所に立ち寄りましたらお茶を下さいました。椅子に座り老人(私も老人)ですが、日本人とすぐに分かっていつ来たのかと尋ねられたので漢生西路で暮らしていると話したら、何時でも歓迎だといわれ嬉しくなりました。お茶を頂きながら接雲寺の歴史を話してくれました。
歴史ある地方信仰の中心接 雲寺は板橋地区で最も古い寺院の一つで、その前身は清の雍正年間に建てられた慈雲巖でしたが、後に火災に遭い、板橋の林家が廟址を板橋区内へ移し、そして、林本源園邸が建てられた後、さらに神像を現住所へと移して廟を建てて祀りました。それからすでに百年余り、接雲寺はずっと板橋、土城、中永和地区の信仰の中心となっています。接雲寺には、貴重な古い額縁や掛け軸が収蔵されており、正殿屋上の両側には、金箔に包まれた飛天仙人の彫刻が配置されています。金箔で包まれた外見は華やかで、さらに特殊な楕円形の格間のデザインも加わり、この寺院の歴史的・宗教的価値の高さを感じました。ここでもテレサ談義があり台湾の誇りでもあり板橋の誇りでもあると云われました。日本でも愛されていた話は有名だそうです。出来る事ならもう一度テレサに会いたいね!と話してくれました。我愛ケ麗君、tecoさんお墓のピアノは綺麗に保存されていました。URLの動画の憂いを含んだ表情は生涯忘れないでしょう。手前みそですが優しい表情は何処か亡き女房に似たところがあります。(少し調子に乗りすぎました。笑う)

テレサ・テンの声

No.4457 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月06日(月) 22時14分15秒

tecoさん、みなさん、こんばんは。
テレサ・テンの声を「絹のような声」という人もいます。同じころ日本で活躍した欧陽菲菲の荒削りの声とはだいぶ違います。欧陽菲菲のような歌手は日本にもたくさんいますが、テレサ・テンのような繊細な声の歌手は少ないです。控え目で、押し殺したようで、それでいて芯があります。明らかに東洋風で、だからこそ日本で受け入れられたのだと思います。彼女はパリにも住んでいましたが、フランスで歌手活動をしていたという話は聞きません。欧米ではおそらく成功が難しいことを感じていたのかもしれません。

ゲルマニウムラジオの工作教室に32人も来たんですか。それはすごい。昨日はご苦労さまでした。
そういえば、昔のラジオにはアンテナが必要で、私も少しでもよく聞こえるようにベランダか庭にロングワイヤーを張った記憶があります。トランジスタラジオの時代になって、アンテナがなくても、聞こえるのが不思議でしかたがありませんでした。まさか中に入っているとは露知らず…。ラジオはほんとにいろいろなことを教えてくれます。コイル巻きというと、電磁石モーターも作りました。乾電池につなぐと、高速で回転し、子供心に単純に喜びました。小学生のころの楽しい思い出です。

テレサ・テンのお墓

No.4456 投稿者:teco  投稿日:2019年05月06日(月) 10時45分28秒

ふきさん、葛さん、おはようございます。

テレサテンのお墓には10年程前に行ったことがあります。
友人が車で案内してくれたのですが、山全体がお墓でびっくりしました。
雨が降っていましたが参拝の人たちがたくさん訪れていました。
ピアノは壊れていて音が出ませんでした。
その後改修されてきれいになったとのことですが、改修後は行っておりません。

彼女の透明感のある歌声は大好きで、若いころの福建民謡などもよく聴きます。
10年程前に台北のレコードショップで買った彼女のDVDアルバムに入っていた解説書で彼女の生い立ちなどを大まかに把握しました。とても数奇な生き方をされたことがわかります。

昨日はゲルマニウムラジオ作りで32人の子どもたちと一緒に奮闘しました。
ラジオ放送の原理と受信機の仕組みを簡単に解説し、コイルを巻くことから始めました。
2時間の予定が大幅に伸びて3時間かかりましたが、
公民館の軒下に仮設したアンテナ線につないでNHKの放送が聴こえたときの子どもたちの歓びようは半端なものではありませんでした。
集まった子どもたちのうち時間内で完成したのが24人、残りの子どもたちは家に持ち帰って完成させてもらうことにしました。
今日はFBで申し込まれた方の分を製作しています。

テレサ・テン

No.4455 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月05日(日) 22時31分40秒

葛さん、みなさん、こんばんは。
テレサ・テンが亡くなって、四半世紀近くが経つんですね。今でも根強いファンが台湾や日本、また中華圏、東南アジアに数多くいます。まさに「伝説の歌姫」と言って、いいでしょう。日本でも時々テレビで過去の映像などを編集して、特集番組を組んだりすることがありますが、歌手時代のエピソードなど知らないことを教えてくれたりします。たまたま彼女がアメリカで歌の修業をして、台湾に帰って来て、ミュージカル風の舞台で歌っているのを見たことがありますが、これなど私の知らないテレサ・テンの一面でした。外国人のタレントでこれほど脚光を浴びた人はいなかったと思います。テレサ・テンは別格ですね。
新北市金宝山のお墓は行ったことはありませんが、葛さんのご説明ではそんなにわかりにくい所でもなさそうなので、今度機会があったら、寄ってみたいです。

私の永遠の歌姫ケ麗君

No.4454 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年05月05日(日) 11時24分27秒

ふきさん、tecoさん、こんにちは。

長い10連休も終わろうとしています。基隆の墓参りを済ませた後、念願のテレサの墓参をすることが出来ました。今月8日で逝去から24週年を迎えるテレサ・テンの命日を前に生前の面影に触れようとやってきました。テレサのお墓は、台北から車でも1時間半ほどかかる北部海岸近く、新北市の金宝山にある墓園にあり、タクシーを使わずに行くには大変そうなイメージもあったのですが、結果的には、極めてスムーズに来ることが出来ました。
MRTで淡水で降りてそこから皇冠北海岸線という観光スポットに立ち寄っていく路線バスに約1時間乗り、Yun Gardenというところで降りると目の前が彼女のお墓のあるテレサ・テン紀念公園になっています。墓園には大きなピアノの鍵盤、テレサのゴールドの像があり、お墓そのものは大きな大理石でできていて、墓石の上に、マリア様が見守っています。台湾では火葬が基本ですが、土葬されているのは、蒋介石と蒋経国とテレサだけだと記してあります。墓園には、絶えずテレサ・テンの歌声が流れている。中国語、日本語、英語の歌が1時間交代で流れており、そこに彼女がいて歌っているような錯覚に陥るほどでした。墓前には毎日ボランティアでお墓を綺麗にしてくれているテレサ・テンの大ファンのおじさんがいて、基隆から毎日やってきているという。墓参りに来る人皆にお線香を差し上げていますが、もちろんお金なんか請求しないし、純粋な気持ちでお墓にお線香をあげてほしいという思いだそうです。没後、24年の節目にテレサ・テンの墓参りを実現することができました。24年という歳月は長く、高雄にあった彼女の博物館が閉鎖されたり、雲林県にある生家がクローズになっていたり、「去る者、日々に疎し」で、今後の行く末が少し心配ですが、立派なお墓は健在であることがわかったので、テレサ・テンのファンであるなら、せめて一度はお墓参りに行ってほしいと願うばかりです。お墓といっても日本のように暗いイメージは全くなく、紀念公園になっているほど綺麗に整備されているので、彼女のコンサートに行くような気分で墓参して下されば最高です。いろいろな歌を三か国語で3時間は聴くことができるので、こんな素晴らしいコンサートはないでしょう。URLに記載したテレサはNHK
に出演されたときの「何日君再来」  テレサテンの歌う姿は何時も全力投球で感動します。

私の家からほど近くにテレサが育った街・蘆洲でゆかりの地があります。テレサが6歳から15、6歳まで過ごした蘆洲で、ゆかりの地を巡ってみた。 テレサゆかりのスポットがあるのは台北メトロ(MRT)中和新蘆線の三民高中駅と終点・蘆洲駅の付近。台北市中心部からは約20分ほどで来ることが出来ます。最初にテレサの母校、蘆洲小学校。三民高中駅から徒歩5分ほどの場所にありテレサは小学生時代から歌だけでなく、演技の才能も飛び抜けており、演技中に本物の涙を流せるほどだったという。 同校の資料室にはテレサに関する品が多数収められており、幼少期のテレサの姿を垣間見ることができるが残念なことに普段は一般公開されていない。
同校の構内は、週末の午前中など特定の時間にのみ市民に開放されている。テレサが小学生時代、記念撮影をした池は校舎の再建時に移動されたが、別の場所に同じ比率で再現されており、見学もできる。蘆洲小から約50メートルほどの場所には、テレサが洗礼を受けたとされる新北市蘆洲セントヨゼフ教会(聖若瑟天主堂)もあります。 蘆洲駅の真正面に駅を出入りする市民を見つめているよう像がありますが日本語の解説文もあります。テレサが蘆洲を去ってから約48年。町は当時とは様変わりし、無くなってしまった場所も多くあったが、ゆかりの地を巡ってみると、テレサが今でも地元に愛され続けていることを感じた。蘆洲は台北市に比べると、下町情緒が色濃く残る。このような庶民的な町で生活していたテレサの様子を想像すると、より親しみが湧いてくる。これからも、テレサがこの地で生活した証を後代に引き継いでいってほしいと蘆洲の人達は願っているそうです。

これからの宮古島

No.4453 投稿者:ふき  投稿日:2019年05月04日(土) 23時10分14秒

葛さん、みなさん、こんばんは。

宮古島の土地の値段が500倍とはすごいですね。私も30坪ほど買っておけば、相当儲かったのにと残念です(笑)。最近はクルーズ船が人気があります。横浜や神戸から出発して、那覇を経由して宮古島または石垣島に寄って、台湾の基隆港に入ると言うものですが、料金は10万円くらいからあり、そんなに敷居は高くありません。
実は宮古島は日本の東京よりも台湾のほうが距離的に近いので、インフラさえ完成すれば、台湾からの観光客は相当見込めます。今年の3月に宮古島の下地に新しい空港が完成し、国内線のジェットスターが就航しました。7月には香港エクスプレスが宮古−香港の国際線を就航させる予定です。この香港のLCC会社はけっこう路線を持っていて、台湾の台中にも乗り入れていますが、私は成田−香港間を使用したことがあります。ただ、台湾のLCC会社が手を挙げてくれるといいですね。台湾の観光客にとってはぐっと宮古島が身近になると思います。






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