Back to TOP PAGE

投稿者
E-Mail
URL
題名
内容



Page 1 2 3 4 5 6 7 8 
台湾語の歌に魅せられて7

No.3621 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年12月16日(金) 15時36分22秒

ふきさん、
 春日八郎の【苦手なんだよ】は私が中3か高1の頃にヒットした歌だと記憶しています。その後私は長い間この歌を聞くことがありませんでしたが、私が台湾に行くようになってから久しぶりにこのメロディーを耳にし台湾語版の【人客的要求】のテープをすぐに買って練習しました。
当初は題名の「人客」という語順はひょっとしたら誤記ではないかとも思いましたが[lang5-kheh]と歌っているので誤記ではないことが分かりました。
私が台湾語教材をまだ見つけられない時期だったので台湾の友人に手紙を書いて
お客という意味の北京語は「客人」なのに台湾語だと順序が逆さまになっているが「人客」でOKなのだねと念を押しました。友人は「人客」で正しい、台湾語で「客人」は客家人を指すので語順を間違えないようにしてねと忠告してくれました。
 台湾では私は【人客的要求】も選曲することが多いですが、台湾のカラオケ仲間には私に日本原曲と台湾語版の両方を歌ってくれと言う者がいて、私は4年前から、ほぼ50年ぶりに日本語の【苦手なんだよ】も歌わされるようになりました。友人も一緒に歌います。
この歌は日本語版も台湾語版も歌詞の内容が「流し」を職業とする者を主題にしているので『にがてなんだよ』を言い辛そうなカラオケ仲間の台湾人は「那?西(流し)の歌」と呼んでいました。

  【愛情的騙子我問?】は【舞女】、【媽媽請?也保重】とともに私が最初に憶えた台湾語の歌ですが、この歌には「講什麼我親像古早的西施」というフレーズがありますね。
「西施」という美女の名は高校国語の俳句の授業での松尾芭蕉の「象潟や 雨に西施が ねぶの花」以来、久しぶりにこの歌で耳にしました。
呉と越が戦って敗れた越の王は降伏のしるしとして呉の王に西施を差し出した。西施の美貌に溺れた呉王は国を治めることに疎かになり遂に国が傾いてしまったので西施は「傾国の美女」「傾城」とも呼ばれるようになったと国語教師に教わったのを今でも憶えています。
この歌で西施は台湾では女性を褒める最高の言葉として使われていることを知りました。
日本では絶世の美女は「クレオパトラか楊貴妃か」の方が浸透しているので、私は「西施」のことは忘れかけていました。
インターネット時代に入ると台湾全土の檳榔を売っている店のセクシー美女の中から「檳榔西施」を選ぶ人気投票が行われるようになり「西施」という文字を見る頻度が高くなりました。

 私が収集した台湾語の歌はカセットテープで或る程度の数まで揃えたら、その後デジタル時代に入ってしまったため改めてCD、VCDそして一部はDVDで揃え直しました。
合法なのか否か私には分かりませんが今では台湾の若者達はインターネットで歌を無料でダウンロードしているので、私がまだ持っていなかったり、持ってはいるが別の歌手が歌っている曲を友人のパソコンから私のUSBフラッシュメモリーにコピーさせてもらっています。
このため私は最近は台湾旅行には必ずUSBフラッシュメモリーを携行しています。
 デジタル時代になって昔のカセットテープ式の重くて嵩張る再生装置から解放されましたね。
デジタルオーディオ再生装置は小さくて軽いだけでなく収納できる曲数が飛躍的多くなったので、いつも一人旅の私は台湾の歌を400曲ほど入れた再生装置を携帯しています。空港での待ち時間、友人との待ち合わせの時間、高鐵での移動時間、日本や台湾での散歩の時に聞いているので、年中台湾の歌を聞いていることになります。

 去年台湾観光協会は台鐵駅名と同名の日本の駅が32あることを記念して、この32の駅名と同名(同姓)の日本人32名を抽選で選んで一日駅長を兼ねた台湾旅行に無料招待しましたね。
台日32同名駅 <駅名一覧>
板橋 桃園 富岡 大山 日南 清水 追分 豊富 豊原 大村 田中 水上 新市 大橋 岡山 竹田 東海 
大里 亀山 中里 新城 平和 豊田 南平 大富 瑞穂 池上 関山 竹中 横山 富貴 松山
 私は32カ所も同名の駅がある理由の一つは日本統治時代に日本人が命名(改名)した地名が結構多いからだろうと推察していますが、実際に台湾のどの駅名が日本人が命名したのか私には把握できていません。どれも日本人が命名したと言われても違和感がありません。
台湾の東海岸、特に花蓮附近は昨年上映された【湾生回家】にも紹介されているように漢民族よりも先に日本人が入植した地です。交通が発達していなかった時代に中央山脈を越えて東海岸に行くのは容易ではなかったので日本人が入植するまでは原住民だけしか定住していなかったようです。
東海岸の日本人入植地には故郷の地名に因んだり、現地の地形から日本式の地名を付けたのでしょう。
花蓮附近は日本人が或る程度まで開拓してから漢民族がやって来たので戦前の花蓮は日本人、河洛人、客家人、原住民が一つの町に暮らす台湾でも珍しい場所であったことが、この映画で湾生が子供時代を回想していることでも分かります。
 
 台湾の地名(大部分は片倉佳史さんの本を参考にしています)
1、先ず原住民が命名し、その音を漢民族が漢字表記したケース。
この中で日本統治時代に日本式に漢字表記を変更し、現在でも同じ表記(発音は北京語、台湾語に変っている)の例としては
 原住民語Banka→漢民族:??(舟ヘンに孟+舟ヘンに甲)→日本統治時代:萬華
 原住民語Takau→漢民族:打狗→日本統治時代:高雄
 原住民語Akou→漢民族:阿?(糸ヘンに侯)→日本統治時代:屏東
日本統治時代になって1920(大正9年)の地名改正で「屏東」と呼ぶようになった。これは高雄市の北部にある半屏山の東側という意味である。
2.原住民が命名し、漢民族が漢字表記したが清朝時代に改名したケース
 原住民語Kelang→漢民族:鶏籠→清朝は「基地髀ケ」という言葉に因んで「基驕vと改名
 原住民語Tsuluosan→漢民族:諸羅山→清朝時代に嘉義と改名
  1786年に林爽文が起こした蜂起は規模が大きかったが、この時諸羅の住民は団結して町を守った。清朝の乾隆帝は「汝らの義を嘉す」という言葉を授けたと伝えられており「嘉義」の地名の由来となった。
3.漢民族が命名
  1、2以外の多くの地名。現在の台湾の地名の多くが漢民族が命名したと思われます。
現在では観光客で溢れている九?は当時9戸の住民がいたのが命名の由来ですね。
4.漢民族が命名し、日本統治時代に改名したケース
桃園は清朝時代に台湾南部より漢人住民による開拓が始まった際に薛啓驍ニいう人物が桃を植樹したことに因んで「桃仔園」という地名が誕生した。日本統治時代の1905(明治38)年7月の地名改正で「桃園」となった。
4.原住民が命名し日本人が漢字表記
 原住民Kalenkou→日本統治時代:花蓮港→日本撤退後國民党政府が花蓮と改名 
5.元々、原住民あるいは漢民族が命名した地名があったのか否かは不明だが日本人が地勢に因んだり日本を思い出させるように付けた地名(小地区が多い):追分、西門町、五條通〜九條通など
 高雄には今でも私の姓と同じ「堀江」という地区が残っています。新堀江商場という場所があります。
日本統治時代には台北の萬華にも堀江町があり、20年ほど前に萬華育ちの日本語世代の友人に案内してもらったことがあります。萬華駅の南側方面で現在は雙園という地名になっており堀江小学校も雙園國小に改名していました。
日本語世代の方や高雄に土地勘がある人以外の台湾人は「堀」という漢字は初めて見ると言いますから「堀江」という地名は日本人が命名したことはほぼ間違いなさそうです。多分大阪出身者が命名したのだろうと私は推測しています。
台湾の若者達と台湾の地名の話しをした時に台北、台中、台南、台東があるのに台西はないのか訊いたら、西海岸の田舎に台西もあると教えてくれました。
              

 台湾旅行から戻ってきました。
台北の日中の気温は毎日20〜22℃、12月12日の台中では25℃と日本人には暖かく歩くことが多い私は毎日下着のシャツは2枚必要でした。
 今回は台北では私も常連客として認められている「カラオケ藤」に2回、台中では前回から行き始めた「カラオケ箱根」に行ってきました。
 12月11日日曜日はイスラム教の祭りだったようで台北駅南側広場(忠孝西路側)と駅ビル1Fのホールは着飾ったインドネシア人男女で占拠されていました。駅ビル内のどの地下トイレも順番待ちの女性の列が階段から1Fまで続いており、この時は男に生まれてよかったと実感しました。
 國光バスの桃園空港行きは台北駅東3出口から10歩くらいの位置に切符売り場と乗り場ができていました。
昔の蒸汽機関車が展示されているところです。これまで屋根付きの喫煙所だった建物が改築されて案内所になっていました。屋根付き喫煙所はホームレスの塒になっていましたから、彼等は追い出されたようです。
 大陸団体客の台湾観光が解禁されてから外国人の入国審査場は異常に混むようになりいつも長時間並ばされていましたが、台湾の新政権への経済的圧力の一環として中国政府は中国人団体客の台湾観光を4割ほど減らしているので、今回はやっと解禁前のレベルまで混雑が緩和されていました。
 今年5月よりも、かなり円安になっているので両替では1万円当り212元少なくなっていました。










後続シリーズ期待!

No.3620 投稿者:ふき  投稿日:2016年12月03日(土) 15時10分03秒

梧棲さん、こんにちは。
「月(geh8/goeh8)」に限らず、台湾において泉州音、[シ章]州音の混在は顕著で、台湾人はかなり融通性をもって話している感があります。
つまり台湾人の耳は両腔に対応しているというわけで、「阿姐」はa-chi2でもa-che2でも問題なく聞き取れます。
歌詞の場合は韻の関係で、都合のいいほうに合わせたりするのはおっしゃる通りですね。
ところで、高鐵の早鳥票というのは知りませんでした。そもそも私は高鐵を利用したことがないのですが、利用する機会がありましたら、使ってみたいと思います。
私は空港から台北市内に出る際はいつも國光客運のバスですが、こちらにも老人票があり、半額で乗れます。特にパスポートを提示しなくても、「顔パス」で、OKです。
意外に知らずに正規料金を払っている人が多いと思います。
12月9日から台湾旅行に出かけるということですが、大いに楽しんで来てください。私も月の下旬には台湾に行く予定です。

台湾語の歌に魅せられて6

No.3619 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年12月02日(金) 15時30分42秒

ふきさん、
 【大利根月夜】に台湾語の歌詞を付けた【故郷之月】では何度も「月」が出て来ますが、私が聞いたことがある数名の歌手は後ろに来る語によって[goeh8]と読んだり[geh8]と読んだりしています。
一番の歌詞では最初の方に出て来る「・・・月圓圓・・・」では[・・・goeh8 iN5 iN5・・・]と読み、後ろの方に出て来る「・・・月眉・・・」では[・・・geh8 bai5・・・]と読んでいます。三番の歌詞でも同様な読み方をしています。
 これは腔の一貫性よりも歌いやすさの方を重視したのではないかと私は推測しています。
月圓圓では圓が単母音なので月は二重母音にした方が、月眉では眉が二重母音なので月は単母音にした方が歌いやすいのではないかと。

 「日本、日子、日頭」の日は[jit8]、「人生、愛人」の人は[jin5]、「仁」は[jin5]、「兒」は[ji5]、「「二」は[ji7]、「語」は[gi2]、「銀」は[gin5]、「巾、斤」は[kin]、「近」は[kin7]と私はショウ州音で話していることが多いですが、「女」や「旅」は[lu2]と泉州音で話しています。私は[i]音で韻を踏んだ【舞女的夢】、【愛情的騙子我問?】を歌う時だけ舞女、仙女の「女」は[li2]と発音しています。
私は一部を除き、台湾の友人がショウ州系なのか泉州系なのかはほとんど知りません。
偶々、ショウ州音が日本語の漢字読音に近いことが多かったから馴染みやすかったのだと思います。
ショウ州音も泉州音も日本語の漢字讀音から遠い場合は私が台湾で耳にした頻度が高い方を憶えたと言えます。
「語:gi5」、「女:lu2」、「旅:lu2」がその例に当ります。
結局私も実際には単語によりショウ州(?州)音と泉州音を混ぜこぜで話していることになります。

 私は台湾への往復の機内では映画は見ないで音楽チャンネルで台湾語の歌を聞きます。中華航空だと台湾語の歌は2チャンネル分ありますが私が好きな老歌は半分もないのが残念です。色んな年齢の客層を対象にしているので仕方ありません。それと機内放送の度に歌が中断されるのも残念です。

 私には台湾語を話したおかげでちょっぴり得をした経験が3回ほどあります。いずれもタクシーの運転手さんが料金をまけてくれた例です。
台湾の運転手さんは私が乗車する前に私が日本人だと見抜いているようですが私が台湾語で行先を告げると、お客さんは日本人じゃないのか、どうして台湾語を学んだのだと訊きます。私は台語老歌が好きなので台湾語を学んでいると伝えると、それまで自分が聞きたいからかけていたのか、日本人の私が乗るからかけてくれていたのか分かりませんが、日本演歌を止めて台語老歌をかけてくれることが多いです。
そして日本人が台湾語を話してくれるのは台湾人の私も嬉しいと言ってくれます。大抵目的地に着くまで会話し、料金が110〜115元くらいだと今日は気分がいいから100元でいいよと言ってくれることが2回ありました。
私がそれでは心苦しいと正規の料金を払おうとしても受取りませんでした。
もう1回はまだ高鐵が開通していない時に台中から飛行機で松山空港に戻って民權東路まで出てタクシーを拾って台湾語で行先を告げたら運転手さんは私にどこから戻って来たのだと訊くので台中の沙鹿からだと答えました。偶然運転手さんは沙鹿の隣りの龍井出身で、話が弾みホテルに着いたら運転手さんはメーターを倒すのを忘れたままだったのです。
運転手さんは私のミスだからただでよい、日本人と話せて楽しかったと言うのです。私が当日の朝、ホテルから松山空港まで行った時は120元だったので私がその額を支払うと言ったら100元で十分とそれ以上は受け取りませんでした。

 4泊5日か5泊6日の台湾旅行しかできない私には時間優先で高鐵が開通する前は台北から飛行機で台中、嘉義、台南に行っていました。個人的には台湾の国内線飛行機は事故率が高いと感じていたので乗る度に不安で早く台湾にも新幹線が導入されることを願っていました。
高鐵が開通してからは専ら高鐵の「のぞみ」タイプの列車を利用し台中に行っています。最初の頃は高鐵台中駅から無料のバスで台鐵台中駅まで行っていましたが、数年後に高鐵台中駅に隣接して建物の中を歩いて台鐵新烏日駅ができ、區間車で12分くらいで台鐵台中駅に着くことができます。
高鐵駅から海線の沙鹿へも今は台鐵成追線が開通しているので36分くらいで着きますが、沙鹿の友人は毎回高鐵駅まで車で送迎してくれるので台鐵成追線はまだ乗ったことがありません。
以前は海線から山線の台中駅に行くには海線の終点彰化駅まで出て山線に乗り換えなければなりませんでした。台鐵成追線は海線の追分駅と山線の成功駅を結んで海線から山線の台中駅に直接行けるようになったので時間がかなり短縮されました。

追分は日本では「二股に分かれた主要街道の分岐点に付けられる地名」で草津追分のように全国に〇〇追分という地名があります。またこの交通の要衝には仕事を求めて人々が集まり、労働歌のような民謡も生まれてこれも追分と呼んでいます、江差追分が代表的ですね。
台中の追分もそうなっているか実際に行ってみたら道路は海側と山側への二股路の分岐点になっていて、やはり日本人が付けた地名だと確信しました。
この追分駅の駅舎は昭和時代の日本の田舎の駅を思い出させる雰囲気があり私の好きな場所です。
またこの駅の傍の店では「成功〜追分」の吉祥記念切手が売られています。「試験の点数を増やすのに成功する」という意味のようです。「保安〜永康」の吉祥切符も売っており、沙鹿の友人が両方とも御守として買ってくれました。
この時は沙鹿の友人の母親が車を運転して追分駅見学に連れて行ってくれたのですが途中で追分駅への道路案内板が中々見つからず、母親は台湾語で「カンバンが見つからない」と言ったので日本語の「看板」が台湾語になっていることに初めて気付きました。

 2014年7月までは高鐵は外国人でも65歳以上は切符購入時にパスポートを提示すれば半額の敬老票で乗ることができていましたが、高鐵の赤字解消策の一つとして2014年8月以降、外国人は敬老票を利用できなくなってしまいました。
私は敬老票を買えなくなってからは、代りに誰でも買える早鳥票という割引切符を利用するようになりました。
私は台湾の若い友人に1カ月前にメールして28日前から購入できる早鳥票で35%引き(65折)の切符を取ってもらっています。
早鳥票は競争が激しくて土、日、祝日の65折切符は入手しにくいそうですが、私は平日に行くので28日前だと毎回65折の切符が取れています。
 私は高齢者の仲間入りしてからはトイレがない乗り物に40分以上乗るのは不安なので桃園空港から台北に行くバスには乗ったことがありません。
高鐵が開通してからは空港から先ずシャトルバスで近くの高鐵駅まで行って高鐵で桃園〜台北を移動します。
桃園駅では到着日に5〜6日後の帰国日の台北→桃園の切符も一緒に買いますが、帰りの切符はいつも90折の早鳥票になっています。
 捷運空港線が開通すれば随分便利になりますが、これまでに開通すると言いながら2010年以降、今年5月の旅行までに6回も裏切られたのでもう当てにしない心境になっています。そして、つい最近7回目の今年12月開通予定も来年2月〜3月に延期になりましたね。


 12月9日から5日間台湾旅行に出かけます。
 「台湾語の歌に魅せられて」は8回目まで書く予定です。
                

まさに異世界です

No.3618 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月25日(金) 15時41分15秒

tecoさん、こんにちは。
インドでははとんでもない経験の連続です。
日本とそんなに変わらない(?)バンコク経由で来たので、その差は歴然です(笑)。
「空港の両替率は悪い」とのネット情報を信じて、なるべく市内で両替しようと思い、空港ではインドルピーをとりあえず10,000円だけしか両替しませんでした。しかし市内に入ると、平日なのに銀行も両替所もほとんど閉まっていて、たまに開いている銀行では「No Cash」の張り紙があったりします。トホホです。しかも、いま旧紙幣から新紙幣の切り替え時期らしく、ATMは2000ルピー(約4200円)の制限付きと聞きました。それが今日はもう旧紙幣は使えないという「おふれ」が出たとか出ないとか。インドの金持ちのタンス預金を吐き出させるのが目的のようですが、私みたい善良な旅行者はその混乱ぶりに困惑しています(笑)。昨日は10数か所の銀行・両替所をまわって、やっと一軒の両替所で円をルピーに両替できました。
やれやれ。大変な国に来てしまったのかもしれません。しかしtecoさんから名誉ある「旅の鉄人」の称号をいただいたからには、鉄の意志でこの状況を乗り切る所存です。

ところでオフ会ですが、私はいつでもかまいません。12月23日に日本に帰るので、忘年会なら、24日、25日あたりがベストかなと思いますが、A Bengさんやミカさんのご都合もありますから、無理をせず新年会と言うのもいいですね。まだ先のことなので、成り行きでいきましょう。

異世界の旅へようこそ

No.3617 投稿者:teco  投稿日:2016年11月25日(金) 00時10分07秒

ふきさん、こんいちは。

無事の入国お疲れ様です。
インドにはしばらく行っていません。
15年以上も前のことですが、ニューデリーからラジダーニ特急に乗ってコルカタまでいどうしたことがありました。
当時は列車の予約ができなくて、前の日から駅で並んで切符を買ったことを覚えています。
あらゆるものが混沌としていて東南アジア人を自任する私でさえ面食らうことがしばしばでした。
旅の鉄人であるふきさんは心配はないでしょうが、
食べ物や飲み水にはくれぐれも気を付けていただき、楽しいご旅行を満喫してください。

オフ会ですが、年末はやめにして、新年会をしましょう。

インド到着

No.3616 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月24日(木) 12時16分05秒

みなさん、ナマステ(こんにちは)。
昨日インドのコルカタに入りました。
ビザは日本で取ったのではなく、現地空港でのアライバル・ビザでしたが、イミグレの職員が親切で、無事に入国できました。しかし事務処理が大変だったようで、結局1時間以上かかりました。他の乗客はとっくに全部出てしまい、私一人だけが残った形です。
日本は最近福島で地震と津波があったそうで、みなさんは大丈夫でしたか。しかも今日は東京で初雪があるとか。そうとう寒いようなので、みなさんお気をつけください。ちなみにこちらはかなり暖かいです(笑)。
とりあえずのご報告です。

年末オフ会

No.3615 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月19日(土) 14時17分58秒

tecoさん、こんにちは。
いつもお世話になります。また久しぶりにみなさんとお会いしたいですね。
ただ、私の場合はさしあたって明日から旅行に出掛ける予定となっています。
メインの目的地はインドです。ビザの関係で今回は帰路の便も予約済です。
帰国は約1ヶ月後になりますが、都合が合えば、オフに参加したいです。
よろしくお願いいたします。

11月20日 移動(バンコク)
11月20日〜11月22日 バンコク滞在
11月23日 移動(コルカタ)
11月23日〜12月17日 インド滞在
12月17日 移動(バンコク)
12月18日 移動(台北)
12月19日〜12月22日 台湾滞在
12月23日 移動(帰国)

すばらしい調査です

No.3614 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月19日(土) 14時15分47秒

梧棲さん、こんにちは。
いや圧巻です。台湾語には膨大な日本語の流用があるんですね。たしかに「運ちゃん」は戦前派にとっては普通だったようで、私の父も日常的によく使っていました。あと、「新聞」、「料理」、「ネクタイ」、「ジャンパー」、「リンゴ」、「バラ(花)」など、まだまだ探せばありそうです。逆に台湾語から日本語になった語が「米粉(ビーフン)」と「焼酒(ショウチュウ)」くらいしかないのは寂しい限りです。
「トーサン(多桑)」は呉念真監督の映画のタイトルにもなりました。この日本語(台湾語?)だけで、映画の内容がどんなものなのかすぐにわかります。
私の好きな歌手である黄思[女亭]の「青春作陣行」の歌詞には「こんばんは、こんにちは、もしもし、さよなら」の日本語が織り込まれていますが、これらもすでに台湾語の一部に溶け込んでいる印象があります。

それから、たしかに台湾語の歌で、「魚」を[hu5]と発音している歌手は私の知る限り皆無です。台湾では圧倒的に[シ章]州音の[hi5]が優勢です。「語」も泉州音[gu2]より[シ章]州音[gi2]のほうが優勢のように私は思いますが、基隆出身の白冰冰は「花言巧語」を[hua1-gian5-kha2-gu2]と発音しています。泉州腔は健在です。
台南出身の黄思[女亭]は歌詞の中で「人生」を[jin5-seng1]、と[シ章]州音で自然に発音していますが、テレビ出演などでは「日本」を[lit8-pun2]とも言います。やはり台北で仕事をしていると、だんだん周囲の訛りに慣れて行くのでしょうか。まさに「不泉不[シ章]」が進行中です。
「台湾語の歌に魅せられて」のシリーズを楽しみにしています。

こんにちは

No.3613 投稿者:teco  投稿日:2016年11月18日(金) 11時12分37秒

ふきさん、梧棲さん、葛さん、みなさんこんにちは。

皆さんの台湾の人々や文化に対する親愛と造詣の深さにこころより敬意を表します。
私も台湾好きということにかけては人後に劣るとは思っていませんが、
かろうじて日常会話ができる程度で、いつも日本語を上手に話す台湾の人たちに援けてもらっています。
零細な自営業のため年がら年中あちこち飛び回っておりますが、
そろそろ忘年会のシーズンでもあり、年末のオフ会を計画したいと思っております。
皆さんのご都合の良い日をあらかじめ教えていただければセットしたいと思います。
ちなみに私は12月1日〜6日まで中国(広州)出張が決まっています。
また、9日〜11日あるいは16日〜18日のどちらかで台湾(台北)を予定しておりますが、
こちらのほうは仕事ではありませんので、いくらでも変更できます。

よろしくお願いします。

Re:泉州音とショウ州音

No.3612 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年11月17日(木) 18時34分39秒

ふきさん、
 私の経験では台湾の若い世代でも「泉州腔」と「?州(ショウシュウ)腔」は普段から聞き慣れている所為か自分の腔とは違っていても違和感なく通じ合っていると感じています。
 私は単純に歌詞に出る頻度の高い「愛人」の讀音が日本語讀音に近いからという理由で基本的には「?州音」で通しています。「人生」、「仁愛」、「日本」、「男兒」は[l]音よりも[j]音の方が私には馴染みやすかったと言えます。
 16年ほど前の公視テレビの『台湾歌謡輯』で台南人の作詞家の莊啓勝さんは「私はできるだけ原曲の日本語の歌詞と似た音の台湾語の歌詞を一部入れることを重要視している」と語っていました。
莊啓勝さんは春日八郎が歌った【苦手なんだよ】の台湾語版【人客的要求】では原曲の「じんと じんと じんと・・・」の箇所を「忍著 忍著 忍著・・・」と?州腔だと[jim-tioh jim-tioh jim-tioh]と日本語に近い音になるように作詞したが泉州腔で歌う人では[lim-tioh]になってしまい苦労が報われなかったと語っていました。
 確かに【舞女的夢】は[i]で韻を踏んだ歌詞になっているので「女」を[lu2]と読むと折角の押韻が崩れてしまうので[li2]と?州腔で読まなければなりませんね。
「語」、「女」、「旅」などは[i]でも[u]でも互いに通じると感じますが、金門出身の女性が「魚」を金門、厦門では[hu5]と言うと告げたら台湾本島出身の女性達は皆、[hi5]以外は聞いたことがないと答えていました。
金門出身の女性が台湾本島では台湾語をしゃべりたくないと言っていた気持ちが理解できました。

 台湾語の歌に魅せられて(5)では一部「行が揃っていなくて見づらくなってしまいました」、ごめんなさい。

台湾語の歌に魅せられて(5)

No.3611 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年11月17日(木) 16時35分32秒

ふきさん、こんにちは。
葛さん、初めまして。

 1987年に私が初めて台湾語の歌を耳にした時に、歌詞の意味は全く分からないのに何故か惹きつけられた理由の一つは、日本原曲が多くてメロディーに馴染みがあったからだということにはすぐに気付きましたが、それだけではないが理由が分からない状態が長く続いていました。
私の台湾語語彙が増えてくるにつれて、もう一つの理由がやっと分かるようになりました。
それは台湾語の歌には「韻を踏んでいる」歌詞が多いからでした。私が好きな歌の9割以上は韻を踏んだ詞になっています。台湾語の歌は北京語の歌に比べて韻を踏んだ歌詞が圧倒的に多いと言えます。
台湾語の歌の作詞者は「人々の心に響く内容の詞を書く」だけでなく、更にできるだけ「韻を踏んだ詞にする」ことで歌詞自体に一種のリズムを持たせているように私は感じています。
台湾語の作詞者には一層の文学的素養を要求される仕事と言えそうです。
 中でも私がよくぞここまで韻を踏んだ詞を書いたものだと敬服するのは 
1.一番から三番までの歌詞の各フレーズが単一の音で韻を踏んでいます。
丁?さんの【酒女酒女】
呂金守さんの【人生(日本原曲:夫婦春秋)】
  偶然ですが2つの歌詞とも教羅で[eng]と表記される一種類の音で韻を踏んでいます。
2.一番の歌詞の各フレーズは単一の音で韻を踏んでいる。二番の歌詞は一番とは違う音で韻を踏んでいる。
  そして三番の歌詞は二番とは違う音で韻を踏んでいるという作詞になっています。
中には三番は一番の歌詞と同じになっていることがあります。
黄敏さんの【路燈了解我心意(日本原曲:裏町酒場)】と【三年的舊情(日本原曲:浮草ぐらし)】
莊啓勝さんの【流浪到台北(日本原曲:伊豆の佐太郎)】
葉俊麟さんの【媽媽歌星(日本原曲:花街の母)】と【送君情涙(日本原曲:みれん峠)】
3.どれも一番の歌詞を繰り返して歌うので上記1,2に比べれば1/3の苦労で済むのかも知れませんが
  各フレーズが一つの音で韻を踏んでいる。
蔡素惠さんの【絶情雨】、【心掛意無路用】、【傷痕】   蒋錦鴻さんの【愛情的騙子・我問?】 
劉聖?さんの【愛人跟人走】   黄敏さんの【小姐請?給我愛】
王登雄さんの【小雨】   葉俊麟さんの【落大雨彼一日(日本原曲:あん時ゃどしゃ降り)】
邱芳コさんの【愛情不要賣】   曾淑靜さんの【痴情花】   陳維祥さんの【愛情恰恰】
林垂立さんの【往時?提起】   兪驩リさんの【等無人】   沈文程さんの【舊情也綿綿】
などが挙げられます。
 この他にも全てのフレーズに亘って韻を踏んではいなくても大半のフレーズが韻を踏んでいる台語歌詞は枚挙にいとまがないと言えるほどあります。

 日本原曲の台湾語版には私が好きな歌が多いので、作詞者の名も自然に憶えるようになりました。
≪葉俊麟さん≫
【媽媽歌星】 【落大雨彼一日】 【送君情涙】 【温泉郷的吉他】 【可愛的馬】 【求愛的條件】    【孤女的願望】 【故郷的月】 【淡水河邊】 【田庄兄哥】 【難忘的人】 【難忘的鳳凰橋】 【悲戀的公路】 
【再會夜都市】 【慈母涙痕】 【夜都市半暝三更】 【台北發的尾班車】 【可憐戀花再會?】 
【鴛鴦酒杯】 【相逢有樂町】 【交際的條件】 【窗外夜雨】 【夜半賣花女】 【郷村小姑娘】
【流浪天涯伴吉他】 【碧潭假期】 【温暖的山雪】 【單相思】 【醉鴛鴦】 
≪莊啓勝さん≫     【媽媽我也眞勇健】 【再會呀港都】 【人客的要求】 【離別之夜】 【流浪到台北】 【長崎胡蝶姑娘】
【彼個小姑娘】 【落葉時雨】 【幸子】 【可愛的港都】 【月娘晩安】 【遊夜街】
≪黄敏さん≫
【路燈了解我心意】 【望月想愛人】 【一支小雨傘】 【三年的舊情】 【流浪之歌】 【三年前的戀夢】
【愛的小路】 【那想那趣味】 【愛甲恨】      ≪蜚聲さん≫       【懷念的播音員】 【春夢不了情】 【流浪天涯三兄妹】 【流浪三兄妹】 【阮的故郷南都】        ≪呂金守さん≫
【人生】 【舊皮箱的流浪兒】
≪黄俊雄さん≫     
【為錢賭生命】 【苦海女神龍】 【命運青紅燈】 
≪文夏さん≫ 
本業は歌手なので文夏さんの詞には韻を踏んだものは極めて少ない。歌詞の内容は日本原曲の歌詞に近いことが多い。        【後街人生】 【可憐彼個小姑娘】 【星星知我心】 【緑島之夜】 【?二人的約會】 【心所愛的人】
【黄昏的故郷】 【媽媽請?也保重】 【假情假愛】 【船上的小姐】 【夢追酒】 【快樂的炭礦夫】 
【北國之春】 【王将】 【戀歌】 

 私の青春時代はレコードを買う余裕はなく専らラジオから流れて来る歌を聞いて憶えたものでした。
ちょうどポケット・トランジスタ・ラジオが量産されるようになった時代で学生でも暫くお金を貯めればラジオは買えました。
歌詞カードなどないので一部の歌詞は勘違いして憶えてしまったこともしばしばありました。
 かってレコード会社の役員をしていた台中の周彬梧さんは黄西田の【田庄兄哥(日本原曲:イヤサカサッサ)】を出したらヒットしたが、当時はラジオの時代で歌詞を見たことがない台湾人の中には言葉を聞き違えて勘違いして歌う者もいたと手紙に書いていました。当時の笑い話だったようです。
台南(tai5-lam5)→台人(tai5-lang5)  
便當(ベントー、pian7-tong、bian7-tong)→免刀(bian2-to)         
壽司(su7-si)→戍死(su3-si2)  
田豆(chhan5-tau7)→塹頭(cham7-thau5) 
瓜子(ke-chi2)→加死(ke-si2)

台湾語には日本語由来の一種の外来語が他の言語よりも明らかに多いと感じます。1895年から1945年までの50年間の日本統治時代に言語面でも影響を受けたためでしょう。この部分が大陸の?南語とは異なると言えそうです。
 私が最初に日本語由来の台湾語を耳にしたのは「ウンチャン:運将」でした。日本語ができない友人がタクシーの運転手にウンチャンと呼びかけたのです。彼女は台湾語だよと私に告げました。
私が小学生の頃にはタクシーなどの運転士を「ウンチャン」と呼ぶことはほとんどなくなっていましたが親の世代は戦前にはこの呼称を使っていたようです。
ウンチャンの他に私がこれまでに耳にしたことがある日本語由来の台湾語は
[アニキ]、[オジサン]、[オバサン]、「アッサリ」、[カンジョウ(勘定)]、[サシミ]、「テンプラ」、[セビロ]、「カンバン」、「アタマコンクリ」、「アタマショート」、更に和製外国語や外来語の[アパート]、[オトバイ(オートバイ)]、[シャーツ(シャツ)]、[リヤカー]、[トラック]、[ラジオ]、「カメラ」、「パン」、「ショッパン(意味はトースト、食パン由来?)」、[トマト]、[ビール]、「スタンド(昔のマイク立て)」などを聞いたことがあります。
また「黒輪:おれん」は「おでん」が「おれん」と訛ったもの、「烏龍?」は「うどん」が「うろん」と訛ったものですね。
そう言えば台湾では日本語の「うろんな(胡乱な)」の意味でも烏龍と表記していますね。
私の出身地の九州方言では薩摩揚げのこともテンプラと言うで台湾の「テンプラ:甜不辣」は多分、九州人が日本統治時代に伝えたのでしょう。
日本語で「ベントー」と言っても通じますね。
若者は「リアカー」、「ラジオ」は知らないことが多いです。黄乙玲の『Radio的點歌心情』を聞いて自分は北京語の「收音機」しか知らなかったが、この歌で台湾語では「ラジオ」というのだと初めて知ったという若者もいました。
75歳の周彬梧さんは子供の頃に「トーサン(多桑):父さん」も使っていたそうです。
 台湾語の歌の中にも日本語由来の台湾語が出て来ることがありますね。
黄乙玲の【Radio的點歌心情】では「ラジオ」、葉啓田の【朋友情】では「あっさり(阿莎力)」、郭大誠の【青?仔嫂】では「せびろ(西米羅)」が出て来ます。
台湾語と日本語を混ぜて歌う白冰冰の【阿娜答】では「あなた」、「わたし」、「うれしい」、「だいじょうぶ」、「ちょっとまって」、「あたまショート」、「きもちわるい」、「ビール」、「さけ」、「かんぱい」、「さよなら」が出て来ます。
「あたまショート、ビール」以外はまだ台湾語になりきっていないが多くの台湾人が知っている日本語として歌詞の一部に使われていますね。
最近の若者達は「かわいい」、「マッチしている」、「もしもし」、「おしゃれ」、「おいしい」、「がんばって」、「あなた」、「きもち」を日本語のまま使い始めています。
人口2300万人しかいない台湾なのに2015年に日本旅行をした台湾人は379万余人に達し、今年は400万人を軽く超えることが必至ですから、若者達には北京語で表現するよりも日本語で表現する方が「おしゃれ(歐夏蕾)」に感じる者が多いようです。
人口当たりで見れば訪日台湾人数は国際的に見ても異常と言えるほどの比率です。 
日本人にとって台湾は最も行きたい外国の一つと言われています。訪台日本人が過去最多だったのは2014年の163万7千余人で、2016年はこれを抜いて180万人台に達する見込みですが訪日台湾人の比ではありませんね。                    
 また言葉ではありませんが交通機関も台鐵の西部幹線は日本統治時代にほぼ完成したので左側通行、高鐵も主に日本方式を採用したので左側通行ですね。
列車番号(車次)も「下り列車は奇数」、「上り列車は偶数」で日本と同じです。
昭和時代にヒットした【あずさ2号】は下り列車なのに偶数になっているのは作詞者の勘違いか、語呂が良くて敢えて実際に下り列車にはあり得ない番号にしたのか私には分かりません。
一方、台北捷運はヨーロッパ大陸方式で右側通行になっています。
車は日本統治時代は多分左側通行だったと思われますが國民党が台湾にやって来てからは右側通行になっています。
道路交通信号は北京語では「紅緑燈」ですが、台湾語では「青紅燈」で「青信号、赤信号」と表現する日本語と同じ表現に見えます。台湾では日本統治時代に交通信号が設置されたので日本語の影響を受けたのでしょう。

カラオケ20年

No.3610 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月16日(水) 20時52分50秒

葛さん、こんばんは。
ご子息はKTVに勤務されていましたか。たしかにKTVは若い人が多いので、ややポップスに傾いていますが、それでも老歌、流行歌、日本語曲、洋楽もまんべんなく網羅されていて、「使い勝手」はかなりいいです。ただ本来KTVは友達仲間とパーティ気分でワイワイやるところなので、なかなか一人では入りづらいのですが、私は一人でも「突入」します。これはかなり贅沢な趣味ですね(笑)。
昔はカラオケというと、若い女の子が侍る豪華なカラオケパブもたくさんありましたが、最近はどうなんでしょうか。景気がよければ、繁盛するでしょうが、大陸や東南アジアでは現在それが主流らしいです。しかし何といってもそのような店は料金が高いのが難点で、私みたいな貧乏人はお呼びではないですね(笑)。
私がよく入るのは昼頃から開店するカラオケ喫茶です。年齢層はぐっと高く、日本演歌専門店もたくさんあります。店名が「花の唄」、「三春桜」、「葵」などの看板ですぐわかりますが、私は台湾語や北京語の歌を歌いたいので、なるべくそういう看板ではない「純台湾風の看板」を探して入りますが、当たりはずれは当然あります(笑)。
ちなみに私のレパートリーはノージャンルです。もともと学生時代からシャンソンやカンツォーネをギター伴奏で歌うのが好きでした。それがカラオケで歌うようになったのは、1995年ころに家の近くにカラオケボックスが出来てからです。北京語や台湾語の歌も少しだけですがありました。おりしも夏に台湾旅行をして帰って来たばかりで、すっかりはまってしまい、翌年1996年夏の台湾旅行では大量のCDとカセットを買って帰りました。そのころはほとんど毎日カラオケボックス通いしていた気がします。北京語の歌はポップスが多く、台湾語の歌は歌謡曲が多かったのですが、どちらも老歌は日本のカバー曲が多いのにも驚きました。私はそれまで日本の歌謡曲や演歌をほとんど知りませんでしたが、台湾の歌を介して、日本の歌のよさを見出した気がします。

好久不見了!

No.3609 投稿者:葛(板橋)  URL  投稿日:2016年11月16日(水) 07時20分46秒


ふきさん、tecoさん、ご無沙汰しました。
梧棲さん、初めまして。今日は久しぶりに台北のホテル勤務ですので夕方の出勤です。すぐに帰る予定がなかなか帰る事が出来ない状態です。ふきさんと梧棲さんのやり取りを拝見していて気後れしています。私は家族や職場ではすべて日本語です。
ふきさん、tecoさん、梧棲さんの様に台湾語を流暢に話すことが出来ればよいのですが自信がありません。しかし現在の仕事では差し支えがなく日本語で頑張っています。カラオケは週3回ほど歌っています。台湾語。日本語の大御所「江宦vさんが引退した後もそのあとに続く歌手は台湾には存在しています。私の長男はKTVに勤務していますが、日本語の曲を歌えない歌手は歌番組に出演数は限られているといます。しかし台湾、韓国、日本、大陸中国ではpops系の歌が主流に成りつつあるようです。
皆さんは台湾では主にどのような曲を歌われるのでしょうか?日本で行われるオフ会ではどのような曲を歌いますか?私も何時かオフ会に出席したいですね。日本は本格的な冬を迎えます。体調には充分気をつけてお過ごし下さい。当分台湾生活が続きます。

泉州音と[シ章]州音

No.3608 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月14日(月) 23時43分20秒

梧棲さん、こんばんは。
もう他界された王育徳博士の名著「台湾語入門」では、台湾語の声調として8種をあげています。ただし第2声と第6声は同じなので、結局7種となります。同書にはまた台湾語の系統として、福建祖語の南北分裂時期を3世紀、南の泉州方言と[シ章]州方言の分裂時期を6世紀としています。さらに[シ章]州方言から潮州方言(広東省内)が分化したのは7世紀ということです。潮州方言には第6声があります。

14世紀ころから台湾に移住して来たのは主に泉州や[シ章]州からの人々と客家人でした。客家人に関しては割愛しますが、泉州人と[シ章]州人は言葉が近く、そのうち「不泉不[シ章]」といわれるように混じり合ったので、これが台湾語の起源と考えてよいでしょう。
しかしそれでも台北を中心とする泉州方言と台南を中心とする[シ章]州方言の色合いはまだ残っているようです。
例「日本」lit8-pun2(泉)/jit8-pun2([シ章])
例「先生」sian1-siN1(泉)/sian1-seN1([シ章])
例「台語」tai5-gu2(泉)/tai5-gi2([シ章])
ただ若い人は混同もしていますね。台南だからとか、台北だからではなく、両親の話す言葉を聴いて、子供は育つわけですから、一概には言えず、さまざまな結果が出ると思います。

歌の場合を見てみると、脚韻との関係で、場合によっては都合のいいほうに合わせたりします。
陳小雲が歌っている「舞女(bu2-lu2)」と「舞女的夢(bu2-lu2 e5 bang7)」ですが、タイトルはどちらも泉州式です。しかし「舞女的夢」のほうは歌の中で、「舞女舞女免傷悲(bu2-li2 bu2-li2 bian2 siong1-pi1)」と[シ章]州式で歌っています。脚韻が[-i]なので、このほうが語呂がいいのでしょうか。

さて、語末子音の[-h]ですが、やはりこれは歴史的に[-p]、[-t]、[-k]が崩れたものでしょう。上海語の場合はこの「-h」しかありませんので、将来的には、北京語のようにゼロになってしまう可能性があります。ただし長音化記号ということではなく、日本語の促音を表す小さい「ッ」にあたります。
ところでついでながら、日本語、台湾語、韓国語について、不思議な一致があります。それは「シ」の音です。いずれも英語の[see]ではなく、[she]の発音なのです。東アジア共通のこの現象はおもしろいです。これらの言語ができる以前に住んでいた先住民の発音習慣が新たな占領者に継承されて、残ったものなのでしょうか。日本なら当然縄文時代以前のことでしょうね。実に不思議です。


Re:

No.3607 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年11月14日(月) 13時07分51秒

ふきさん、
 ふきさんの台湾語に関する造詣の深さに敬服しています。
私が学んだ台湾語教材では四聲と六聲の詳しい解説がないので私はこの2つの聲調だけは把握できないままです。
どうにか台湾人と会話できているのは私が日本人だからカタコトの台湾語を相手が努力して理解しようとしてくれているのだと思います。私の発音を聞いて「○○」と訂正されている場合は四聲や六聲の箇所なのだろうかと思うことがあります。
変調のルールもテキストの巻頭に説明されていますが、私は把握できていません。
自分の耳に聞えた単語の発音を真似ているだけです。
 
 確かに語尾の子音に[h]もありますね。
私は[h]は長音化記号と受け止めています。
[t]と[k]は次の語頭に母音が来るとリエゾンして発音まで変ってしまうことがありますね。
[t]音: 一個 chhit+e→chhilleと米国英語のように[t]音が[l]音に変化
[k]音: 銀角仔 gin+kak+a→ginkaggaと[k]音が[g]音に変化
 数字の16は私の教材では[chap8-lak8]或いは[chablak]ですが若者達には[chah-lah]と発音する者が少なくありません。
私が辞書をいただいた台湾の先輩にこのことを質問したら[k][p]の発音よりも長音化した発音の方が楽だから語尾の子音の[h]音化が進んでいると説明されました。
文語音で[k]の漢字の多くは口語音では[h]になっていますね。

 私には数少ない若い男性の友人の1人は兵役で2年間馬祖島駐在でした。台湾語は通じず街に出た時は北京語しか話さなかったと語っていました。
馬祖と言えば1989年頃に私がもらったお釣りの中の百元札1枚に「馬祖」と赤字で印刷されていました。馬祖だけでしか通用しない紙幣だったのです。
ホテルの近くの食堂のおばあさんが日本語が話せて顔馴染みになっていたので、普通の百元札と交換してくれました。おばあさんは銀行で普通の札と交換してもらうと言っていました。
私は手持ちの500元札1枚が新札に変更されて併用可能期間を過ぎていたので店から受取りを拒否されたこともあります。この時も日本語世代の友人が新札と交換してくれました。

 私には同じ漢字で北京語の聲調は憶えているが台湾語の聲調が分からない、逆に台湾語の聲調は憶えているが北京語の聲調が分からないことが偶にあります。
私の経験では台湾語1聲→北京語1聲、台2→北3、台3→北4、台5→北2、台7→北4の確率が高いので、とりあえずこの経験則に頼っています。

 私は化学専攻で語学、特に漢民族の言葉に興味を持つなど若い頃には予想すらしていませんでしたが、20年勤続の褒賞で台湾に行ったことがきっかけで貴重な趣味を見つけることができました。


面白くなってまいりました

No.3606 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月13日(日) 19時35分06秒

梧棲さん、こんばんは。
さすがに台湾語に造詣の深い梧棲さんならではの濃いお話になってまいりました。ほんとうに勉強になります。
現在台湾が実効支配している大陸側(福建省)北部の馬祖島と南部の金門島では言葉がまったく違い、北京語を介さないとお互いにコミュニケーションが取れません。もう10年以上も前のことですが、私の家の近くにあった(もうつぶれましたが)中華料理店の店主が福建省北部福州の出身で、しかもその奥さんも従業員も同郷なので、調理場では福建省北部の福州語が飛び交っていました。私はまったく理解できませんでしたが、少しくらい話せたら楽しいなと思い、神田神保町の内山書店で「福州話音档」という入門書を探して買ってきました。カセットテープもついていたので、発音も聞けました。私は先入観から、同じ福建なので台湾語と少しは似ていて、習得も容易かなと思いきや、全然似ていないので、がっくり来ました。なにしろ発音の違いもさることながら、転調パターンが複雑で、「これは無理だ」と諦め、もうその本は捨ててしまいました(泣)。ちなみに台湾語の転調は1→7声、2→1声、3→2声、4→8声、5→3声、7→3声、8→4声と一定で、慣れれば、十分に習得可能です。

台湾語に文語読み(文言音)と口語読み(白話音)がある事実は重要です。北京語にはそのような区別はなく、読みは一律です。首都の言語はいつも「標準語」であり、そのすべての言葉に漢字が存在します。漢字は知識人により歴史書や文学にも使われ、後世に比較的正確に伝えられて行きます。しかし福建省など地方の言語はそんなことはなく、人々の話す土着の方言は野放しで、文字に書かれることもありませんでした。これが台湾語の白話音に継承されたと思っています。しかし一般庶民ではない地方の役人たちは中央とのコミュニケーションのために標準語を解釈する必要がありました。彼らはある時期の「標準語」とその表記手段である漢字を習得し、彼らなりに消化して、長い間に体系化したものを残しました。これが台湾語の文言音になったと思われます。基本は古い標準語なので、すべての言葉に漢字が対応します。素性の知れない言葉を多く含んだ白話音とは別の体系でした。
なお台湾語には、[-p]、[-t]、[-k]の語尾の子音がありますが、白話音にはさらに[-h]があります。単に息だけの詰まる音なのですが、転調の際には独自の変化をします。4→2声、8→3声。ややこしいですね。

さて、本来漢民族の言語は単音節が特徴の一つになっています。単音節だとどうしても同音異義語が多くなるので、声調が発達したと言われています。台湾語の声調は7声ありますが、古代中国語は8声だったそうなので、台湾語は古い発音体系に近いですね。それに対して、現代の北京語は4声に減っています。しかも完全に末子音の[-p]、[-t]、[-k]も失われています。これは梧棲さんが推察されるように「元朝」、「清朝」など異民族支配時代の影響かも知れません。しかもその声調の中には台湾語の第7声(中間音)にあたるものがなく、各声調の高低差が顕著で、非常に聞き取りやすいのが特徴です。これも異民族の学習者にはありがたい話です。また北京語の声調が少なくなったのは、「2音節化」が進んだことが原因かも知れません。「2音節化」が進むと、声調依存が緩和されます。第2音節が軽声になることが多いのもそのためです。さらに「図書館(tu2-shu1-guan3)」のような3音節になると、たとえば日本人が無声調の棒読みで「tu-shu-guan」と発音しても案外通じるのではないでしょうか。おそらく大丈夫だとは思いますが…。

台湾語の歌に魅せられて(4)

No.3605 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年11月10日(木) 09時34分28秒

ふきさん、
 台湾語の歌詞の中には熟語を「文語読み」すべきか「口語読み」すべきか迷うことがあります。
文語読みすべき熟語の場合、中年以上の台湾人の多くは文語読みしますが、若い世代の台湾人は文語読みにはあまり慣れていないので口語読みする傾向が強いようです。
三橋美智也の【みれん峠】の台語版【送君情涙】の3番の歌詞に「三言兩語」、「三翻四叮嚀」という熟語があり陳小雲は「三言兩語」を[sam1-gian5 liong2-gi2]、「三翻四叮嚀」を[sam1-hoan1 si3-teng1-leng5]と文語読みして歌っていますが若い歌手はそれぞれ[saN1-gian5 nng7-gi2]、[saN1-hoan1 si3-teng1-leng5]と口語読みで歌っています。
また美空ひばりの『裏町酒場』の台湾語版『情難斷夢?醒』ではこれを歌った陳中と邱芸子は「斷」を[tng7]と口語読みして歌っています。この歌は男女對唱なので私も台湾のカラオケでデュエットして欲しいと時々頼まれます。
中年以上の女性達は皆、「情難斷」の時は「斷」は文語読みしなければならないから[toan3]と歌わなければならないと言います。一方若い女性達はオリジナル歌手も歌っている通り[tng7]と歌うと言います。
台英辞典(A Dictionary of Southern Min)を引くと
[toan3]の意味はdecide、determine、judgeとあり「情愛は理性では判断し難い」、「恋は思案の外」に近い意味になります。
[tng7]の意味はbreak apartとなっていますから「恋情は断ち切り難し」というような意味になります。
「斷」の発音の違いでニュアンスは変るものの、どちらも意味は通じるので両方の読み方が通用しているのでしょう。

 日本語では語尾の子音は「ん」だけでアルファベット表記は[n]ということになっていますね。北京語では語尾の子音はピンイン表記で[n]と[ng]だけです。
ところが台湾語(?南語)では語尾の子音は多くなり、日本語では「ん」としか表記しない音でも[n]、[ng]に加えて[m]の音があります。英語やドイツ語と同じですね。
台湾語には更に[k]、[p]、[t]の語尾の子音があり、注意して聴かないと日本人にはこれら語尾の子音が聴き取れないことがあります。
例えば「心」は日本語だと「しん shin」、北京語だとピンイン表記で[xin]ですが台湾語だと教羅表記で[sim]となり語尾の子音は[m]になっています。
語尾の[n]音と[m]音は日本人の私には注意して聴かないと判別できないことがありますが、台湾語特有の前の語の語尾の子音の後に次の語が母音で始まると一種のリエゾンが起きて[m]音が明確に聴き取れるようになります。
歌詞によく出て来る「心愛的」は[sim+ai+e]がリエゾンして[simmai ?e]となり[m]音がはっきり聞こえます。
 現代日本語では[n]、北京語でも[n]となる漢字讀音が台湾語では[m]となる例は
暗、陰、蔭、飲、音、甘、感、監、金、錦、禁、琴、三(文語音)、散、心、審、閃、淡、談、耽、探、潭、站、店、點、含、陥、險、嫌、兼、檢、簽、驗、鹽、炎、南、男、念、粘、斬、漸、暫、枕、?、浸、針、尖、參、慘、繊、嚴、減、忍、認、任、染などが挙げられます。
 台湾語で語尾の子音が[m]音になる漢字の多くが客家語でも[m]音になっていると記憶しています。
 私に台湾語の辞書を贈ってくださった日本語世代の先輩は外省人が台湾語を話す場合、この語尾の[m]音を[n]音で発音することが多いので、外省人だと分かると言っておられました。

 現代日本語では語尾の[m]音、[n]音、[ng]音を区別せず全て「ん」で表記するようになっていますが、例えば
「三位一体」、「陰陽師」の讀音には語尾の[m]音が突然現れて現代日本人は不思議に思うことがありますね。
漢和辞典を引くと
「三の古い字音:さむ」、「位の古い字音:ゐ」とあります。[sam・ui]→[sammi]と転じたと推測されます。
「陰の呉音:おむ」、「陽の字音:よう、やう」とあります。[om・iou]→[ommiou]と転じたと推測されます。
日本人が大陸から呉音を輸入・借用した当時には語尾の子音の[m]を発音していたと推測されます。

 中国大陸の歴史は狭義(古くから)の漢民族が版図を広げて周囲の異民族を漢民族化していったことが「言葉」の違いからも推察できますね。現在でも長江以南は上海語、?南語、広東語など北京語とは会話しても通じ合わない言語がそれぞれの地域で日常語として使われていますね。
北京語には[h]音と[f]音はあるが[v]音はなく、狭義の漢民族と言われている客家語は[h]音と[f]音の区別以外に[v]音もありますが、台湾語(?南語)は日本語と同じく[f]音も[v]音もなく[h]音と[b]音で表現しますね。これほどの違いは単に方言による違いよりは元々民族が違うからではないかと私は受け止めています。
また現在の北京語の場合は「元朝」、「清朝」など異民族支配時代に言葉も影響を受けたこともありそうです。
私は嘗て台湾の友人が連れてきた福建省南部出身と北部出身の夫婦と一緒にカラオケに行ったことがありますが北部出身の奥さんは「同じ福建省でも北部と南部では言葉が違うので私は台湾語は全く分からない」と言っていました。
 私が毎回台北で会う若者達の中に金門出身の女性がいます。彼女は台湾本島で金門の台湾語を話すと訛りが強いと受け取られるので北京語しか話さないが、金門に帰省すると家族との会話は台湾語が主で、フェリーで30分もかからない対岸の厦門で買い物する時も台湾語で会話すると言います。金門と厦門は発音もほとんど同じで気楽だし、北京語で会話すると観光客と見られて「ぼられる」懸念があるので厦門では台湾語でしか会話しないそうです。
 
 私が毎回の台湾旅行中に会う友人は合計で15〜20名になりますが、
若い友人は私の北京語、台湾語よりも彼等の日本語の方が上なのでほとんど日本語の会話になります。友人同士が話す場合に時々北京語や台湾語の会話になるだけです。
日本語世代の友人とは当然日本語の会話になります。
日本語が話せない4〜5名とだけ台湾語と北京語を交えて会話することになります。
 タクシー運転手さんとの会話も大抵台湾語です。

 これ以外に私が台湾語で会話するのは足裏マッサージや全身マッサージをしてもらっている時です。
私は以前は日本語が話せるマッサージ師がいる街中の店に行っていましたが、それでは台湾語・北京語の練習ができないので最近は専ら台北駅1Fの中央ホールの近くにある按摩處か捷運雙連駅の改札口近くにある地下街の按摩處で脚底按摩や全身、半身按摩をしてもらっています。
このような店には日本人客はほとんど来ないのでマッサージ師さんは日本語が話せない方が多いです。
そしてこの2つの店のマッサージ師さんは全員視覚障害者で、健常者の方1名が客の呼び込みや会計係を兼務しています。
マッサージ師さんは日本人客は滅多に入らないので最初は私が日本人だと思ってもいないようで、台湾語か北京語で話しかけて来ます。私の下手な台湾語から台湾人ではないことに気付かれたと思うので日本人だということを告げますが、台湾語で会話の相手をしてもらえます。
マッサージ師さんは私が台湾に住んでいるのか、台湾は何回目か、台湾ではどんな所に行ったか、日本のどこに住んでいるか、子供は何人か、奥さんは連れて来ないのか、マッサージ師さんが行ったことのある日本の話をし、私はマッサージ師さんに、どこ出身で現在はどこに住んでいるか、私とマッサージ師さんが好きな台湾人歌手や曲名、マッサージ師さんが好きな日本の歌手と曲名など訊いています。
私にとってはマッサージしてもらっている時が台湾旅行中に最も密に台湾語で会話していることになります。

私の台湾語事始め

No.3604 投稿者:ふき  投稿日:2016年11月05日(土) 19時54分25秒

梧棲さん、こんばんは。
台湾とのつきあいが長くなると、どうしても北京語だけでなく、台湾語の必要性が出てきますね。相手のことをよりよく理解したいという気持ちがそうさせるのでしょう。
台湾語の原郷は中国大陸の福建省南部ですが、この地方は漢民族の発祥の地から遥かに遠く、もともとは別系統の言語が行われていた可能性があります。もちろん最終的にはこの地方も「漢化」されたので、その言語も漢語系の一員となりましたが、その中に漢語由来ではないと思われる語が多数含まれているのは旧言語系の残滓かもしれません。「肉(バ)」「[廴日][廴月](チットー)」等々。
また台湾に伝播されたあとは台湾独自の「進化」もしています。特に日本の50年の統治により、少なからず日本語からの借用が顕著です。「欧吉桑(オジサン)」、「便當(ベントン)」等々。こういう語彙は当然大陸にはありませんね。

私が中国語や台湾語を学習したいという動機はやはり歌でした。
1978年の台湾旅行でお土産に買って帰ったカセットテープを聞いているうちに、歌詞の意味を知りたいという気持ちがおきました。当時は台湾語も中国語もまったく知識がありませんでしたから、とりあえず中国語の辞書と文法書を買い求めました。5巻のテープの中で、鳳飛飛の北京語の流行歌と台湾語の民謡集に歌詞カードが入っていたので、これが私の「教科書」となりました。中国語の歌はなんとかピンイン振りできたのですが、台湾語の民謡はどうしようもありません。私は中国語も台湾語もそんなに違わないだろうと、甘くみていたのですが、「どうも台湾語の発音は違う?」ということにやっと気が付きました。それから台湾語の資料を探しに、東京の神田神保町の書店街を歩き回りましたが、結局一冊も見つかりませんでした。実際に当時は一切発刊されていなかったのです。それでいつしか熱もさめ、17年の空白となりました。
1995年に久しぶりに台湾を訪れ、何もかも変わっていることに驚きました。実はこの旅行も楽しく有意義な旅行でした。書けばきりがないので、また追々ということにしますが、たくさんの語学書を買い込み、私もやっとまじめに中国語や台湾語を勉強し始めた年になりました。

台湾語の歌に魅せられて(3)

No.3603 投稿者:梧棲  Mail  投稿日:2016年11月03日(木) 10時32分48秒

ふきさん、
 錦州街の中山北路側に午後から営業しているカラオケが数軒ありますが私が店名を知っているのは「音樂坊」だけです。台泥大樓の少し東側にあるイカリコーヒーの向かい側にコンビニがありその隣りの地下にあります。
私が常連になっているカラオケは台泥大樓のすぐ裏側(東側)の小路の向かい側にある黄色い壁の店です。イカリコーヒーからこの小路を5mほど歩いた所です。
この店をやっていた女店主は今年の5月に店を譲ったので店名が変っているかも知れませんが5月までは「藤」でした。
錦州街の一つ北の名もない小巷にも昼間から営業しているカラオケがありました。
 林森北路の五條通のカラオケには暫く通ったことがあります。入口に「会員制」と書かれている、男性は日本人しか入れない、男女同伴が原則のカラオケです。私が40分に1回は歌えるカラオケを見つけるまでは客家語を教えてくれた女性と行っていました。
この種の店は日本人男性団体客が台湾小姐と一緒に来るので大体19時頃に開店ですね。私達は開店時刻に行き他に客がいない内に次々と合計12〜15曲ほど歌ったら21時頃に店を出ていました。
それぞれ台湾小姐を連れた日本人団体客が来始めるのは20時過ぎからで21時頃にピークになるので少し場違いな私と友人は退出していました。
この種の店は料金の支払いは原則日本円で男女ペア合わせて1万円です。アルコールが飲めない私には割高でした。帰り際に友人に5千円のバックがあったので台湾小姐達にも当然キャッシュバックがあるのでしょう。
私が利用していた会員制カラオケの女将は台湾の正月(春節)には日本人団体客が多く来るので台湾小姐達から正月も営業してくれと頼まれ、いつも台湾の正月が終わってから休むことにしていると言っていました。
 好樂迪は錢櫃に比べると行った回数は少ないですが民生東路と錦州街の店に行ったことがあります。
館前路は二二八公園を台北新公園と呼んでいた頃から毎回通りますが、ここのKTVには入ったことがありません。私は台北では毎日散歩するのでホテルから二二八公園まで約35分散歩した帰りに南陽街で昼食をとります。
私が好きな「魯肉飯+魯蛋+貢丸湯+魯筍絲」の組み合わせが食べられる店があり、しかも補習班街なので値段も安いです。

 私は1987年からの5年間は台湾語の歌のテープを聞きながら歌詞カードを見て台湾語を憶えるしかありませんでした。今のように映像で見られれば随分楽だったのにと思います。
台湾語の漢字表記は発音に合わせただけの「当て字」も少なくないので漢字そのものの意味から歌詞の意味を推察することができないことがしばしばありますね。
私はこのような時は私を初めて台湾のカラオケに連れて行ってくれた中年女性に手紙で質問し、その台湾語の意味を北京語で教えてもらっていました。
「渥甲淡糊糊」、「無代念」、「越頭」、「査某」、「頭路」、「創治」、「討客兄」、「縁投」、「歹勢」、「?人」、「細漢」などの意味を教えてもらったものです。
國民党政権が台湾にやって来てから戒厳令時代が終わるまでは公式に台湾語の研究、学習は禁じられていましたから戒厳令が解除されても暫くは台湾語の教材は中々見つからず、私が台北の書店で台湾語教材を見つけたのは19992年でした。
『生活台語』という会話テープ付きの教材をやっと見つけました。台湾語は教会ローマ字(教羅)表記で、対応する北京語の文が付いているので台湾語の発音と意味を理解することがやっとできるようになりました。
この教材では泉州腔、?州腔、北部方言、南部方言も学ぶことができ、私にとってはとても役立つ教材でした。
続いて同じ出版社から会話テープ付きの『親子台語』、さらに『實用漢字台語讀音(テープなし)』も出版され、一層、台湾語学習が進みました。どちらも台湾語の発音は教羅表記です。
『實用漢字台語讀音』はカラオケの歌詞の発音を学ぶには大いに役立ちました。台湾語の漢字は日本語の漢字と同じく熟語によって読み方が変りますから。
 欧米からの宣教師が台湾語を習得するために考案した教会ローマ字(教羅)は私には大陸ピンインよりも憶えやすい発音表記でした。大陸ピンインを先に学んで慣れていたからかも知れませんが。
 1995年には台湾語を研究していた日本語世代の台湾先輩から台英辞典(A Dictionary of Southern Min)という分厚い辞書と、蘭記台語字典という簡便な字典をプレゼントしていただきました。
前者は自分の耳に聞えた台湾語を教羅表記して辞書を引くと台湾語の意味が英語と北京語で解説されています。後者は漢和辞典と同じ方式で部首・画数で引いて探している漢字を見つけ、その文語讀音(教羅表記)と意味が載っています。
このように私の台湾語学習に必要な辞書、教材が一通り揃ったので20世紀末には自分で台湾語の歌詞の意味と発音を把握できるようになり、台湾の友人に手紙で教えてもらうことはなくなりました。

 私を台湾のカラオケに連れて行ってくれた中年女性は私にとって最初の台湾の友人になります
彼女は日本語の文章は書けないので私が辞書を引きながら北京語の手紙を書いたものでした。おかげで私は北京語の会話よりも書く能力の方が上達でき、今では大抵辞書なしでも手紙を書けるようになれたと思います。
彼女は2年後に台北のレストラン勤務を辞めて台中縣梧棲(現在は台中市梧棲區)に引っ越したので私も2〜3年に一度は梧棲に行くようになりました。台湾で初めて行った地方なので私はこの地名をハンドルネームに使用するようになりました。
その後、2000年には彼女の娘が東京に留学してきました。この娘は今は結婚して新北市蘆州で暮らしているので私が台湾に行く度に毎回彼女の夫や娘も一緒に台北で会っています。
その1年後には彼女の高校の1年後輩が沙鹿から私の故郷の福岡に留学、更に2年後にはやはり高校の2年後輩が清水から福岡に留学してきたので東京や福岡で台中海線地方の若者との交流が始まりました。
彼女達は海線地方から台中寶覺寺前の新民高中に行く専用の通学バスで仲良くなった先輩後輩です。
そして私が台中海線方面に行った時には彼女達の家族とも交流しています。
沙鹿の若者の家は大きくて広く、家庭でカラオケができるようになっているので、私が行った時は大抵13時〜19時までは家族だけでなく母親の友人達も集まって10数名でカラオケパーティになります。
ここでも一緒に台湾語の歌を歌うことで初めて会った人達ともすぐに打ち解けることができます。
一方、元からの台中市の友人は台湾で日本語の短歌を作っている日本語世代の人達と知り合ったのがきっかけです。嘗て朝日新聞に「折々の歌」という欄があり、ここで『台湾万葉集』に載っている短歌が紹介されていました。私には短歌を作る才能は全くありませんが他者の作品を読むのは嫌いではなく、特に台湾の日本語世代の人達の作品は技巧に走り過ぎず自分達の日常を詠んでいるのが私には新鮮でした。
台湾万葉集の上下巻を買って読後感を送ったら台湾の主宰者の目に止り來台した際には会いたいという手紙が来ました。私が台湾に行った時に主宰者から私が好きな短歌の作者を紹介していただき、台中では私に台湾語の辞典をプレゼントしてくださった男性と、日本語の発音がきれいな女性と会うことができました。男性の方は既に他界していますが85歳の女性は健在で台中のカラオケに連れて行ってもらっています。
そして彼女から台中の50代〜60代の女性3名を紹介していただきました。
この内60歳の女性だけは日本語で会話はできませんが日本語の歌を歌うのは大好きで私が台中に行った時にはカラオケに一緒に行っています。大体月に1回手紙のやりとりをしています。
そしてこの女性が五虎唱片公司の役員をしていた周彬梧さんに直接会って、日本人の私が台湾歌謡史、台湾語作詞者や歌手の経歴、エピソードに関心を持っているので北京語で文通してあげてくださいと頼んでくれました。
私が彼女に出した手紙を持って行って北京語の手紙のやり取りができる証に使ったそうです。
彼女のおかげで今では周さんと3〜4週間に1回手紙で台湾歌謡について語り合っています。
周さんの奥さんは今年5月に台中のカラオケで出遭いました。日本語の歌がとても上手な方でした。彼女が私達に夫が五虎唱片公司の役員だったと語ってくれたのがそもそものきっかけでした。


Re:カラオケ

No.3602 投稿者:ふき  投稿日:2016年10月30日(日) 21時31分18秒

梧棲さん、こんばんは。
以前私がたまたま飛行機の中で隣り合わせた台湾人と意気投合して、カラオケをするために行ったのが台北駅近くの館前路のKTV「ホリデイ」でした。とにかくすごい広い部屋でびっくりしました。そんなわけでこのKTVは今でもよく利用しています。現在バイキング料理付きで600元程度〜なので、そんなに高くはありません。KTVは他にキャッシュボックスにも行きますが、とにかくマイクが自由になるのが最大の長所ですね。ただ、梧棲さんがおっしゃるように、KTVはたしかに老歌は少ないですね。客層が若く、新曲をどんどん入れていますので、これも仕方ありません。

一般のカラオケ店ですが、こちらはやや年齢層が高く、そのニーズに合わせ、老歌は豊富です。歌を歌いに来るのではなく、単に飲食や社交のためだけに来ている客もあります。中山北路の西側の「花の唄」と「新天地」は私も入ったことがあります。特に「花の唄」の並びに日本式のカレーライス店があり、日本人スタッフもいて、おいしかった記憶があります。「亞都珈琲」は最初の訪台時に入りましたが、その時は中山北路1段にありました。その後中山北路2段に移ったのですが、ここは残念ながら3年前に閉店したようです。私はその中山北路の右側の「雅都」という店に入ったことがありますが、洋楽好きの溜まり場でした。その隣の「葵」は日本演歌中心の店です。
林森北路五条、六条通りあたりもカラオケ店は多いですね。「美楽迪(メロディ)」は年齢層が高く、ほとんど日本歌ファンです。その近くの「勾影」はもう少し年齢層が低いので、台語歌が歌われます。ただしここも客が多いので、私は逆発想で、閉店の一、二時間くらい前に来て、陣取ります。すると一人帰り、二人帰りしているうちに、回る順番が段々はやくなり、最後はワンマンショーになり、案外「効率」は高いです(笑)。もっともできればそんな苦労はしたくないので、客の少ない店に入りたいというのは人情というもの。次回は錦州街あたりを「巡回」してみます(笑)。

台湾は東南アジアの人が多いのもうなづけます。まず地理的に近いので、気候も似ている。華僑の場合は言葉も苦労しない。それと日本よりは物価も安い。いろいろな条件が有利です。もともと小さな島に多言語が行なわれていますが、しかし世界ではそのほうが普通で、日本のように日本語オンリーという国は意外に少ないです。台湾の客家の人もそうですが、原住民の方々も家族と言う範疇を出ると、気軽に母語を話せる環境が厳しくなります。すると結局台湾語か北京語ということにります。その台湾語だって、若い人たち同士ではほとんど北京語になりつつあります。これからどうなって行くんでしょうか。






☆ 過去ログ表示(検索なし) ☆







☆ 過去ログ表示(検索付き) ☆
ログ全文(各頁)の投稿者欄、タイトル欄、コメント欄の中を検索します。
キーワードは10文字以内でお願いします。

キーワード