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情人節快楽!

No.4352 投稿者:teco  投稿日:2019年02月14日(木) 13時38分51秒

ふきさん、みなさん、こんにちは。

今日はセントバレンタインデーなので、いつものとおり家族が義理チョコをくれると思いますが、
みんな私がチョコレートが好物ではないことを知っていますので、自分の食べたいものを買ってきます。
孫娘はあま〜いホワイトチョコレート、娘はチョコポッキー、カミサンはアーモンドグリコが定番になっています。
情人節快楽!と台湾の友人がメッセージをくれました。
本来はキリスト教系のイベントのはずですが、最近は佛教寺院も他の道教寺院も情人節のイベントをやっているようです。
台北の龍山寺も前の公演に電気照明を仕込んだ大きな像が設置され、華西街にはまばゆいイルミネーションが設置されているそうです。
チョコレートをプレゼントするのは日本と同じようですが、高級茶とかパイナップルケーキもバレンタイン用に数多くつくられているそうです。
陶器の街鶯歌にもイベント会場ができたそうで、情人節用の陶磁器がたくさん売られているそうです。

みなさんはいざしらず、私はバレンタインデーなどはほとんど縁がない人間ですので、こうしたセールにはあまり関心はありませんが、
台湾でも若い人たちがお金をあまり使わなくなったと言います。
友人は、家族を連れて夜の街に繰り出し食事をするのだと言ってました。
さて、私らはどうしたらよいものか・・。
みなさん、楽しい情人節をお過ごしください。

台湾は歌の宝庫

No.4351 投稿者:ふき  投稿日:2019年02月08日(金) 23時15分54秒

tecoさん、こんばんは。
「阮的台語歌」は12年前に閉鎖されましたが、あのサイトの功績は全国散り散りの台湾カラオケ・ファンの交流を促進したことです。そしてなによりサイトのネーミングが抜群でした。実は当時も台湾ポップスや中華ポップスのファンサイトはいくつかありました。しかしいずれも中国語(北京語)の歌や歌手に関するサイトばかりで、「台湾語」を前面に出したサイトはなかったと思います。台湾語は台湾の生活言語として、台湾では特別なものではありませんが、日本人にはほとんど未知なもので、また場合によっては新鮮さを感じる人もいたかと思います。そんなわけで、興味しんしんの初心者から台湾の歌に精通したオジサンまで、かなり広範囲な方が掲示板を中心に「教えて下さい」→「教えてあげる」で盛り上がり、それでまた新しい参入者が増えると言った感じで盛況が続きました。
ただ、ネット交流の主流が掲示板からブログやSNSへと変わって行くに従い、投稿数が激減して行きましたね。そしてある日突然の閉鎖となりました。まあ、仕方のないことかも知れません。ちなみに、この掲示板は会員制でもなく、投稿数が増えようと減ろうと、私は全然気にしていませんので、気長に続けて行く予定です。どうかよろしくお願いいたします。

桂大哥さん、こんばんは。
桂さんは2007年2月が最後の台湾でしたか。それでは桃園機場から台北車站までの捷運(地下鉄)には乗ったことがないと思います。便利になりましたよ。台湾も少しずつですが、変わっています。ただ、実際に台湾に行かなくても、今はオンラインで、情報が簡単に得られるので、それほど浦島太郎になることもありません。
黄思[女亭]のニュース翻訳のページは、実をいうと、私が中国語の勉強を兼ねて、作ったものです。当時は何度も手を入れたのですが、いつしかそれも忘却の彼方へと(笑)。2007年までしかやっていないので、10年以上放置になります。心を入れ替えないとだめですね。
ちなみに、私は好きな歌に関しては、やはり歌詞の意味が気になるタイプです。未知の外国語の歌でも、内容を理解しようして、図書館で調べるだけでなく、書店で文法書や辞書をつい買ってしまうので、部屋の本棚には語学書の多いこと。中国語や台湾語の辞書もけっこうあります。ちなみに私の好みの音楽はメロディーがきれいで、わかりやすいことが第一です。ですから台湾歌謡や台湾ポップスはまさにぴったりなんです。
美人歌手の方季惟、抜群の歌唱力の張恵妹、マルチタレントの伊能静は私も好きですが、みなさん50歳前後になってしまいました。歳を取るのは自分だけじゃなく、みんな一斉だなとつくづく思いますが、私の頭の中では3人ともジャケットに描かれたそれぞれの若いころのままです。南台湾小姑娘のCDは全部持っています。彼女たちは尤尤を除く4人がキャンペーンで2000年に日本にもやって来ました。東京六本木で開催されたファンとの交流会に私も出かけ、ステージを見て、4人のサインももらってあります。彼女たちは現在35歳を過ぎたくらいですが、まだまだ歌える年齢です。ソロでも何でもいいですから、みなさん歌手を続けてほしいですね。

こちらこそよろしくお願いいたします

No.4350 投稿者:桂大哥  URL  投稿日:2019年02月07日(木) 18時38分18秒

皆様こんにちは。
 私のような者をお仲間に入れていただき非常に光栄です。
 それにしてもふきさんとは初めましてではなく再会だったんですね。あのオフ会はついこの前のことのように思っていましたが、あれからもう18年も経っていたんですね。台湾へは2007年2月を最後に、行く機会に恵まれていませんが、台北の街もかなり変わったでしょうね。正直次はいつ台湾に行けるかわかりませんが、夢だけは持ち続けたいと思います。
 それから話は変わりますが、貴HPの黄思婷ニュースの翻訳、私も翻訳の勉強をしていましたので大変興味深く拝見いたしました。最近サボり気味だった翻訳を、貴HPに刺激されてまた始めたくなりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

歓迎訪到

No.4349 投稿者:teco  URL  投稿日:2019年02月06日(水) 12時17分35秒

みなさんこんにちは。

阮的台語歌は懐かしいですね。
私もふきさんの日台歌謡曲から阮的台語歌のメンバーになり今に至っていますが、おかげでたくさん(とは言えないまでも)の方と知り合いました。
桂さんとはお目にかかったことはありませんが、お仲間が増えることは大歓迎です。桂さん、今後ともよろしくお願いします。

おっと、忘れるところでした。
春節快楽、吉祥発財!
みなさん、楽しい春節をお過ごしくださいますよう。


春節快樂

No.4348 投稿者:ふき  投稿日:2019年02月05日(火) 23時45分32秒

みなさん、こんばんは。
昨日は天気もよく、5月並みの暖かさでしたが、今日は少し寒くなりました。日本ではまだ春の到来というには少し早いようです。
ところで、中華圏の旧正月は2月ころに多いのですが、ベトナムの旧正月(テト)も同じです。ということは、ベトナムも昔は中華圏だったんですね。ところが以前タイの人に聞いたら、タイの旧正月(ソンクラーン)は4月ころですと言われて、驚いたことがあります。東南アジアはどこも同じでだと思っていたのに、そうではありませんでした。
ちなみに欧米には旧暦がないので、当然旧正月はありません。日本と同じく新暦の1月1日を元旦として、一応「Happy New Year」として祝いますが、特に何をするでもありません。12月25日にクリスマスを祝ったばかりなので、そんなにまた騒がないということでしょうか。ちなみにイスラム諸国も太陰暦を使用しているので、元旦は毎年違います。今年は9月1日ということで、祝日になりますが、欧米と同じ考え方で、特に何もしないようです。

新しいお仲間ができて嬉しいです

No.4347 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年02月04日(月) 22時35分06秒

桂大哥さん、ふきさん、tecoさん、こんばんは。

新しいお仲間ができて大変うれしく思います。日ごろ ふきさん、tecoさんにどうにか引き立てて頂き台湾のお仲間にして頂いています。もうすぐ80歳になりますが昔の台湾を懐かしむ年齢になっています。
音楽の好みを伺えばAKB48や岡田有希子、中森明菜、松田聖子、Kinki Kidsなど自分とはほど遠い
歌手名ばかりで就いてゆけるかな〜〜と思います。
私は江宦A鳳飛飛、王幸玲、紀露霞、高勝美、など台湾の若者でさえ知らないと云われてしまう時代の音楽を好んでいる年代の人間です。お陰様でふきさん、tecoさんにはひっぱって下さりついて行けています。半世紀前の人情の台湾の事は自慢できるほど経験しています。鳳飛飛、王幸玲、紀露霞、高勝美なんて言ってもあまりピンと来ないかもしれませんが台湾歌謡の原点です。宜しくお願いいたします。
現在は療養のため日本にいますが、新北市板橋在住です。

お久しぶりです

No.4346 投稿者:ふき  投稿日:2019年02月04日(月) 01時59分52秒

桂大哥さん、こんにちは。
実は、桂大哥さんとは一度お会いしたことがあります。
今から18年前の2001年5月26日(土)に、「阮的台語歌」というカラオケ同好会が大阪の「蘭」というスナックでオフを開催したので、私も出席しました。とにかく狭い店内に大勢の参加者が集まり、カラオケの音量も大きく、あまり細かい話はできない状態でしたが、そんな中、桂さんに声を掛けられ、お話をさせていただいた者の一人です。暗い店内なので、おそらくお互いに顔も思い出せないくらいと思われますが、桂さんからワープロ編集の「旅のこぼれ話・台湾編」という小冊子をいただきました。
「まだあるかな?」と思いつつ、探したところ、ありました。表紙は方季惟の描いたイラスト、裏表紙に列車の絵と張雨生の「跟著我」の歌詞があります。本文は台湾好きの人なら、みんな共感する内容です。私も小人国や十分瀑布などには行きましたし、KTVにもよく行きました。なんか嬉しくなりますね。
桂さんはその後も引き続き、台湾に行かれているんでしょうか。私もこのところ一定の間隔(?)で訪台しています。桂さんが本でお書きになっているように、私も空港からのバスで台北市内に入ると、なんか「帰って来た」という感覚になります。またいろいろお話をさせてください。
さて、伊能静と林志頴のカバー曲情報をありがとうございます。早速編集後、日台共通歌曲に追加したいと思います。最近はサボりがちで、ほとんど更新していませんが、それは日台歌謡曲、台湾歌謡三昧のメインページも同様で、自分の体たらくを恥じるのみです。

桂さんのブログを拝見したら、すごい。AKB48の『365日の紙飛行機』の中国語ヴァージョンを作詞されています。この歌はもちろん知っていますが、カラオケで歌ったことはありません。なにしろ70歳のおっさんが歌うには、ギャップがありすぎます。中国語ヴァージョンなら、とぼけて歌っても、案外気づかれないかも知れません(笑)。
それにしても、桂さんの中国語能力は素晴らしいです。これは日々の努力の結晶でしょうね。

初めまして

No.4345 投稿者:桂大哥  URL  投稿日:2019年02月03日(日) 18時36分37秒

初めまして。桂大哥と申します。
 台湾POPSに関するHPを探していた時に貴サイトを見つけ、お邪魔させていただきました。日台共通歌曲など、大変興味深く拝見させていただきました。実は私の持っている台湾のアルバムにも日本曲のカバーがありますので紹介させていただきます。
 伊能静「初戀」(岡田有希子「恋はじめまして」)
 伊能静「選錯電影,選錯你」(中森明菜「少女A」)
 伊能静「愛麗絲的日記」(松田聖子「Rockn' Rouge」)
 林志頴「跟我到海邊轉轉」(Kinki Kids「Flower」)
 それから宣伝になるようで恐縮なんですが、私も「桂大哥の談談台湾」というブログを開設しています。最近はあまり更新していませんが、もしよかったらのぞいてみて下さい。
 それでは、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

戦前の日本人

No.4344 投稿者:ふき  投稿日:2019年02月02日(土) 22時22分10秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。

ジャーナリストの金美齢氏が戦前の通学時代によく日本の兵隊さんに車に乗せて貰ったことをテレビで語っておられました。旧日本軍の規律は厳しかったのですが、人情も決して忘れない粋な兵隊さんが多かったようです。杉浦茂峰兵曹長のことは知りませんでしたが、自己を犠牲にしても、住民の被害を最低限にしたいという覚悟はすばらしいです。こういう崇高な気持ちは純朴な台湾のみなさんだからこそ理解されます。今なお杉浦茂峰兵曹長を神として祀っているということを聞くと、私も日本人として、誇りに思います。
また、tecoさんからご紹介のあった森川清次郎巡査も立派な警官であったと同時に人情も多分にあったのではないでしょうか。戦前の日本人は今の日本人よりもっと純粋で、滅私奉公の精神に満ちた人が多く、台湾でも大活躍しました。
さらに台湾の人々の言葉を理解するために、総督府は台湾語大辞典の編纂に多大な費用と年月をかけました。心の通いあう交流もこういう地道な努力により、少しずつ確かなものになって行ったんですね。

日本王爺(義愛公)

No.4343 投稿者:teco  投稿日:2019年02月01日(金) 19時53分18秒

ふきさん、葛さん、こんばんは。

飛虎将軍廟には台南在住時に参拝したことがあります。
私もタバコ(ピース)を線香代わりに備えてきました。
飛虎将軍の神像は昔は一体でしたが、いまは三体あるそうで、信者に貸し出すのだそうですね。
杉浦兵曹長は地元の人に尽くしたという話は聞いていませんが、
台南のお隣りの嘉儀には日本王爺として親しまれている義愛公こと森川清次郎巡査が祀られています。
富安宮といい、地元住民に尽くした立派な警官であると語り継がれています。
台湾と日本の関係は、他国の植民地と本国との関係とは違った、心の通い合った兄弟の関係だったようですね。

『神様』になった日本兵「飛虎将軍」杉浦茂峰

No.4342 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年02月01日(金) 13時18分21秒

ふきさん、tecoさん、こんにちは。

台南在住の親族が何時も私に太平洋戦争の雄としての
杉浦茂峰兵曹長の話をしてくれます。私はこの杉浦茂峰兵曹長と云う人物は知りませんでした。しかし今は神として纏われているという事を聞いて調べてみました。
1944年、台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)は零式艦上戦闘機三二型に搭乗して台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空で米軍機を迎え撃つも撃墜され、落下傘降下中に機銃掃射を受けて戦死した。軍靴には「杉浦」と書かれていて、その後第二〇一海軍航空隊分隊長の森山敏夫大尉の協力で、この飛行士が「杉浦茂峰」と判明した。第二次世界大戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。

白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したところ、同じ夢を見たという者が数人名乗りでた。その後、その海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。自分の生命を犠牲にして村人を救った杉浦を祀るため1971年、落下地点に廟を建設した
現在は毎日管理人が朝夕2回、煙草に点火して神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海行かば」を祝詞として歌っている。。


現在は毎日管理人が朝夕2回、煙草に点火して神像と写真に捧げて、日本の国歌「君が代」、午後は「海行かば」を祝詞として歌っている。
2016年9月21日には神像が高雄国際空港から成田国際空港を経て杉浦の故郷である茨城県水戸市に運ばれて里帰りを果たし、翌22日には茨城県護国神社で慰霊祭が営まれた。これは、2016年春に廟を訪ねた日本人作家の夢枕に杉浦が立って「水戸に帰りたい」と告げたという話があり、それを受けて廟の管理委員会が神像に伺いを立てたところ「その通りである」との託宣を得たことによる。その後、神像は台湾に戻されるが、同神社には茨城県に関係した軍人・軍属が合祀されていることから、飛虎将軍廟から護国神社に分祀しようという計画もあるという。
台南駅北站バスターミナルより、大台南公車の海東国小行き(3番)に乗り、同安路口バス停にて下車。 住所は台湾台南市安南区同安路127号にある民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られている。
台湾には今もなお日本とのかかわりのある話が残っているのですね。機会があれば是非お参りさせて頂きます。

懐かしい!!

No.4341 投稿者:ふき  投稿日:2019年01月25日(金) 22時11分39秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。

お二人とは年齢が近いので、お話がすんなりと入ります。私が最初に買ったプリンタはエプソン製ですが、社名の下に小さな文字で「信州精機」とも書いてあったのを記憶しています。今のようなインクジェットではなく、プリンタリボンをドットマトリクスで打つもので、きめが粗く、点と点がはっきりと見え、漢字はなく、カタカナのみでした。なるほど信州精機は諏訪精工舎の子会社だったんですね。それは知りませんでした。たしかにエプソンはOA革命にうまく乗り、一時期はNECのベストセラーパソコンであるPC-9801の互換機を出して、大いに成功しましたが、近年はプリンタ会社に戻っているようです。ちなみに私の現在のプリンタもエプソンです。
日本の伝統的な暖房は囲炉裏、コタツ、湯たんぽなどありますが、部屋全体を暖めるという発想はありませんでした。箱火鉢というと、時代劇に出て来るヤクザの親分がキセルを吸っている姿を想像しますが、一般家庭では最近まで丸火鉢を使っていました。ただ、近代的な家屋では気密性が高いので、部屋の中で火を使うと、酸欠気味になるので、やはり旧家でないと無理ですね。豆炭は一酸化炭素を多く出すので、家の外の七輪で使う分にはいいですが、家中のコタツやあんかはちょっと心配もあります。たどんや練炭、さらに学校ストーブの石炭、コークスなども思い出の燃料です。
日本の伝統的な料理は野沢菜も含めて、塩分が多いです。味噌汁などは典型的なもので、スーパーでは高血圧対策に塩分控えめの味噌汁も売っています。香辛料をほとんど用いないのも日本料理の大きな特徴で、激辛の伝統料理はありません。私もそんな日本料理を愛し続けてきた一人なので、やや高血圧気味です。最近は健康のために、あまり塩気のないものを食べるようにしていますが、やはりまずいですね(笑)。

諏訪地方

No.4340 投稿者:teco  投稿日:2019年01月24日(木) 21時45分13秒

葛さんこんばんは。

諏訪は精密機器のメッカでしたねえ。
いまのエプソンは諏訪精工舎の子会社で信州精機と言ってました。
私の所属していたのは第二精工舎で、諏訪精工の親会社でしたので、よく出張しました。
いかし、まさか子会社の信州精機が親会社のすわ精工を傘下に収めるとは思ってもいませんでした。
三協精機もオルゴールで有名な会社でしたが、日本電産の傘下に入り、精密機器の業界地図もすっかり変わってしまいましたねえ。
ちょっと離れた岡谷にも真空管や電球の会社がありましたが、電子機器の進歩に追いつけなかった部品会社は他社の傘下に入らざるを得なかったですね。

私が子どものころに住んだ秋田県の横手は雪深いところで、どこの家にも囲炉裏があり、冬は一日中火の気がありました。
寝る部屋には火鉢や置炬燵があり、炭やたどんを燃やして暖を取りました。
時代劇に出てくるような箱火鉢のある家は裕福な家で、家の主人が箱火鉢の前に座り、煙草盆が傍らに置いてありました。
我家は父が無線通信所の所長をしていたので、事務所と居宅が廊下でつながっていました。
事務所には石炭ストーブがあって暖かかったのですが、居宅には囲炉裏と炬燵と火鉢くらいしかありませんでした。

秋口に山で拾った栗の実を干してかち栗にし、それを俵に詰めて土間の台の上にに置いておきます。
竹筒の節を抜き、筒の先をとがらせて竹槍みたいにしたものを俵に挿し込むと俵の中の干し栗がころころと筒の中を通って出てきます。
それをポケットの中に突っ込んで遊びに出ます。
どこの子も同じようにポケット中に栗を入れ、ときどき取り出しては口の中に放り込んでいました。
堅くて簡単に噛めず、飴玉のようにしゃぶっていると段々軟らかくなってきて嚙めるようになります。
小正月には水神様を祀るかまくら遊びもしました。
思い出すときりがありませんが、野沢菜に似た高菜はよく食べましたよ(^^♪

東洋のスイス

No.4339 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年01月24日(木) 04時01分59秒

ふきさん、tecoさん、みなさん、おはようございます。

私が住んでいる所は曾て東洋のスイスと云われ多くの日本でも有数な会社があります。精工舎(現EPSON)高千穂光学(オリンパス)八洲光学(京セラ)オリエント時計、タカノ、リコー、平和時計、養命酒、三協精機(電産三協)などの会社があります。会社名は変わってはいますが、東洋のスイスと云われた名残も残っています。しかしハイテク産業はめまぐるしい発展を遂げているので昔のイメージは薄れています。

tecoさんは時計産業には係わりがあると思うのでその道には詳しいのではないかと感じています。

先日の冬の夜の曲には深い思い出があります。冬の寒さが厳しい私の所ですので、炬燵文化があります。幼いころは現在のように電気炬燵ではなく炭をおこし、米のもみ殻で灰を作り一日中火を絶やさないようにしました。電気毛布などありませんので、豆炭アンカで厳しい冬の暖をとったものでした。

ふきさん、tecoさんとは比較的年齢が近いのでこのような経験があるのではないかと想像しています。
炬燵に入り野沢菜漬けを食べるのも冬の風物詩です。塩分の取りすぎで血圧が高いのも自慢できない
特徴です。





童謡

No.4338 投稿者:ふき  投稿日:2019年01月21日(月) 22時49分33秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。

葛さんのは「5感と体で覚えた」演奏法ということでしょうか。それもすばらしいことです。もともと音感のある人は譜面などなくても、音を聴いて、再現することが可能です。盲目の辻井伸行さんのピアノ演奏はいつ聴いても感動します。音楽を耳から聞いただけで、あれだけ絶妙に弾けるというのは天才ですね。
芹沢洋子さんというと、「四季の歌」が有名で、私も大好きな歌手ですが、童謡もいいですね。きれいな声で澄み渡っていて、すばらしいです。「冬の夜」をtecoさんや葛さんのお母様が知っていたということは、一世代前の人たちはみんな知っていたはずです。正直いうと、私は知りませんでしたが、亡くなった私の母もおそらく知っていたと思います。童謡は世代を越えた日本人の共通の財産で、大切に次の世代にも伝えなくてはなりません、

愛唱歌

No.4337 投稿者:teco  投稿日:2019年01月21日(月) 00時13分14秒

葛さんこんばんは。

大正6年生まれの母が小学校で教わったそうで、私も小学生のころに歌いました。
調べてみると明治45年に尋常小学校唱歌に指定されたとあります。
いつの世にも名曲は残るものですね。

亡き母の愛唱歌でした

No.4336 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年01月20日(日) 23時04分08秒

tecoさん、こんばんは。

この曲を聴くたびに亡き母を思いだします。綺麗な詩と芹沢洋子さんの美しい声を聴くと日本人だと自覚します。童謡は日本人にとって忘れられないメロディーですね。

台湾恋しや

No.4335 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年01月20日(日) 22時50分28秒

ふきさん、こんばんは。

私の電子琴演奏は我流です。tecoさんのように譜面を見ながらの演奏は出来ません。全てアドリブです。
台湾の曲は自身は簡単に弾けます。2〜3回聴けば演奏できます。それだけ馴染むことが出来ます。その曲に合うリズムを選んで弾くことで上手く聴こえるのです。スローテンポよりもアップテンポの曲の方がごまかしが効きます。右手でメロディー、左手で和音、そしてリズムボックスでリズムを選び、左足でベース鍵盤を、そして右足で音量とリズムの調整で演奏します。台湾のメロディーはすごく馴染みやすいので現在も練習すれば勘は戻ります。

冬景色

No.4334 投稿者:ふき  投稿日:2019年01月20日(日) 22時16分22秒

葛さん、tecoさん、こんばんは。
春節はおとなしく自宅で過ごす予定です(笑)。
葛さんはエレクトーンも弾けるんですね。自動伴奏とはいえ、すばらしいです。
私はよくわからないのですが、台湾の曲でもOKということは、あらかじめ機械に演奏曲が吹きこまれているんでしょうか。
それとも、やはり葛さんが譜面を見ながら、キータッチで弾くということでしょうか。
とにかく素人なもので、初歩的な質問になってしまいました。

40年以上前の台湾は忙しかったと思います。工場は土日返上で、「Made in Taiwan」の製品を世界中に供給していました。
日本とのビジネス往来も頻繁で、台湾の経済が大発展した時期です。当時の春節はそんな中で、豊かになった現在よりも、案外もっと素朴な楽しさがあったのではないでしょうか。tecoさんも貴重な経験をされていますね。
それと「冬の夜」という歌は何かジンと来る内容です。歌詞を読むとおそらく戦後間もないころの歌ではないでしょうか。冬をテーマにした歌は名曲が多いです。私は童謡が好きなので、「冬景色」、「ペチカ」、「雪の降る町を」、「冬の星座」などを聴くと、幼少のころの楽しい思い出が蘇ります。

冬の夜

No.4333 投稿者:teco  URL  投稿日:2019年01月20日(日) 10時51分08秒

ふきさん、葛さんこんにちは。

春節の時期を40年以上も前に台南で経験しています。
当時は春節の休みが二週間ほどありました。いまのように土曜日が休みの会社など全くなく、工場勤務者は日曜日も交代で出勤して仕事をしていましたから、春節は一大イベントで準備も大変でした。
私はどこに行くあてもないので時計会社の社長の家で二週間ほど過ごしましたが、食料品の買い物、家の掃除、神様のすす払い、縁起物づくりなど、いろいろ手伝わされましたが、楽しい思い出になっています。

日本の古い童謡に「冬の夜」という歌があります。
雪深い農家の囲炉裏端で、お母さんがお正月に子どもたちが着る着物を縫っています。
その傍らで縄をないながらお父さんが昔の戦争当時の思い出や、正月の遊びの楽しさなどを語っています。
今ではこうした光景はどこにもないでしょうが、毎年正月が来るたびにこの歌を思い出して口づさんでいます。

冬の夜

燈火(ともしび)近く衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの、楽しさ語る。
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞえて喜び勇む。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪。

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪

私の大好きな歌です(^^♪






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