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スーパーコピーブランドN品

No.4399 投稿者:スーパーコピーブランドN品  Mail  URL  投稿日:2019年03月24日(日) 02時40分03秒

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台湾の外交

No.4398 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月22日(金) 22時05分44秒

葛さん、こんばんは。
蘇啓誠氏は真面目で、実直な性格の方だったんでしょうね。こういう人を失くしたというのは台湾にとっても日本にとっても惜しいことです。ただ、フェイクニュースの発信源がまだよくわからないので、これ以上のことを申し上げるのは控えておきます。
一方、台湾の友好国の切り崩しを図っている中国の政策ですが、こちらはあまりにも露骨で、憤慨しています。台湾と国交のある国は現在小国ばかりですが、国連の投票権はちゃんと1票持っています。経済的には規模が小さいので、どうしても鼻の下にニンジンをぶら下げられると、ふらついてしまいます。中国の「経済援助」とは善意の手を差し伸べているのではなく、貧困国に負債を作らせ、後で返せなくなれば、それなりの対価を中国に払わせるという下心があるのですが、そんなことを見抜けない小国の指導者が多いのも事実です。特に距離的に遠いアフリカや中南米の国々がそうですね。
しかし太平洋の島しょ国は距離が近いこともあり、最近は中国に対する警戒感も出ています。蔡英文総統がこれらの国を歴訪し、中国の野心を説明し、理解を深めておくのはきわめて大事なことです。さらに以前は米国のハワイへ寄るとなると、いろいろ中国の抗議が予想されましたが、現在はアメリカでの法整備のおかげで、ずっとやりやすくなりました。これからは台湾、日本、アメリカの三か国で新しい安保体制の構築を急がねばなりません。

蔡英文総統が南太平洋歴訪

No.4397 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年03月22日(金) 00時10分01秒

ふきさん、tecoさん、こんばんは。

もう一つ台湾のニュース報道から書き込みました。
台湾の蔡英文総統は21日午後、外交関係のある南太平洋の島しょ国パラオ、ナウル、マーシャル諸島歴訪のため台北を出発した。台湾独立志向の民主進歩党(民進党)政権への不信を強める中国は、台湾の友好国に断交を迫るなど孤立化を推進。台湾は外交関係の維持、強化を図る。28日までの日程で、帰途に米ハワイへ立ち寄る。外遊は「海洋民主の旅」と命名。民主主義を共有する国と連携を強化し一党独裁の中国をけん制する思惑がにじむ。2016年5月の蔡政権発足後、台湾(中華民国)と外交関係を持つ国数は22から17まで減少。蔡総統は17年にマーシャル諸島などを歴訪した。習近平の野望の為に何処まで嫌がらせを続けるのでしょうか。しかし決して台湾は屈しないでしょう。加油台湾!

台湾の外交官蘇啓誠さん

No.4396 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年03月21日(木) 23時57分58秒

ふきさん、tecoさん、こんばんは。

tecoさん間違えたことは気にしないで下さい。
台風21号の影響で、中国の駐大阪総領事館が大型バスを手配して中国人を避難させたとする情報がインターネットで流れたが、これがフェイクニュースだったのですが蘇啓誠さんを死に追いやる原因となったと云う。台北駐大阪経済文化弁事処の蘇啓誠処長(61)の自殺が伝えられたことを受け、蔡英文総統や外相)呉サ燮・外交部長が、外交部(外務省)員らに向けたコメントをそれぞれ発表した。蔡総統は自身のフェイスブックなどに文章を投稿。台湾の外交官は皆、常に細心の注意を払いながら台湾の主権と国際的な地位を守っているとした上で、「皆さんの苦労と努力は、国際社会とのつながりを願う2300万人の台湾人の思いを代表するもの」と感謝し、辛労をねぎらった。 蘇氏が自殺に追い込まれた背景として、台風21号の影響で関西空港が封鎖された際、中国の駐大阪総領事館が大型バスを手配して中国人を避難させたとする情報がインターネットで流れ、大阪弁事処の支援が不十分だという批判が強まったことなどが指摘されている。 日本在住の医師、王輝生(大田一博)氏は当時、不眠不休で対応に追われていた同処職員のために正しい情報の収集・公開を試み、台湾メディアに寄稿し、蘇氏にもその文章を送ったが、蘇氏は「ごもっともだ。でも、誰も聞き入れてくれない」とこぼしていたという。 7月に大阪に赴任したばかりだった蘇氏。2013年12月から今年6月まで、台北駐日経済文化代表処那覇分処の処長を務めていた。沖縄駐在の日本メディア関係者は、地元の人々に慕われていたと振り返り、死を悼んだ。また、今月12日に蘇氏を訪問し、日台間の青少年・産業・地方交流について意見を交した広島県三原市の大西英之副市長、同県大阪事務所の望月徹所長らも驚きを隠せないでいると伝えられている。中国に殺されたと私は思っています。

よかった

No.4395 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月21日(木) 21時13分28秒

tecoさん、葛さんさん、こんばんは。

tecoさんが誤解されていて、どうしようかなと思っていましたが、気づいていただいたようで、安心しました。
高石かつ枝の歌でしたか。さすがは葛さん、よくわかりましたね。恐れ入りました。
私とtecoさんは世代が同じなので、この「すずらんはあの時の花」の歌もリアルタイムで聞いていたはずなのですが、私は全然覚えていません。ただ、高石かつ枝が美人で清楚な歌手だったということだけは覚えています。
短命な歌手でしたが、綺麗な曲をtecoさんの記憶に残した功績は大きいですね。

ごめんなさい

No.4394 投稿者:teco  投稿日:2019年03月21日(木) 20時40分00秒

葛さん、ごめんなさい。
葛さんと書くつもりがふきさんになってしまいました。まことに申し訳ございません。お許しください。

続・ありがとうございます。

No.4393 投稿者:teco  投稿日:2019年03月21日(木) 20時33分42秒

ふきさん、皆さん、こんばんは。

今日は高齢者施設のお彼岸イベントでした。
近所のお寺さんからお坊さんが来て、般若心経を物語風に語ってくれました。
第二部は昨日の続きで懐かしの歌謡曲。
ふきさんが探してくれた「すずらん・・」の歌詞を昨日のご婦人にお渡しすると、よく探してくれました。ありがとうございます。と言って涙ぐんでいました。
ふきさんが曲探しをしてくれた顛末をお話ししたところ、どうぞその方によろしくお伝えくださいと頼まれました。
誰にでも思い入れのある曲はあるもので、喜んでもらえて嬉しかったです。
みんなで「すずらん・・」を歌い、リクエストに合わせて、ここに幸あれ、潮来花嫁さん、折り鶴、北の宿から、雨の慕情、二十歳の詩集、山茶花の宿などを演奏しました。

高齢者介護施設に限らず、閉鎖的な空間でしか生活できない方々はイベントを何よりも楽しみにしています。



ありがとうございます(^^♪

No.4392 投稿者:teco  投稿日:2019年03月21日(木) 12時42分13秒

まさにこの曲です!
ふきさん、さっそくお調べいただきありがとうございます。
曲名で探したら赤本(下)にありました。
youtubeにも投稿されていましたので聴いてみたら私のうろ覚えのメロディーもほぼ合っていました。

私が恋心を抱いていた女性(年上でしたが)この歌をしょっちゅう口ずさんでいて、題名は知りませんでしたがメロディーだけは覚えました。
誰が歌っていたのか知りませんでしたが、高石かつ枝さんだったのですね。ほんとうに美しい人でしたね。
今しがたお墓参りに行ってきたところですが、午後3時から昨日の施設でお彼岸イベントがあり、また呼ばれていますので、この歌を演奏してきます。
昨日リクエストされた方もきっと喜ぶと思います。
重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。


高石かつ枝「すずらんはあの時の花」

No.4391 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年03月21日(木) 10時09分57秒

tecoさん、お早うございます。

ご依頼の曲名ですが、間違いでしたらお許しください。曲名は「すずらんはあの時の花」ではないでしょうか?私の青春時代の懐かしい曲です。
昭和39年12月発売
  作詞:松坂直美 作曲:越純平

一 流れ行く雲をみてたら
   涙がにじみ頬ぬらす
   幸せの愛を誓い
   青空に夢みたふたり
   ああ すずらんは すずらんは
   あのときの花よ
二 逢いたくてたまらないのに
   便りもとだえ青春(はる)は逝く
   黒髪にくちづけた
   初恋のあなたはどこに
   ああ すずらんは すずらんは
   あのときの花よ
ここでナレーションが入ります。

「すずらんはわたしの好きな花。でも、好きだよ、といって駆けていった
  あの人はすずらんの花よりももっと好き。ごめんなさい、すずらん……
  あの人の帰りをわたしと待ちましょ。」
三 手をつなぎ丘を駆けてく
   あの人達は楽しかろ
   夕映えの鐘の音に
   お別れも云えずに泣いた
   ああ すずらんは すずらんは
   あのときの花よ
何分にも55年も前の曲で東京オリンピック後に発売された曲ですので記憶は定かではありませんが、お探しの曲でしたら嬉しいです。tecoさんはメロディーはご存知なんですね。高石かつ枝さんはとても美しい歌手でした。

おねがい

No.4390 投稿者:teco  投稿日:2019年03月21日(木) 07時37分42秒

ふきさん、葛さん、みなさん、おはようございます。

昨晩、我が家の近所にある高齢者介護施設でイベントによばれました。
毎度のことなので入所者の好きそうな歌を何曲か弾いたのですが、
そのときにこういう歌をしらないか?と80代の女性から質問を受けました。
歌い出しは…
 流れゆく雲をみてたら なみだがにじみ・・・
そして最後の歌詞は
 ・・・ああ、ああ〜、すずらんは、すずらんは、 あの時の花よ

こういうメロディーですか?と私の記憶にあるメロディーを弾いてみたら、それそれ!と言います。
メロディーは思い出せたのですが、歌の題名を思い出せません。
いつも使っている全音の赤本やインターネットの歌詞検索で調べてみたのですがわかりません。
どうも、調べ方がよくないのだろうと思います。
まことにご面倒なお願いですが、お調べいただけないでしょうか。


演歌歌手

No.4389 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月17日(日) 23時03分42秒

tecoさん、葛さん、こんばんは。
私は恥ずかしながら、あまりナツメロには詳しくないのですが、tecoさんのおっしゃるように、春日八郎の歌はさらっとしていて、あまりコブシが利いていません。私は、これが戦後〜1960年代の日本の歌謡曲の主流ではないかと思っています。それに対して、戦前の歌手でも、田端義夫のように歌にびしっとコブシが利いている歌手もいます。当時は藤山一郎のように音楽学校で声楽を学んだ「非演歌歌手」が多い中、下町から叩き上げで苦労して歌手になった田端義夫のような「演歌歌手」もいて、非常に対照的です。田端義夫の歌を聴くと、歌の上手なのはともかく、その辺のオッチャンという気がして、とても親近感があります。

ちなみに戦後台湾でカバーされた日本の歌謡曲は台湾の歌手により歌われたので基本的にコブシがありません。もともと台湾の大衆音楽にコブシはないので、当然ですが、わざとらしく千昌夫の「北国の春」を真似た余天などがいます。本格的な日本風の演歌は1990年代の・雅文からです。彼女の同僚の洪百慧もそうですね。完璧なコブシが入った絶妙な演歌を聴くと、これが台湾の歌手かと疑ってしまいます。ただ、彼女たちは残念ながら台湾では少数派です。

今日たまたまツタヤに入り、レンタルCDをチェックしましたら、分類が完璧でした。グループサウンズもフォークもニューミュージックもすべてJ-POPSのコーナーに入っていたので、納得です。秋川雅史のCDはクラシックコーナーにありました。これも妥当ですね。イタリアの歌手アンドレア・ボッチェッリのように、元々クラシック畑から出た歌手なので、あのベルカント唱法で、演歌に入れるのは不自然です。ちなみに今日は何も借りませんでした。「ただ見ただけ」です(笑)。

嬉しいですね歌謡談義

No.4388 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年03月16日(土) 01時48分12秒

tecoさん、ふきさん、お早うございます。

私の年代に活躍された歌手名が登場してくると嬉しくてたまりません。春日八郎さん、田端義夫さんのネームを見ただけで涙が出そうになる嬉しさを感じます。
春日八郎さん、田端義夫さんのキーは高いので少し下げて歌います。その昔白鳥みずえという有名な子役の女優が居ました。その時ヒットした曲が「親子舟唄」 田端義夫さん、白鳥みづえさんの歌でした。「別れ船」、「帰り船」、「ふるさとの燈台」
などは戦地から引き揚げてこられる人達には生涯忘れられない曲だと思います。昔の歌謡曲には歌に物語があります。どの曲も聴いていてジ〜ンときます。田端義夫さんは2013年4月25日 肺炎のため93歳でお亡くなりになるまでキーが変わる事がなかったと云います。現在の北島三郎さんはあまり好きではありませんが、東映映画喧嘩辰の主題歌で北島三郎さんの歌い酔いしれて制作スタッフとして手伝いをさせて頂きました。その頃桜町弘子さんに憧れて強引に裏方に加えて頂きました。車夫遊侠伝 喧嘩辰という東映映画でした。私は23歳でした。その時代は演歌という呼び方はありませんでした。何時から演歌というジャンルが出来たのでしょうか?艶歌と呼ぶ人はいたような気がします。URLに記載した曲は親子舟唄の 田端義夫さん、白鳥みづえさんの曲です。


春日八郎と田畑義雄

No.4387 投稿者:teco  投稿日:2019年03月16日(土) 00時53分53秒

ふきさん、葛さん、みなさんこんばんは。

私の好きな歌手はたくさんいますが、春日八郎と田畑義雄の歌は好きですね。
春日八郎の歌では「赤いランプの終列車」、「居酒屋」、「足摺岬」、「別れの一本杉」が好きでよく歌います。
極端にこぶしの利いた歌い方ではありませんが、高音域まで無理なくのびる豊かな声量と上手な節回し、哀切のある丁寧な歌い方好きです。
田畑義雄の歌では、「別れ船」、「帰り船」、「ふるさとの燈台」、「親子船頭歌」などですね。
特に「ふるさとの燈台」は、満州から引き揚げてきた当時の話を父母から聞かされてきたのでかなり強い思い入れがあり、この曲を聴くとじ〜んとしてきます。
どんなジャンルであろうと聴く人が共感を持てる歌が「良い歌」なんでしょうが、最近の歌はどうも好きになれませんねえ。

演歌の定義

No.4386 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月15日(金) 21時19分15秒

みなさん、こんばんは。
独断で、「演歌」の定義をしてしまいましたが、あくまでも私見ですので、あまり気にしないでください。また音楽業界の考え方とも違うかも知れません。日本の流行歌は江戸時代までは、tecoさんがお書きになっているように新内や端唄、小唄などでしたが、明治以降に日本の学校では西洋音楽を中心とする教育がなされたため、流行歌も徐々に西洋化されて行きました。伴奏楽器も三味線からギターへと変わりました。ただし、形式は新しくなっても、日本的な要素は残されました。それが譜面にはない「コブシ」唱法です。歌手独自の色合いがこの「コブシ」で発揮されます。私はこれを「演歌」歌手の条件と見ているのです。

1970年代以降の演歌歌手はこの「コブシ」を入れて、個性を出しています。「五木演歌」とか「はるみ演歌」と呼ばれることもあります。ところが、戦前の大物歌手は音楽学校を卒業した歌手が多いため、コブシ抜きで歌います。藤山一郎や直立不動の東海林太郎などは典型で、これは戦後もしばらく続きます。1960年代のころの歌謡曲は舟木一夫の「高校三年生」を代表とする青春歌謡が中心で、コブシ抜きの歌ばかりです。これらの歌はもはやナツメロの部類に入りますが、私はこれらの歌を「非演歌の歌謡曲」と考えています。レコード会社の感覚では、秋川雅史の「千の風になって」も演歌の部類だそうですが、私には到底理解できません。

今まで、古いほうから見てきましたが、新しいほうも見てみます。昨今の流行歌はすべて「Jポップス」と称されているようですが、いったいこの「Jポップス」という言葉はいつごろから使われ、またどのくらいの範疇なのでしょうか。時代順に見て、洋楽を模倣した旧グループサウンズのころはまだ早すぎます。イルカや南こうせつのフォーク時代もまだ早いです。さらにその後の中島みゆきやユーミンのころは「ニューミュージック」という特別な名称がありました。そうしてみると、サザンオールスターズくらいからでしょうか。このころから全部「Jポップス」として、今に到っているのではないかと思います。しかし実は、時代の流れの中で、その中は何でもありの「ごった煮鍋」です。それも当然で、「流行歌」は常に変化して行くものです。

演歌

No.4385 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月11日(月) 23時41分29秒

tecoさん、葛さん、こんばんは。

私が子供のころには「演歌」という言葉はあまり聞きませんでした。一般的に日本の流行歌は「歌謡曲」、欧米の流行歌は「ポピュラー(ソング)」と言っていたと思います。それが後に、水前寺清子、都はるみ、五木ひろしのように、歌唱法に独特のスタイルがある歌手の歌を演歌というようになったような気がします。それが今では、CDショップの商品棚を見れば、わかりますが、日本の古い歌謡曲は全部「演歌」の棚です。ただ、加山雄三やグループサウンズのバタ臭い歌を演歌と言われると、私などは違和感がありますね。
葛さんが「戦前戦後の歌謡曲をいわゆるド演歌と云うのでしょうか?」と問われていますが、私はそんなことはないと思います。発声の仕方が西洋のクラシックに通じるものがあり、歌にコブシが入りません。小林幸子のように、1970年代以降の演歌歌手はほとんどがコブシを入れて歌うので、正統派の先人といっしょにするのは可哀そうというものです。
音楽的に日本の歌謡曲はテンポの遅いブルース系がほとんどで、しかも四七抜き音階で組まれると、日本らしさがぐっと醸し出されますね。やはりメロディーのきれいな歌は、ジャンルを問わず、いいです。ラップ音楽のようにベラベラとしゃべりまくるような歌は私は好きではありません。tecoさんのおっしゃる「棒歌」の最たるものです。美しいメロディーに叙情的な歌詞が乗り、はじめて感動できます。しかも「手作り」に限ります。
バーチャル歌手初音ミクの歌は機械的に作っているのでしょうか。来世紀はあんな歌ばかりになってしまうと思うと、がっかりですが、そうならないことを祈ります。

音楽アラカルト

No.4384 投稿者:葛(新北市)  URL  投稿日:2019年03月11日(月) 13時06分29秒

ふきさん、tecoさん、こんにちは。

皆さんの音楽談義は音楽への思いや情熱が伺えられます。私は音楽なら何でも好む性格ですのでジャンルはバラバラです。しかしカラオケで唄う時は私も戦前戦後の歌謡曲を好んで唄います。いわゆるド演歌と云うのでしょうか?正統派の三浦洸一、津村謙、藤山一郎、伊藤久男のような歌手の歌は得意ではありませんが、岡晴夫、瀬川伸(娘瀬川瑛子)小林千代子、春日八郎、及川三千代の曲が好きです。
tecoさんのようにプレーヤーの方は樂器にも造詣が深いと思います。今でもジャズやポピュラーな外国曲や演奏家には興味がありましたので時々CDを聴いて楽しんでいます。ふきさん、tecoさんは洋楽はお好きでしょうか?昔はテレビなどが普及していない時代もっぱらラジオから吸収していました。

ラジオ日本(当時の名前は、ラジオ関東)が始まった1958年の放送開始の「波路遥かに」はビリー・ヴォーンの演奏に魅入りました。小さな花 真珠貝の歌などで有名。リカルド・サントスも有名なバンドですがもう一つの名前を持つ人で、ウェルナー・ミューラー (Werner Müller)としても活動した。
日本では、1957年に「真珠とり(真珠採りのタンゴ)」がヒットした。1958年初来日。 皇太子のタンゴ日本の皇太子・明仁親王(当時)と正田美智子(当時)の婚約発表を祝賀した曲だと云われています。ビリー・ヴォーンの峠の幌馬車は余りにも有名な曲です。ヴィクター・ヤング演奏の「エデンの東」はジェームスディ―ン主演の映画音楽でサウンドトラック盤は今も好まれる曲の一曲です。
ベニー・グッドマンのインザムードは何時終わるか分からい曲として有名なIn the Mood。

日本を見れば原信夫とシャープスアンドフラッツ、
有馬徹とノーチェ・クバーナ、チャーリー石黒と東京パンチョス、踊る指揮者で有名なスマイリー小原とスカイライナーズ、など多くのビックバンドが存在していました。やはり私は古いのでしょうか?
今もなお忘れられない曲はヴィクター・ヤングの誰が為に鐘は鳴る』(1943年)イングリットバークマン主演の映画音楽です。古い話題で申し訳ありません。




最近の歌の荒廃ぶりがいたましい

No.4383 投稿者:teco  投稿日:2019年03月10日(日) 23時54分00秒

ふきさん、葛さん、皆さんこんばんは。

ふきさんのおっしゃるように、むかしは全部ひっくるめて流行歌と言われていたように思います。
私は歌謡曲が好きで、特に戦前戦後の歌謡曲をレパートリーの中心にしていますが、いわゆる演歌というものはむかしはジャンルとして存在していませんでした。
男女の情愛や哀切、そうしたものを主題に、ヨナヌキ音階でつくられた曲が日本人の心にマッチしたのだろうと思っています。
そうした演歌が流行ってくるとジャンルとして成立し、いまに続いているのではないでしょうか。
演歌と言えばギターと言われるのは、奏法が三味線をつま弾きながら歌う新内や端唄、小唄などと類似しており、音域が広く、特にヨナヌキ音階を弾きやすいところに在ると思います。
音質も曲想に合わせやすく、人々に容易に受け入れられたのだと思います。
また、ギターは歌い手の微妙な節回しもかなり忠実に再現できますので「歌のない歌謡曲」を弾くことができます。
私は学生時代にマンドリンを始め、ギターなどの弦楽器はたいていやりますが、エレキはほとんど使わず、アコースティック専門です。
イコライザーなどで音質を変質させるのは好きではなく、楽器本来の音色をマイクで拾って演奏します。
台湾の歌曲も微妙な節回しが必要な歌がけっこうありますが、最近の曲は正直って棒歌に近いものがほとんどです。
日本の歌はさらにひどく、短いフレーズを何度も繰り返し、美しいメロディーなどはどこにも存在しません。歌詞も乱暴になって、心に響くような歌はとうの昔に絶滅したのではないかとさえ思えます。
すべてとは言いませんが、しみじみと歌える歌が出てこないかと思う昨今ですが、いっそのこと自分で作詞作曲しちゃったほうが早いかな?とさえ思っています(^^♪

日本の歌謡曲

No.4382 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月10日(日) 21時15分37秒

葛さん、こんばんは。

今は洋楽といえば、ほとんどアメリカ輸入ですが、昭和の日本の流行歌は世界中の音楽を貪欲に加工またはそのまま取り込んだ豊かなハイブリッド版が多かったように思います。前述の「月影のナポリ」はイタリアンですが、「メロンの気持ち」はラテン・ナンバーで、これもヒットしましたね。そもそも、流しの演歌歌手の必携はギターですが、どうしてギターがこんなに日本の流行歌に入り込んでしまったのか。これはやはり私はラテンの影響ではないかと思っています。日本人の心情と歌にギターがマッチしていたのでしょう。
ザ・ピーナツがカバーした「コーヒー・ルンバ」も流行りましたね。社交ダンスといえば、ルンバ、マンボ、ジルバ、タンゴなどのラテン系が多いです。昔、学生時代に新宿や渋谷のダンスホールによく通ったものですが、そのダンスホールもゴーゴー喫茶(ディスコ)に取って変わられてしまいました。残念です。
それから、ダニー飯田とパラダイス・キングや坂本九が歌ってヒットした「悲しき60歳」という歌がありました。「昔アラブのお嬢さんが〜」というふうにまさにアラブ歌謡です。昔の日本の歌謡曲はウィングが広かったことがわかります。最近の日本の歌謡曲は細分化されすぎて、あまり面白くないですね。

意味不明な曲の元祖

No.4381 投稿者:葛(新北市)  投稿日:2019年03月09日(土) 02時55分41秒

ふきさん、tecoさん、おはようございます。

みなさん良くご存知ですね。病気療養中と聞いていましたが癌(大腸がん)がステージ4とは知りませんでした。その時代私は新宿のアシベ 錦糸町のジャズ喫茶などに出演する森山加代子さん、ダニー飯田パラダイスキング、メリーこだま(後のちあきなおみ)さん 渡辺まり、島田まりさんなどをアシストする仕事をして居ました。じんじろげ / パイのパイのパイは1960年代の曲ですが中村八大さんが作曲した作品です。メロンの気持ち(Corazon De Melon)ヴェラスケス・シスターズ、月影のナポリなど、そのほか中村八大さん作品の意味不明な曲が多くなりましたがヒットを連発しました。坂本九さん亡き後明るく振る舞うように精力的に活動されたようです。
年齢は私と同年代です。亡くなる頃は治療も拒絶して亡くなるのを待ったと云います。tecoさんのお母様は1960年代の曲をだいぶご存知の様ですね。森山加代子さんは一世を風靡したアイドル歌手の先駆者のような存在でした。とても淋しさを感じます。

最近俳優や歌手、文学の世界でも著名な方たちが相次いでお亡くなりになります。その時代に生きた方たちが精一杯活躍され功績を残すという事に尊敬いたします。デストロイヤー(覆面レスラー)も亡くなりました。力道山、シャープ兄弟、ルーテズなど時代が遠くなります。



じんじろげの歌

No.4380 投稿者:ふき  投稿日:2019年03月08日(金) 21時54分40秒

tecoさん、こんばんは。
そういえば、たしかにありました。とにかく意味不明な言葉が多く、はたして“日本起源”の歌かどうかも怪しいものでしたが、tecoさんのお母様がご存じだったということは、結構古い歌だったんですね。テンポがノリノリで、私の死んだ兄がよくおどけて歌っていたのを覚えています。
昔の懐メロはとにかくシンプルでわかりやすく、小学唱歌がすこし進化した程度で、誰でもすぐ覚えて歌うことができました。印象に残りやすいので、オールジェネレーション向きでしたね。






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